2011年11月4日金曜日

ガルデルのCD-3(6曲目)

⑥:テ・アコルダス?(憶えているかい?)/歌:ガルデル‐ラサーノ/サンバ/作者:ドミンゴ・ガリンデス‐ガルデル/1917年11月16日録音/レコード番号#180011A

この曲はパジャドールのガリンデスが作った詞をガルデルがトローバ風にアレンジした古風な恋の歌である。

Te acordas que fue una tarde /あの過ぎし黄昏時を覚えているかい
de un porrazo me dijiste /一気に呟く一言
yo de carino hago alarde /みせつけの逢い込めて
pa’l amor no seas cobarde /愛のために怖じつくな
atropella y te conquiste . /蹂躙して,そして口説き落とし
yo de carino hago alarde /見せつけの逢い込めて
pa’l amor no seas cobarde /愛のために怖じつくな
atropella y te conquiste ./蹂躙して,そして口説き落とし
Te acordas con tanta bulla /あれほどの口論を憶えているかい
y amorosa me decia /それに俺へ恋の呟き
soy tu paloma que arrulla /私はあんたの甘くささやく鳩
yo soy tuya , toda tuya ;/すべてあなたの,あなたのものよ,
y sin embargo me olvidas ./しかしながら,忘却のかなた

Soy tu paloma que arrulla /私は甘くささやく鳩
yo soy tuya , toda tuya /すべてあなたの,あなたのものよ,
y sin embargo me olvidas ./しかしながら,忘却のかなた
Y si te acordas mi china /愛しき女よ,お慕えているかい
de la canta por ventura ;/幸せの為に歌う
que seque bien la cocina /料理上手も承知済み
la chica de la vecina /隣のお嬢さん
y que a mi me leiga el cura ./俺に察する恋悩み

Y ya que vais a dejarme /それにおれを捨てていく
y te vais con otro criollo /そして,あのクリオージョと連れたって
yo pa poder consolarme /俺は慰めされる為に

tendre china que tirarme /チーナをつるして落としたい
de cabeza en un arroyo ./流れに頭から

注:china ;チーナ:この場合のチーナは中国人ではなくキチュア語(proviene de quichua)からの引用で少女あるいはメスの意味で,ごく親しい人にもこう呼ぶ。
leiga (レイガ); 古い時代の用語または田舎の人の使う言葉で”lea(レア)”読め,=動詞の leer(レール) ,“読む”,“察する”となる

原作者のドミンゴ・ニコデモ・ガリンデスは1876年9月5日のコルドバに生まれ,1943年4月20日,ブエノスアイレス没:彼はクリオージャ歌手として,また世間に関した悲惨なベールに被された悲しみの和解者として通常な俗事の“エスクリバス(代筆屋)”として人生を全うした。しかしながら,このバジャドールは最良の時代に属し,あの不適切なベールの語調タイプから分離し,教養伴う支持者層の心を捉える事を知り,総勢の尊敬を感受した。達人群と共にコントラプント(即興詩競演)に参加し,かの栄光な政治コミュンに囲まれ,また郊外のカフェも征服せしめ,長期にわたり友人達の輪の中心人物であった。“ドミンゴ・ニカデモ・ガリンデスの人物は真実の天賦派生と熟成したイントネーションと共に,クリオージャ精神を即興で歌う,すばらしいモソ(美男子)であった”。と雑誌P.B.T誌(1916年11月4日)は賞賛につきるコンセプトを捧げる記事を載せている。リオ,クルランド,ディ’アマト,ビェジテス等とその他とパジォー(即興で歌う),そして,前世紀の終わり,他のネイテブ崇拝者と一緒に“サント・ベガ伝承”のクリオージョセンターにおいて名声を手に入れた。
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2011年11月2日水曜日

ガルデルの魅力(続き)


さて,ガルデル即ち“ソルサル・クリオージョ”がこの歴史上に現れていなかったとしたら,少なくとも,このポルテーニョ界に“魔法使い”の居ないタンゴ界はどうなっていたか,それを想像するのは至極難しい。あの時代に生きたガルデルの存在は多大な重要な史実であった。あの完璧な微笑み,あのフランス人風の声と容貌(亜国人はなんとこの表現を好む事か),あの歌手俳優としての颯爽とした姿への魅力が多くの人たちによって語られている。その魅力の“姿”とは?。
あの“ゴミナ(ポマード)”髪型,あの何時ものスマートな“コテ・デ・フンジ(洒落た帽子のかぶり方)”で証拠づけられる“エレガンス”,真似のできない本物の“タンディー”。あの時代の報道によるとカルロス・ガルデルは当時の多くの“ペベタ(愛くるしい女性)”達を“その魅力”の虜にしたという。ポルテーニョ巷世間のパテトロ(遊び人)やピオラ(シモ)連中とオタリオ(間抜け者)達までが,彼ガルデルの動作や語りと服装,物腰のイミテーションに励む姿は滑稽な流行であった。フランスと北米バラマウント映画に歌手兼主役俳優としての栄華な凱旋は神話の糧になり,インターナショナルに至る成功は紛れも無い多大な人気は当時のタンゲーロ達の崇拝感動に等しく,また今日に至るまでも“その人気”は衰えてはいない。そして,愛想に満ちた(時には囁く様な)かたり上手,偉大なタレントの持ち主,独特の発声と歌スタイル。私生活では稀に見る好人物,寛大な金離れのよさ,数々の友人に囲まれた中のあの笑顔(時にはチラリと陰りの微笑)。これらの彼の特徴はレコードを聴く毎に蘇りかえる。見事な表現は次の例に並べてみると,喜びを歌った“ビクトリア(勝利)”,皮肉たっぷりな“アル・ムンド・レ・ファルタ・ウン・トルニージョ(ネジ一本が足りない世界)”,悲しい“シエギータ(盲目の幼女)”,隠された悲しみの“リィエ・パジャソ(笑え!ピエロよ)”,絶望的な“エス・エン・バーノ(それは無駄)”,愛の賛歌“ラモーナ”と“ソニア”,劇的なドラマ“スス・オホス・セラロン(閉じられし瞼)”,回想に浸る“カミニート(小道)”と“ボルベール(帰還)”,滑稽でもある“カスカベリート(小鈴)”,気高きロマンチズムな”エル・ディア・ケ・メ・キエラ(思いの届く日),悲嘆な“アマルグーラ(悲しみ)”,心痛な“トモ・イ・オブリゴ”,懐儀的な“ノ・テ・エンガニェス・コラソン(心を偽るな),英雄讃歌の“エロイコ・パイサンドゥー(パイサンドゥーの英雄)”と夫々テーマ事の情趣状態の演唱解釈は心の奥までくい込み,暫し感動の余韻に浸り込まされてしまう。


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2011年10月29日土曜日

ガルデルの魅力を分析する

またまた,ガルデルとは関係の無い横道にそれてしまっていたが。ところでコントゥルシがモンテビデオのキャバレー“ムーランルージュ”で自作自演した“ミ・ノーチェ・トリステ”が余りヒットもせずに,そのうち人々から忘れられてしまう。あくまでも想像に過ぎないが,理由は“マル・デ・アウセンシア(不在の災い)”という陳腐な歌の題名と歌い手の演唱力,説得力に欠けた声の魅力などの乏しさではと思われる。
そこで躊躇した挙句のガルデルが生粋の魔術的な歌声で,このコントウルシの韻文詩歌を唄うと全く違う音楽次元を手に入れて“あれよ,あれよ!”とばかりに世の人の耳に広がり,本格的歌唱タンゴが湧き出る夜明けとなる。今日現在まで“ソルサル・クリオージョ”の並外れた説得力と魔法の声を持つ歌手は現われていないと言われている。では,その様な歌を唄うガルデルの不思議な魅力は何処にあるのか,そのファクターは何であろうか。

1):稀に見る音楽性に満ちた自然な声調で更に彼の口調と同じフォームな歌い方。
2):歳を越すごとに低くなる魅力溢れたバリトン(テノール?)を伴う並み外れた良く響く声。
3):未だに歌手何人も超越成し遂げられない理由はガルデルが唄う時の“歌詞と曲”の二つの事を同時に“感情”,“心の底から”,“エモーションを込めた”歌声で,その韻文の各一言一言を   伝える特別な意義と共に繊細な意思表示の独占的能力で“唄演技”をやってのける,無比の感情表現の才能である。
4):歌唱タンゴの歴史上に類例の無いドラマチックな唄声。
5):幼少年期から青年に達するまでの日々の生活からバジャドール達や俳優,オペラ歌手との身近に接し伝授された唄への技巧を学び。そして,成長と共に感情表現の素質が磨かれた彼の環境体験を回想するのは良い例である。
6):いつも歌う為に歌詞の意味内容にふさわしく歌う姿へ反映させたガルデルをより聴きこむと更に賞賛できる。それはカンシォンやフォルクローレを歌うレコード初期録音から歌唱タンゴをヒットさせ,無声映画時代とスペインやフランスへタンゴを普及させた功績と北米での映画活動と彼自身の数々の作曲した美しいタンゴ曲の成功と益々魅力の彼の幅広い歌唱能力を発見するだろう。
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2011年10月24日月曜日

ガルデルのCD-3(⑤ミ・ノーチェ・トリステ)



⑤:ミ・ノーチェ・トリステ(わが悲しみの夜)/タンゴ/歌:カルロス・ガルデル/
作者:パスクァル・コントゥルシ(昨年10月4日:ガルデルとタンゴの詩人達(1)参照ください)/1917年11月16日録音/レコード番号18010B/
(当ブログ昨年3月16日の“ミ・ノーチェ・トリステ”の誕生の経緯を載せて有りますので参考ください)

このタンゴは余りにも有名であり,今更語る事に及ばないのだが,コントゥルシが“ルンファルド”なる言葉をタンゴの歌詞に取り入れて,当時としては革新的な“味”を加味した事とガルデルの卓越スタイルによりタンゴ歌唱の新しい道を切り開いた歴史の始まりである。さて“ルンファルド”なる言葉は辞書によると“俗語”と訳されているが,なんと味気ない訳である。本来のルンファルド(スペイン語全体も)の響きは情緒があり詩的な響きすら感じられる。その“ルンファルド”をブエノスアイレス市住民が日常会話に常に前世紀から使ってきた“普通のことば”なのであるが。この国に来たイタリー人初めスペイン人や他のヨーロッパ諸国人らの移民として来た人々の使う“ことば”が一部の下層階級民や犯罪者の使う特殊的な“語彙”で差別的対象であった為,当時コントゥルシからこの“ルンファルド”が使われて歌われたタンゴ“ミ・ノーチェ・トリステ”の“詞”を見せられた(コントゥルシが“歌ったタンゴ”を聴かされた)ガルデルも躊躇して直ぐには自分のレパトリーに取り入れなかったという経緯がある。ところがこの象微的なタンゴ曲が盗作の疑いを擦り付けられたらしい。それはキューバの歌手アンヘル・サンチェスの歌ったバンブーコ“ローサ(バラ)”に酷似しているという。この歌詞の発表が1914年,当然コントゥルシの歌詞は1915年ごろの作である。

では下の歌詞を見てみましょう。歌詞が変えられている所は()で括った。後は全く同じである事に気が付くでしょう。

ミ・ノーチェ・トリステ/タンゴ/1915年作/作者:パスクアル・コントゥルシ
ローサ/バンブーコ/作者:アンヘル・サンチェス(渾名:キューバのプリンス)

Percantaa que me amuraste /(Sin motivo me dejaste)
俺を見捨てたペルカンタ(夜の蝶) /(理由も無く俺を置き去りにした)
en lo mejor de mi vida /すばらしい我が人生にて
dejandome el alma herida /俺の心に傷跡を残して
y espina en el corazon /その上心奥にとげまで
Sabiendo que te queria /君愛するのを知り尽くした上に
que tu eras mi alegria /君は我が喜び
y mi sueno abrasador /我が離せない夢

Para mi ya no hay consuelo /俺にはもう慰めすらも無い
y por eso me encurdelo /それゆえ俺は酔い溺れ
pa olvidarme de tu amor /君の愛を忘れ;る為に

Cuando voy a mi cotorro (solo a mi cuarto) /
俺のネグラに行く時 /(俺の部屋にただ行く時)
lo encuentro desarreglado /雑乱に出会う
todo triste, abandonado /見捨てられた,すべての悲しみ
me dan ganas de llorar /俺は涙ぐむ
Y me paso largo rato /そこにかなりのひと時をすごす
contemplando tu retrato /君の面影に瞑想
pa poderme consolar /慰めに居尽すため

De noche cuando me acuesto /夜半に寝付く時
no puedo cerrar la puerta /扉を閉められない
porque dejandola abierta /なぜかって,開けっぴろげに
me hago ilusion que volves /(volveis) ,君の帰り(同じ意味)を幻想して
Siempre llevo bizcochitos /いつも甘菓子を持参しつつ
pa tomar con matecitos /(“matecitos”)/マテ茶(“マテ茶”)を飲みつつ
como si estuvierais vos , / 君がそこに居るかのように
Y si vierais la catrera /ベッドに居る如く
como se pone cabrera /悪機嫌仕草のような
cuando no nos ve a los dos /二人の姿が見え無いとき

Ya no hay en el bulin /(tocador)/愛の巣(化粧台)はもう無い
aquellos lindos frasquitos /あの華麗な小瓶も
adornados con monitos /(lacitos)リボン(ちじめ)かざりと
todos de un mismo color /すべて同じ色あいの
Y el espejo esta empanado /鏡はぬれ曇り
pues parece que ha llorado /こうして,泣きぐむように
por la ausencia de tu amor /君の愛の欠如ゆえ

La guitarra en el ropero /ギターは洋服かけに
todavia esta colgada /未だにかけたまま
nadie en ella canta nada /(dice nada)/何人も彼女へ歌う事も無く(何言も無く)
ni hace sus cuerdas vibrar /あの縄も揺ぎ無く
Y la lampara del cuarto /部屋のランプもまた然り
tambien tu ausencia ha sentido /またも君の不在は意識させられ
porque la luz no ha queridos /なぜか光も途絶えた如く
mi noche triste alumbrar /光に透かす,わが悲しみの夜
注:太字の単語がルンファルドなのだが,意外に少ない事に気が着くでしょう。

この歌はガルデルが歌い,同じ年にロベルト・フィルポがオルケスタのみで演奏。1918年4月に女優マノリータ・ポリがサイネテ“ロス・ディエンテ・デル・ペーロス(犬の牙)”の中で歌い,徐々に有名になっていく。そして,1919年にスペイン人歌謡歌手マリア・タバゥがハバナに来た時にこの“ミ・ノチェー・トリステ”歌っているのだが。この時にハバナの音楽出版社はポルテーニョ版の歌詞をそのまま転用して新譜バンブーコ(コロンビア民謡)“ローサ”として発表。それを全くアンヘル・サンチェスに知らせずに,この曲のリズムを8分の6拍子に変えて歌わせたのが真相ではないかと思われる。アンヘル・サンチェスは1934年10月18日日付でサダイクのフランシスコ・ロムート会長に問題にされている“発表”は1914年に出版されたもので彼のメロディーはブエノスアイレスでは知られては居なく,コントゥシは容赦なくこのバンブーコを盗作したと手紙で告発している。しかし,キューバでペペ・サンチェスのボレロ「ポル・ケレルテ・ロカメンテ(気が狂うように愛してる)/デ・エスパーニャ・メ・デステラーロン・ビジャナメンテ(スペインで悪もの様に追われた)」の歌詞で始まる“ローサ”のパリ音楽祭コンクールに入賞したオリジナル歌詞が存在しているのが暴露されるに至り,コントゥルシは無罪である事が証明される。

(*注:データーはティノ・ディエス記“五戦の線の間から...”とグアダ・アベジェ記“ガルデル・ブエノスアイレス”#11を参考にした)

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2011年10月20日木曜日

ガルデルのCD-3(④プンターナ)

④:プンターナ(サン・ルイスの出身者)/サンバ/
歌:ガルデル-ラサーノ/作者:ガルデル-ラサーノ
(原作:ホセ・ベティノティ)/
1917年11月16日録音/レコード番号#18010A/

Hay una criolla en la rueda/人ごみにいるあのクリオージャ娘
que a mi me tiene penando ,/おれ自身を苛める,
ella se hace la que n’oye/彼女は意にもかけない
cuando yo le estoy cantado/俺が歌っている時も .
La criolla que yo les digo/俺の呟き,クリオージャ娘よ
no es alazana ni zaina ,/金髪でも栗毛でもなく
y en mi pecho seta metida /我が胸にくいこむ
como cuchillo en la vaina ./厄介な脅迫如く.
Lloro como llora un nin~o/泣くさ赤子の如く泣きじゃくる
porque no me corrisponde ,/なぜか愛し合うにはそぐわない
to te llamo , tu t’iscondes/きみをよび,君は雲隠れ
burla’ndote de mi carin~o/俺の慈しみを嘲る .

Ya no quiero ma’s amor ,/俺はもう恋はご勘弁
ya no quiero ma’s falsias ,/偽りごとはもうご勘弁
un mal con un bien paga ,/この不運に報え入る,
ya lo sabia , ya lo sabia ./すでに俺は悟っていた,すでに悟っていた.

Esta cancio’n la he cantao/この歌を君に歌ったさ
en casa del taita Pancho/バンチョおやじのところで
y uno guasus por oirla/そして,冗談を聞くために
voltiaron la puerta’el rancho/飲み屋の扉を開けひろげ .

プンターナとはサンルイス州出身の女性をこう呼ぶらしい。素朴な地方の可憐な乙女に心を射止められない悲しみ...ガルデルは素朴に切なく,切なく心を潤ませる唱声で訴えで迫ってくる。
前の3,4曲の原作者ホセ・ベティノティについては今年7月13日のガルデルとフォルクローレ(4)を参照ください。
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2011年10月17日月曜日

ガルデルのCD-3(③アディオス...ケ・メ・ボイ・ジョランド)

③:アディオス...ケ・メ・ボイ・ジョランド(泣きながら俺は行く,さよなら...)

カンシオン/歌:ガルデル‐ラサーノ/作者:ガルデル-ラサーノ
(原作:ホセ・ベティノティ)/
1917年11月16日録音/レコード番号#18009A/

Adios , que me voy llorando ,/泣きながら俺は行く,さよなら.
me voy llorando y te dejo ./君を捨てて,そして泣きながら俺はいく
Y aunque no te vuelva a ver ./たとえ君をかえりみる事無くとも
con la esperanza me alejo /離れ行くとも願いを篭めて
Ay , si , si ! Ay , no , no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
Ingrata , me has olvidado /君は俺に愛想を尽けた,情けなし
ma.l haya tu corazo’n ! /君の心は悪魔やどり

Donde estan los juramentos /愛の誓いはどこそこに
que me hicistes una tarde ? /あの黄昏時のつぶやきは?
Todo lo ha llevado el viento ,/風がすべて連れさり行く
y en una forma cobarde /そして,それは唯の弱虫もの
Ay , si , si ! Ay ,no ,no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
y en una forma cobarde /そして,それは唯の弱虫もの
mataste mi pensamiento . /俺の疑念にとどめ果たす
Ingrata , mal pagadora /悪きむくわれぬ人,情け無し
y mala de sentimiento ,/その上,不憫な恋こころ
que si algo hay que me devora ,/このわが身をこがす何かのために
es el arrepentimiento /それは悔根ゆえ

Ay ,si , si ! Ay , no ,no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
Es el arrepentimiento /それは悔恨ゆえ
de haberte amado hasta ahora ./今まで愛し遂げたゆえ

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2011年10月13日木曜日

ガルデルのCD-3(②エル・セニュエロ)

②:エル・セニュエロ(誘惑)/エスティーロ/作者:ラサーノ-ガルデル/

歌:カルロス・ガルデル/1917年11月16日録音/レコード番号#18009B/










Sos para mi como el sol /君は俺の太陽のよう
ya no puedo pretenderte/もう求愛はできない
ni tan siquiera quererte/愛することすらできない
como el sol al mirasol ./向日葵への太陽のように.

Sos para mi como el sol/君は俺の太陽のよう
y por haberte olvidao/君を忘れてしまった為に
mis ojos se han deslumbrao/俺の眼差しは当惑され
con tu luz irresistible ;/耐えがたき君の光に
de este amor mio imposible/手に負えないこの愛の
a sufrir me ha condenado ./おれは突き落とされた,この悩みに

En vano entre los zarzales/木苺の茂みの中で無駄なこと
lloro buscando consuelo ,/慰みを請い泣きぬれる
en vano buscando al cielo/天を仰ぐが無駄な事
le secreto mio males ./俺の苦しみは秘め事ゆえ

En vano mando zorzales ,/鶫に托しても無駄な事
a cantar vengo a tu reja ,/君の格子窓へ歌いきても
los empuja la cabeza/頭かかえて
y deslumbrado se va/とうわく上に離れいく
pobre zorzales que estan/哀れなつぐみの群れ
cantandote al sol que pesa ./きみへ歌いさえずりも陽がかげる

ガルデルはポピュラー歌手として人気を獲得する夜明けの曙の覘きから,“バリトン”の歌声を響かせ,聴衆フアンの心を魅惑の虜に...この歌もパンパの木立にただずんで歌う失恋の歌。


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2011年10月10日月曜日

ガルデルのCD-3(①:エル・モーロ)


ガルデル全コレクションに戻り解説を続けていきます。














①:エル・モーロ/タンゴ/作詞:フアン・マリア・グティーレス/作曲:ガルデル-ラサーノ
歌:ガルデル-ラサーノ(口笛は誰か吹いてるのでしょう)とロベルト・フィルポ楽団の演奏
1917年11月16日録音/原盤レコード番号583-137
CD‐2 ;10曲目のカンシオンと同じ詞と曲であるが,ロベルト・フィルポによりタンゴへ編曲された。

この“エル・モーロ”はガルデルが歌った初めてのタンゴらしき曲でしょう。ガルデルとフィルポの共演はキャバレー“アルノンビージェ”での始めての共演から,この録音が終わった後にブエノスアイレス州地方へ共に巡業へと出かけたとか,他にも数回の共演があるが,レコード録音はこれだけの“隋一”の貴重なものです。この録音はフィルポ楽団単独のみで予定されていた所へ,楽団メンバーの“闘牛登場”との掛け声に誘われたように,牛角を付けたガルデル-ラサーノらがスタジオに乱入した挙句に,冗談半分に牛の如く這い回り,この曲を歌い始めたのが,そのまま録音が続行されたのだそうです。重厚なフィルポのピアノのタンゴ・リズムに乗った軽快な歌い回しで,失ってしまった愛馬を回想した思いが胸に迫ってくる美唱。このSPレコードのラベルにはガルデル‐ラサーノ等の名前は不思議な事に書いてありません。これはフィルポが冗談の“仕返し”をしたのでは(?)と思われます。

ここでこの曲を演奏したマエストロの経歴を簡単に紹介しましょう:
ロベルト・フィルポ(1884510~1969614日)ピアニスト,作曲家,ディレクター。ピアノは19歳の時に“インデペンデンシア(独立)”,“アポロ”,“ベヌス”の作者アルフレッド・ビジャクアに師事。4年後の1907年に“ラ・チョーラ(臆病)”,“エル・コンピンチェ(共犯者)”,“ラ・ガウチャ・マヌエラ”を作曲発表し,作曲家としてのインスピレーションを披露した。その後バイオリン奏者,フランシスコ・ポスティグリオーネとクラリネット奏者のファン・カルロス・バサンらとトリオを組み“ロ・デ・ハンセン”にデビューした。フィルポは1913年にオルケスタを結成。“アルガニャラス”,“センチメント・クリオージョ(クリオージョの悲しみ)”,“デ・プーラ・セパ”,“マレハーダ(うねり,不満の声)”等の作曲。翌年にはロマン溢れた曲“アルマ・デ・ボヘミオ(ボヘミオの魂)”を世に問い,幸先の良い成功を感受した。有名な“エル・アマネセール(夜明け)”,“エル・ラピド(急行列車)”,“エル・アプロンテ(準備,競馬の試走)”,“モンテビデオ”などが多数上げられる。(ガルデルは191710月のチリー,ビニャ・デル・マール公演の時に,この“モンテビデオ”曲でタンゴダンスを踊り,優れたミロンゲーロ振りをチリー人観衆に見せつけたエピソードが語られている)。もう一つの有名曲のフェゴ・アルティシアル(花火)はエドアルド・アローラスとの合作である。彼フィルポは初期からタンゴにピアノを導入してオルケスタ・ティピカのスタイルを確立させ,タンゴ発展に最も奨励した重要な一人に挙げられる人物である。また,彼の演奏はペダル使いを手始め,より重厚なレソナンスをかもし出す洗練されたスタイルの持ち主であり,ロマンに溢れたタンゴを世のファンに提供の上に,本格的古典タンゴの数々を堪能させてくれた。
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2011年9月12日月曜日

ガルデル,二度目の地方興行に出る( 3 )



マルティーノのトリオからの脱落した事は,彼等の計画の全て描き崩れ行くように感じられる公算が高かった。リンコルンにてガルデルとラサーノはまたまた新しい幻滅に苦しむ。バー“サン・マルティン”で歌っていた時。「帽子を差し出しながらコインを入れて貰う」,そんな行為に飽きた様なガルデルが虚脱にいわく-オリエンタルよ!俺はもう歌わない-と呟いた。とは云え,ガルデルは考え直した挙句に旅の行き先を改めて,幾つかの鉄道支線を使い(場合により貨物列車に忍び込んだりして,放浪者の様に旅を続けながら)前に進む事にした。彼等若い歌手達は偶然の旅人の様に時には徒歩で,地方の冒険的なルートを辿り行った。一方,一人の若いアーティスト,イグナシオ・コルシーニも国内巡業の途中で,彼は新婚早々の身で新妻を同伴していたが。その彼等二人はミゲル・カサーノ馬術サーカスで歌手と女優として働いていたが独立した後,エントレ・リオス地方を巡業した。今はブエノスアイレス州南部のオリバリア,クルス・アルタ,バイア・ブランカの各地を回り,この最後の港町の酒場で出演中だった。そこへ幸運を試す為にやって来たガルデルとラサーノ等と知りあう(918日の事)。彼等の似たような年齢と野心の為に即座にお互いに好意を抱く。その上,彼等はバイア・ブランカ滞在中の間,おしゃべりや歌い合いなど(ガルデルが持ち歌の“エル・モーロ”を披露すると,コルシーニは得意な“エル・クラシコ(伝統)”にて応戦した)で幾日も一緒に行動を共にして過ごした。(彼等は数年後に再びブエノスアイレスで巡り会い更に親交を深めるが,二人は歌手として堅固とした地位を得ていた)。ここでガルデル-ラサーノはソペスとカルロス映画館で公演できた。では彼等の先行き運命を辿る事に戻るが...さて彼等は再びラ・パンパ州ヘネラル・ピコへと500kmほどの行程を北へ向かう長旅に出る。目指すは更に北西に位置した土地のウインカ・レナンコへ,疲労と失望との判然としない感情に打ち呑めされ気力も落ちながら数々の集落を通り過ぎ,目に映るのは鉄道沿線沿いにある多少の貧しいただずまいの家々ばかり,駅の近辺だけにへばり付く様な雑貨商店や酒場,唯広いサッカー場,警察と書かれた看板掲げた小屋風の建物,部落の境に鎮座している牧場主らしきの大邸宅。その他は広大な平原,これがパンパの風景(この景色を当時の歌手マランビオ・カタンもガルデルと同じ頃に見届けている)。ウインカ・レナンコはコルドバ州の南果て,地図にも載らない様な小さな集落といえる町(当時)。ここでバイオリ二ストのディエゴ・コルデーロと知り合う。彼はガルデル-ラサーノの二人の汚れ疲れた空腹姿に哀れみの念に駆られ,歌う場所を獲得してきた。そこは鉄道駅前の小さなホテル。その上に隣町のカニャダ・ベルデ・ホテルの持ち主家族と連絡をとり,ガルデル達等が歌公演できる様取り計る好意をしたが。彼等がそこへ出向いた時には運悪く冬の激しい風雨に見舞われた為に3日間無駄日を費やしても歌公演は水に流れてしまう始末。疲労と意気消沈した彼等はすごすごと首都ブエノスアイレスに帰る決意をする。出て来た時より貧しくなり下がり果てた彼等二人の旅は空しく終末を迎えた。彼等の歌旅は経済的な収穫を得られなかったとはいえ,代償として音楽的見解点で途轍もない収益を得ていた。それは進んで練習,練習に励み繰り返し努力の末の結果として得た歌の技巧の上達は目を見張る程の成果であった。10月のブエノスアイレスはハカランダの赤紫色の花が満開期で春の真最中に帰えったガルデルとラサーノは当てのない再会の約束をしながら夫々の棲家であるバリオ(街)へと戻っていった。ところで,この時点で彼等二人が夢にも想像できなかった「栄光ある成功」が足元に近づいていた。それは1914年の新年早々の“アルメノンビジェ”デビューの栄冠である...
当ブログ7月27、28日の“アルメノンビジェの出来事”(1),(2)の記載を参照ください』

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2011年9月10日土曜日

ガルデル,二度目の地方興行に出る(2 )

彼等達は度重なる不運に失望の念に駆られながらも,次の目的地フニンで簡単な興行に出演した後にメルセデスにやってくる。そこの芸術の中心的活動の場であるエスパニョール劇場には出演出来ず,裁判所の前のカジェ・2526町角にあったコンフェテリーア・サンマルティンで4日間の夜通して歌う事かできたが,興行は蓄音機男(?)の演劇によるショーの出し物と共演であった。新聞記事による賞賛にも係わらず満足いく報酬の支払いを得られず終わる。

(下の広告はガルデル自身が保管していた物らしい)
エル・シグロ紙の1913826日付記事によると,トリオ演唱につきカルロスなずけて“カルロス・ガルデル”と芸名で名乗った事について触れている。各紙もこの“芸名”を繰り返し呼ぶようになった。9月の初め一行はチャカブコへ,95日にその町のサロン・モデルノにてトリオは“数多数の選ばれた観衆に迎えられて歌う”とエル・メントール紙は書いている。翌日はサロン・パリで歌い,南西方向の数キロ離れたアルベルティーへと移動した。ここで起こった事は既に報道界の知るところなった。小さな繁栄した町に自慢すべき出来事の日,「それはメルセデスと同じく」旅程にて好転実現したこと。910日,ローカル紙ニュースによると『若きパスクァル・エスキロスが経営するコンフィテリーア“エル・セーロ”で昨夜の公開集会でカルロス・ガルデル,フランシスコ・マルティーノ,ホセ・ラサーノらの若きアチィースト達が紹介され,彼達は発展する評判な新しいスタイルの見事な,上品な言葉,格言と民族風ティピカのクリオージョ歌唱の演唱を参列者達は没頭し聴き入り,魅力的な興行の終わりに当然の惜しみない多大な拍手が送られた』と載る。9月半ばブラガードに到着する。そこのフランス劇場では比較的上首尾の出演のうちに新聞記者及びタンゴ作者のエンリケ・マローニと親交を深める(ガルデルは後年彼の作品を録音している)。次の到着地は“ロス・トルドス”と言う名で知られたヘネラル・ビアモンテ。そこで遭遇した事は保守党知事マルコルンによる公金使い込み公判事件により政治的混乱の沸き返に遭遇した。その上,挙句果てに暴風雨の被害に見舞われていた。彼等無名のトリオの活躍する場所を見出す事は不可能であった。悪い事は続くもので,マルティーノは度重なる不運に耐えられず,疲労の挙句に病気に成ってしまいトリオを離れていく。そして,ガルデルとラサーノ達残った二人は検討熟考した上でラ・パンパ州への方向に向かう巡業を続行する決意をする。

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2011年9月9日金曜日

ガルデル,二度目の地方興行に出る(1 )

1913年6月頃:やがて、サウル・サリーナス(チリー生まれでクージョ地方の歌い手)の参加により、カルロス・ガルデル、ホセ・ラサーノ、フランシスコ・マルティーノらでクァルテートを組み巡業に出る。先ずブエノスアイレス州の近郊のパラナー川沿に北西へ行く。カルロス達はサン・ニコラスの第五歩兵編隊で出演出来る可能な交渉があったのだが。その他,政治活動の会合やクラブの扉を叩き,そこで歌わせてもらう。そんな不確実な可能性を求める旅。また前回で知った土地の南西へ鉄道の果てまで行く事を予定にする。610日にブエノスから約70kmほどのサラテに着き,インデペンデンシア通りのバー・ベインテシンコ(25)で歌い,夜はディシヌエベ・デ・マルソ(319日通り)とイツサインゴ通りの街角のエル・グロボ・ホテルに出演。しかし,報酬に結びつかず涙を呑まされる。このリトラル(バラナー川沿岸)地方は見かけの商売繁栄とは裏腹に,このグループを取り急ぎ受け入れる意図も無かったようだ。その上,悪い事に早くもサリーナスがグループから抜けたいと言い出した。兎も角,状況は次の町で良く成ると,彼を説得した上にサン・ペドロまで行く。ここは小さな町で幾つかのダンスホールがあり,フランシスコ・カナロ,ロベルト・フィルポ,“エル・レンゴ”(不平屋)ことサンボニーニ等が最初にクアルテートを組織して活躍しており,10年代に栄えたラ・プエラタ・デ・フィエーロとかマリア・ソーサが存在していた。そのサン・ペドロでは彼等のグループは二人の地元政治家メンデサバルとペラーソォの助けでそこの映画館でデビューが果たせた。その後,ソシアルクラブにも出演できた。しかしながら,この巡業の初めての良い成果にも拘らず,サリーナスはこのグループを離れてブエノスへ帰ってしまう。その理由ははっきりせず,全くの謎であるが,サリーナス脱退の理屈は多分,この試されたタレントのグループがふさわしい芸能的レベルを遂げるに至ら無かった為だろうと思われた。忘れてはならない事は,サリーナスは四人の中で最も経験豊なアティーストである。ともあれ,このクアルテートは最も経験豊な一員を失ったが。それでも,残り三人はそれにめげず巡業行程を先に進む決意をした。カルロス達の一行はサン・ペドロとサン・ニコラス(*)の途中で714日のフランス人移民共同体が祝う「バスティージャ』記念祭のエベントに驚かされなからも,彼等は翌日サン・ニコラスの祭りの騒然と沸きあがる街中に辿り着いた。兎も角,彼等のトリオの活動は716日のエル・ノティシエーロ(ニュース)紙に若いアティースト達のカルロス・ガルデス(当時は養母の姓),フランシスコ・マルティーノ,ホセ・ラサーノのトリオ演唱活動が記載され始め,61719日の3日間にはサン・二コラスのソシアルクラブで歌う。また,予定していた第五歩兵編隊駐屯所でも歌う事ができた。これらの公演はまずまずの満足に値する盛況な拍手喝采を受けた。720日朝はプレガミーノへ向かうが,前提の政治家の推薦があったにも拘らず,歌う契約には結べつける事にならず,次の2千人余りの小都市ロハの町でも幸運に恵まれてはいなかった。













810日,ここの町の“ソシアルクラブ”に出演する。当日の“エル・ナショナル”紙に「この様な純粋なクリオージョ音楽コンサートの演奏者は我々の土地に巡業に来るチャンスは余り無いが,ガルデス,マルティーノ,ラサーノ各氏は我々祖国の好む楽器を奏でブロビンシァーノ(田舎)風音楽のエスティーロ,ビダリーダスなどを歌い,コンサートに出席した数少ないクリオージォ観客の心に深く浸み込むほど,聴感に訴えて魅力的に堪能させた」とコメント記事を載る。このデビューの後にラ・ペルラ映画館にて数回の公演。その上,クラブ・プログレッソとコロン劇場に出演した。
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2011年9月5日月曜日

ガルデル,初めて地方興行に出る(2)


サウル・サリーナスがガルデルのグループに参加して?
そのサウル・サリーナスはクリーオジョ音楽にメキシカン・デュエット唱法のやり方を適応させるアイデアを練り上げていた。全体のルールの上に編曲発声が成り立つには“第一声”が主メロデーを保ち,一人目の“第二声”はそれに平行して同じメロディーを歌い,その上に最初の第三低音も受け持ち,それに従い二人目の“第三声”が低音へ音程を整える。歌の演唱は主に“第一声”の声に委ねられ,一方で“第二声”はハモーニーを支える役目を受け持つ。グループの歌手達全員がよい音感を持っていれば,この歌フォームは容易に映える。サウル・サリーナスはガルデル,マルティーノ,ラサーノ達に,この唱法を彼の主導で“テルセト(トリオ)”を組織するのを提案したところ,“エル・モローチョ”ガルデルはこの計画をすんなりと興味深く受け入れた。そこで“トリオ”を4人で練習に取り組むが,彼等の心ともない音楽知識では少しも容易ではなく,結果は必ずしも旨く行かなかった。しかしながら,練習の甲斐も実りクァルテット(実際はデュエット二組)は響き良くなり,プロの確かなニュアンスを備え始めていた。しかし,このためしごとは首尾良くサリーナスの思い道理に成功したのかは知る由もない。何故か?それはこの試しはレコードなどの記録が無いからだ。ともかく,彼等4人はブエノスアイレス州の内陸地の小都市へ新らたに幸運を試す巡業へと出かけたのである。

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2011年9月3日土曜日

ガルデル,初めて地方興行に出る(1 )

ガルデル物語のテーマは芸能活動を追うのも一つで,特に有名になる前の下積み時代の活動はあまり世に知られて居ないと思う。そこでできるだけ可能な限り追従していくつもりである。
1913年初めの頃,タジーニ商会のコロンビアレーベルへのレコード録音した後の事になるが...

ガルデルとラサーノ出会い,その後...
礼儀作法としてカルロスはラサーノの“縄張り”へ再び歌い合戦果たすために訪問する。この二回目の出会いは“エル・オリエンタリート(ラサーノ)”の棲家,バルバネ―ラとモンーセラー街境にあるエントレリオとモレーノ通りにあるボリーチェ“エル・ペラード”で行なわれた。この“返り果し合い”は両方の盛大なグループの傍聴人達を再び招集する事になった。ガルデルは若い歌手フランシスコ・“パチォ”・マルティーノを伴い現われ,会合は前回にも劣らず盛況のうちに常連の一人エンリケ・ファルビの家に場所を変えて続行された。

ここでの新しい成果はカルデル(当時はガルデスの姓)と“パチョ”マルティーノとの二重唱の結成誕生であった。ブエノスアイレス市内から近郊へ冒険的な歌巡業に出る計画をたてる。この巡業は余り期待出きる明るい兆しが見えない一抹の不安が掠めたが,彼等はまだ安定した定職を獲得してはいず,この様な冒険も試みる必要に迫られていた。そこで開通したばかりの西部方面行きの鉄道沿線のチリビコイか多分メルセデスへそしてアルベルティー,ブラガード,ヌエベ・デ・フリオの各田舎町へ向かう。しかしながら,無名の彼等を受け入れ歌わせてくれる興行映画館も劇場も無く,空しくブエノスへ戻る覚悟をきめた矢先にグアナコという町でほんの微かな微笑のウインクを差し向けた人が現われる。その人はクリマコ・スカラと呼び,この町のドリースダレーとロカ通り角に小さなバーを経営。ガルデル達はそこで熱い歌演技を興じ,まずまずの満足をえる。この受け入れは彼がルデルには良き忘れ難き思い出となり,3,年後に再び訪れ興行することになる。彼達は次に商業で栄えるヘネラルピコへと向かい,そこでも彼等を受け入れてくれる興行主を見つけられず落胆の内に首都に帰還する。一方の“オリエンタリート”ことラサーノは彼等のグループに参加しなかった事を後悔の念に悩まされていた。カンティーナ“チャンタ・クアトロ”で三人は合同して未来の親交を深める約束をする。その後、“カサ・スイサ”の魅力的な慈善興行を催しで拍手の余韻が醒めないうちにと新たに地方興行の冒険を模索すべく決心する。この興行にはマルティーノとラサーノも旧知の仲のクジャーノ,サウル・サリーナスも臨席していたが,彼サウルも“エル・モローチョ”のグループ参加に興味深々であった。

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2011年8月30日火曜日

ガルデルのCD-2(16~18曲)

⑯:ラ・チーナ・フィエラ(やり手少女)/エスティーロ/18007A/
歌:ガルデル-ラサーノ/
作者:ガルデル-ラサーノ/

Dice que mi china es fiera/皆が俺のあの子はやり手だと言う
y se parece al carpincho,/カピバラにそっくり
que su voz es un relincho/その声は嘶きそのもの
y su boca una tranquera,/その口は柵トビラ
y su boca una tranquera!/その口は柵トビラ!
Que es una prienda cualquiera/それは取るに足らないプリンダ
del mismo valor que el toro/牛と同じ値打ち
que tiene al andar saber/旨くたちまわり
igual al de mi potranca/俺の子馬と同じだ
que es brisana y media manca/それはみな知っている半まぬけ
yo sin embargo la quiero./だけど俺は愛してる.

言葉の意味/carpincho:カルピンチョ即ちcapibara:/カビバラ:
南米の川岸に生息するげっ歯類動物,肉は美味で食用になる。
Priendaプリンダと読むが誤字ではないかと思われる

⑰:ジャ・カンタ・ガージョ(もう鶏が鳴く)/サンバ/18008A/
歌:ガルデル-ラサーノ/
作者:フェリクス・スコラッティー・アルメイダ/

Cuando las aves duermen ,/鳥達がねむるとき,
y obra el silencio ./自然は静粛する.
Cuando las aves duermen ,/鳥達がねむる時,
y obra el silencio ;/あたりは静粛する;
por visitar la pampa/パンパを訪れころ
yo estoy sufriendo y sufro por ti ./俺は苦しむ,そして悩むよお前のために
Ay ,ay ,ay ,de mi !/アィ,アィ,あぁ俺は!
Luego es de mananita ,/あさあけの後,
ya canta el gallo ./もう鶏がうたう
Luego es de mananita ,/あさあけあと
ya canta el gallo ./もう鶏がなく
Pero en su solo canto/しかし,それを唯うたうのみ
yo estoy llorando y lloro por ti/俺は泣き崩れ,お前のために泣く
Ay ,ay de mi!/アィ,アィ,あぁおれは!
Muchas veces sabiendo/いつもの事と知りながら
que te amo tanto ./お前故に
Muchas veces sabiendo /いつもの事と知りながら
que te amo tanto ./お前故に

⑱:アマルグーラ(悲嘆)別名:エル・フロリデンセ(花盛り)/エスティーロ/18008B/
歌:カルロス・ガルデル/作者:マシエル-ディアスとあるがアンドレス・セペダ作である/

Llora el ave cuyo nido ,/鳥が嘆くよ,その巣で
en la noche llevo el viento ,/風が飛ばした,その夜に
cuan amargo es su lamento ,/それはかれの悲しき同じ苦しみ
como triste es su gemido ./それは悲しみのなき声
profunda la pena al vivo /生きみの苦痛深く
no forma luego en nidal /ただちに作れぬ隠れ場

Y cantando sin cesar /そして,やみ終えないさえずり
vive feliz y contento /生きる喜びと幸せに
ya el ave no se lamenta /もう鳥は悲しまない
ni tiene porque llorar /何故泣く事もなく

Yo mas infeliz que el ave ,/俺は鳥より更に不幸せ
mas infeliz que rosal /更にバラの木より不幸せ
no hallo remedio a mi mal /わが不幸には救いもない
pues nadie curarlo sabe ./それゆえ誰も手当ての手が出せぬ
Cuanto de ventura cabe /すべての運がありえるか
en un hombre , en mi han de hallar /ひとりの人に,我が存在を見出して

Naci para atesorar /たくわえる為に生まれ
de la vida las congojas /苦悩人生の
soy rosal sin flores ni hoja /おれはバラの木,葉も花もなく
y canto por no llorar ./そして,なかない為に歌う

注:“ジァ・カンタ・ガジョ”の作者,フェリックス・スコラティー・アルメイダは1891年10月3日にイタリー,ミランに生れる。ミラン市ギセップ・ベルディ音楽学校に学ぶ。1907年17歳の時に移民の一人としてブエノスアイレスヘ到着する。その後音楽修行を重ね,ピアニスト,作詞,作編曲家となる。そして,ナショナル劇場にオーケストラの作曲と指揮を担当するまでになり,そこで計らずしくもガルデル-ラサーノ達と共演活動する境遇になる。1917年7月2日にオデオン劇場にてカルロス・スチェフェ.・ガジョ作品“エル・セルカード・アへーノ(他人の囲われ物)”をビトーネ-ポマール劇団の元でデビューする。“クルトゥーラ・ラジオ(文化放送)”に古典フォルクローレのオーケストラを指揮して出演した。その他,ラジオ・ドラマや演劇の音楽も数多く手がける。カルロス・ガルデルが彼フェリクスの作曲したサンバ“ジャ・カンタ・ガージョ”を初め,ワルツ(バルス)“アィ,エレーナ”,“アィ,アゥローラ(あぁ,あけぼのだ)”,バンブーコ“ミス・ペーロス(俺の犬達)”,クエッカ“ラ・ジェゲシータ(小雌馬,あばずれ娘)”,トナーダ“ミ・パロミータ(俺の鳩)”をレパートリーにした。これらの作品はガルデル-ラサーノ達のチリー公演(1917年10月)に参加した時のチリー民謡をモチーフにした産物であり,“ガルデル-ラサーノ”レーベルで1918~19年に録音された(次回のCD‐3で紹介する)。このチリー公演ではパキータ・エスクリバーノのオーケストラに共演参加,ガルデル-ラサーノ達が11月12日を以ってサンチァゴ公演を終えメンドサに向かうとフェリックスは民謡歌手ロクサーナとペルーへと巡業の足を伸ばした。ガルデルの歌った他の曲では,エンリケ・マローニ作詞のサンバ“ラ・サルテニータ(サルタの乙女)”に曲を付け,タンゴはルケ・ロボ作詞“ラ・マスコティータ(マスコットお譲さん)”,エンリケ・マローニ作詞“ビルヘンシータ・デ・ポンページャ(ポンページャの聖女)”,パシージョ“ミス・フローレス・ネグラス(おれの黒い花々)”の編曲をした曲などを取り上げている。彼は1964年8月27日,ブエノスアイレス州フロレンシォ・バレラにて没,72歳の人生を全うした。

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2011年8月27日土曜日

がルデルのCD-2(13~15曲)


⑬;レクエルドス(思い出)/エスティーロ(バルス?)/18006B/
歌:ホセ・ラサーノ/作者:アルフレッド・ペラィア/

Murio mi companera idolatrada /わが溺愛の伴侶の死
la mujer que jamas olvidare , /決して忘れ無き女
y que tengo en el alma reflejada , /魂あらわし保ちつつ,
como tiene en su seno la alborada /夜明けのたもとの様に
la estrella del callado amanecer . /あさあけの沈黙した星々

En la noche callada y misteriosa /謎と静粛な夜に
su recuerdo me inunda el corazon /わが心にしみこむ貴女の面影
y su nombre dulcisimo reboza /みなぎる夢想シズムの名残り
de mis labios temblando de passion . /情けふるえの我が口許
Ella fue la esperanza de mi vida , /かの女は我が命への望み
mi consuelo, mi dicha y mi sentir ; /わが慰め,わが幸せ,わが心情;
la adorada mujer , que no se olvida /愛しきの女,けっして忘れことなく
y que se lleva en el alma hasta morir . /魂共々命果てるまで.

⑭:ラ・マドゥルガーダ(明け方)/トナーダス/18006A/

歌:ガルデル-ラサーノ/作者:サウル・サリーナス/
テーマは農村の歌謡であるが,サリーナスの得意な愛の告白をガルデル-ラサーノは美声に任せて見事に謡い挙げている

No ver a tu corazon ? /おまえの心を妄想するのは,
que dice usted ? /どう思うかい?
adorada prenda querida /愛する証の敬慕女
ahi ha de ser , /そんな事はそれこそ当たり前,
y vera que por tu amor /おまえの愛ゆえの傍らで
que dice usted ? /どう思うかい?
estoy al perder la vida , /俺は命を失った様
asi ha de ser /そんな事は当たり前
No te duermas mi querida /愛する人よ眠らないで
no te duermas mi adorada, /愛する人よ眠らないで,
que viene aclarando el dia /陽は明けて来る
la madrugada ! /あさあけ!
Estoy al perder la vida , /俺は命失なったよう
que dice usted ? /どう思うかい?
En la agonia muy fuerte /強い苦悶のはて
asi ha de ser /そんな事は当たり前
Al verte todos los dia /毎日会うときに
que dice usted ? /どう思うかい?
mis ojos lloran por verte /おまえに会うのに俺の目は涙ぐみ
asi ha de ser /そんな事は当りまえ
No te duermas mi querida , /愛する人よ眠らないで
no te duermas adorada… /愛する人よ眠らないで...
que viene aclarado el dia /ひはあけてくる
la madrugada ! /明け方!

⑮:エル・ティラドール・プラテアード/エスティーロ/18007B/(CD‐1の1曲目と同じ曲)/歌:カルロス・ガルデル(当然,CD-1の録音より聞き応えあり)/ガルデル,ウルグアイ人を唱える派にとってのその情熱の証がこの曲。それは作者のオスカル・オロスコがウルグアイ国パイサンドゥー出身であり,この詞の原作者の事実がアンヘル・プグリッシにより明かされ,1952年にセグーロ銀行のカレンダーに全内容の詞が載せられた。そこで不足の後半部分をここに載せるとしよう。

“No me puedo acostumbrar /“俺は適応できない
a estar tan lejos de ti ,/ お前と隔たれているのが,
y a no comer camoati /そして,カモアティも食べられない
de aquel que me soles dar , /俺にいつもさずけるあの物,
y ahora te quiero endilgar . /今はお前におしつけたい
todo lo que le pareces /すべてそう思う
a tu gaucho payador . “ /お前のガウチョ・パジャドールに.“

 注:Camoati:カモアティ:スズメバチ:ラ・プラタ地方では食用にするらしい


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2011年8月19日金曜日

ガルデルのCD-2(10~12曲)


⑩:エル・モーロ(馬の名前)/カンシオン/
歌:ガルデル-ラサーノ/作者:カルロス・ガルデル/
歴史家フアン・アジャラによるとフアン・マリア・グティエレス作の詩“エンデチャ・デル・ガウチャ”(ガウチォの哀悼歌)だと指摘する。そのテーマはガウチョと馬を詠ったもの。そして,そのメロディーはビセンテ・グレコ作曲のタンゴ“エル・エストリボ(鐙)”とホセ・ベティノティ作“ポブレ・ミ・マドレ・ケリーダ(哀れな我が愛しの母)”と酷似しているが,ガルデルの失った馬への思い込みが見事に現われた歌唱に仕上がっている。

A mi nada me faltaba/俺には何も不足するものは無かった
cuando a mi moro tenia./俺のモーロがいた時は
A mi nada me faltaba/おれには何も足りないものは無かった
cuando a mi moro tenia./おれのモーロがいたとき.
libre era cuanto queria,/ほしいままに拘束も無い,
ni alcalde me perseguia,/村長すらおれを付きまとわない,
cuando a mi moro tenia./おれのモーロがいたとき.

Mi caballo era una flecha/おれの馬は矢のごとく
cuando la espuera le hincaba;/拍車がくい込むとき;
Mi caballo era una flecha,/おれの馬は矢のごとく,
cuando la espuera le hincaba,/拍車がくい込むとき;

Tanto caballo cansaba/馬が力ついた時
cuando en mi mano derecha/おれの右手に
la bola certera alzaba;/確かな玉を挙げる時
mi caballo era una flecha./おれの馬はやのごとく.

⑪:ウナ・ロサ・パラ・ミ・ロサ(バラの花をロサに捧げる)/カンシオン
歌:ガルデル-ラサーノ/彼等の二重唱が“アルメノンビージェ”キャバレーでデビューした時に披露している曲。バラに化身させた愛をうち明ける心を歌う。 
作詞:サウル・サリーナス
作曲:ホセ・ラサーノ

Toma esta rosa encarnada/化身したこのバラをうけ取れ
y abrila que esta en capullo./そして,このつぼみを開け
Y veras mi corazon,/おれのこころを覗くだろう,
abrazado con el tuyo;/おまえと絡んだ;
y veras mi corazon/おれのこころを覗くだろう.
abrazado con el tuyo./おまえと撒きついた.
No llores, mi alma,/なくなよ,我が魂,
no llores no;/だめだ,なくなよ;
que por tu pena,/おまえの悲しみの故,
me muero yo./おれは死にそう.

La rosa que tu me diste/おまえがくれたバラ
en prueba de nuestro amor,/我々の愛の証
fue cortada ante de tiempo/時以前に隔たれた
y la ha marchitado el sol./そして,陽が色あせり
Y la ha marchitado el sol,/そして,陽が色あせり,
la rosa que tu me diste./おまえがくれたバラ.

No llores mi alma,/なくなよ,我が魂,
no llores no;/だめだ,泣くなよ;
que por tu pena/おまえの悲しみの故
me muero yo./おれは死にそう.

⑫:ガウチャ/エスティーロ
歌:ホセ・ラサーノ
作者:ホセ・ラサーノ

Entreabrio la rosa el broche/半開きのバラの鍵ホック
a los besos del sereno/ささやかな口づけに
pa’ recoger en su seno/胸もとにひきよせ
las lagrimas de la noche/夜のなみだ

Y al darselas en derroche/それに贅沢を手許へと
se incline la bella flor,/甘美な花にうなずいて
admirado el ruisenor/サヨナキ鳥が感嘆
al contemlarte sonriete/微笑み見とれつつ
fue coronando tu frente/報いた顔つき
con suaves trinos de amor./優しき愛のトリノス

El aura al pasar ufana/みずみずしき曙
por detras de la cuchilla,/刃隠れを
puso en tus frescas mejillas/おまえの爽快な頬へおく
copitos de nieve y Grana./一杯の雪とたね.

Sonrio amante la manana/夜明けにほほえみの愛人が
sobre tus labios en flor/花添えておまえの口元に
el ceibo en flor que soy yo/セイボ花はおれ自身
fue tu vida perfumando/香水に満たされたおまえの人生
y el aura al pasar volando/そして,飛び過ぎるそよ風
que misterios te canto./謎が歌いそえるる

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2011年8月17日水曜日

ガルデルのCD-2(7~9曲)

⑦:ラ・ウエジャ(痕跡)/カンシオン/歌:カルデル-ラサーノ/
作詞:ホセ・ラサーノ/
作曲:カルロス・ガルデル/

A la huella, huella,/こんせき,痕跡へ,
huella cantando;/歌いながら,わだちへ;
cuando mas te va se me olvida/おまえは去る時俺を忘れはて
mas me va gustando./おれには結構な事.

Por entre totorales/ととらのひげみなか
formando espuma/あわが湧き上がり
va corriendo el arroyo/流れにゆだねいく
a la laguna./みずみへ

El amor es un nino/愛は幼き
que cuando nace/生まれ時
con cualquier carinito/誰しもいつくしみと共に
se satiface/満たす
pero en creciendo,/しかし,大胆になり,
pero en creciendo/しかし,そだちいく
cuanto mas le van dando/すべて更に齎しいく
mas va pidiendo./更に望みに達する

⑧:ラ・マリポーサ(蝶)/エスティーロ歌:カルロス・ガルデル/
アンドレス・セペダの原作曲と同曲(CD‐1;9曲目)

⑨:ラ・クリオージャ(生粋の南米女)/カンシオン/
歌:ガルデル-ラサーノ/作者:ガルデル-ラサーノ

Vos sos la criolla mas hermosa,/あなたは実に魅惑的なクリオージャ,
la que ha dado a las pampas argentinas/アルゼチンのパンパが与えた
todo el fuego de su amor./愛に炎のすべてに.
Vos sos la criolla legendaria de un pasado./あなたは過去のクリオージャ伝説,
que ha dejado en nuestras almas/我々の魂にやきつけ
un recuerdo alentador./一つのはげましの思い出.

Vos sos la luz, el sol,/あなたはひり,お日様,
el aire suave, embriagador;/爽やかな風,陶酔の,
vos sos el dulce trino/甘美きさえずり
que modula el ruisenor./小夜なき鳥のさえずり如く

Yo soy un pobre peregrino sin consuelo/われは慰めも無い悲しき巡礼もの
que contempla marchita para siempre su ilusion;/色あせためぐらし,常に幻想;
el que canta eternamente bajo el cielo/永遠に空の下で歌い
esperando que el pagues algun dia su passion./何時かの日に激情にゆだね償いの恵みを
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2011年8月13日土曜日

ガルデルのCD-2(1~6曲)














ガルデル-ラサーノ二重唱はマックス・グルクスマーン商会“ナショナル-オデオン”で1917年4月9日にレコード録音を開始した。場所は今のカジャオ大通りとペロンの交差した所の近くでバテェ・フイルムの映画用フィルム倉庫であった。ここの持ち主はマックスの本名はモルデチァイ・ダビーデ・グルクスマーン(1875‐1946)でオーストリアから15歳の時に亜国に移民した。そして,後にオデオン・レーベルの代理店代表に伸し上がる人物である。

ガルデルのCD‐2(1~7曲):マックス・グルクッスマーン商会所持の“ナショナル‐オデオン”,“クリオージョ‐オデオン”,“ガルデル‐ラサーノ”レーベルのアクスティク(機械式)録音/ギター伴奏はホセ・ラサーノ,ホセ・“ネグロ”・リカルド/このCDも全曲フォルクローレで占められている


①:カンタール・エテルノ(永遠に歌う
副題:アマメ・ムーチョ(愛して)/カンシオン
歌:ガルデル‐ラサーノ二重唱
作者:アンへル・グレゴリオ・ビジョルド
まぎれも無くタンゴの発祥時代に大奨励した人物で,世界的大ヒットしたこの“タンゴ”を知らない人でもキスオブファイアとしての“エル・チョクロ”を知っているだろう。その作者がアンヘル・ビジョルド。彼の有名な曲には1903年作の“ポルテニート”から“エスキナッソ”,“ラ・カプリチョサ”,“ラ・モローチャ”,“ジュンタ・ブラバ”など,その他多大な数の作品がある。タンゴ発祥時代に活躍した下町のしがない音楽家であるが器用にギター,ハーモニカ,ピアノ,バイオリンまで弾きこなしたという。ガルデル-ラサーノも“タンゴの父”への何らかの尊敬の上に,この曲“カンタール・エテルノ”をとりあげたのだ。

Alla en la noche callada/静寂な夜のあの頃向に
para que se oiga major/更に聞こえ届け
amame mucho que asi amo yo/俺が愛する如く愛しておくれ
Alla en la noche callada/静寂な夜のあの頃に
para que se oiga major/更に聞こえ届け
amame mucho que asi amo yo/俺が愛する如く愛しておくれ

Canta el ruisenor su trino/三位一体の小夜なき鳥がさえずる
Ay si…ay no…/其れはいい...それはやだ...
Canta el ruisenor su trino/三位一体の小夜なき鳥がさえずる
Con melancolica voz,/メランコリーなさえずりで
Amame mucho que asi amo yo./俺が愛する如く愛しておくれ.
No creas que porque canto⋰歌う何故かと信じないかい
tenga el corazon alegre,/嬉しい心を保ちなさい
amame mucho que asi amo yo,/俺が愛する如く愛しておくれ.


②:エントレ・コローレス(艶色の狭間で)/シフラ
歌:ホセ・ラサーノ/
作者:ホセ・ラサーノ,
彼がガルデルとの出会いの夜に披露した曲。

Entre colores de grana/深紅色がかり
rey del espacio celeste/空色のあいだの王様
el sol se asoma en el este/東方にのぞく太陽
con majesstad soberana/きだかき君主

Ya la golondrina ufana/いまや,ほこらしげのツバメ 
emprende su aereo viaje/空の旅へとびだし
y a jugar con el oleaje/そして,大波に弄ぶ
bajo aquel cielo sin bruma/霧なきあの空の下
en lo blanco de su espuma/白きあわにて
tiende su negro plumaje/黒い羽衣をのばす.

③:エル・ソル・デル・25(ベイティシンコの太陽)/ガト/
歌:ガルデル‐ラサーノ二重唱
作詞:ドミンゴ・ロンバルディー
作曲:ガルデル‐ラサーノとあるが原作者はサンティアゴ・ローカである
25とは1810年5月25日の日付け,即ちその日は革命の日だと言う。それに元づいた記念的な歌,クリオージィスト(生粋主義者)の集まる“エル・フォゴン(かまど)”なる場所でロンバルディーとローカにより作られた。

Ya el sol del veinticinco/25日の太陽はすでに
viene asomando ,/覗きくる,
ya el sol del veinticinco/25日の太陽はすでに
viene asomando/覗きくる
y su luz en el Plata/銀色の光と
va reflejando,/すでにかえり輝き
y su luz en el Plata/銀色の光と
va reflejando./かえり輝きながら

(recitado)語り
Oido?.ya lo anuncia la voz del canon,/聴いたか?大砲の轟きを
icemos a tope nuestro pabellon/われ等の国旗を高々に掲げよう
y las campanas/それに鐘々も
mezclan sus alborotos/かの怒号が混ざりこみ
al de las dianas/起床ラッパとともに.

“Viva la patria!” se oye/等々力の“祖国バンザイ”
y el clamoreo,/それと沸き上がり歓声,
hace dentrar en la sangre/血が燃えたぎる
cierto hormigueo,/多勢の群集
hace dentrar en la sangre/血を燃えたぎさせる
cierto hormigueo./多勢の群集

④:ア・ミ・モローチャ/エスティーロ
(アンヘル・ビジョルドの同名曲のタンゴと間違わない様に)
歌:ホセ・ラサーノ
作詞:ホセ・ラサーノ
作曲:カルロス・ガルデル

Sos la moza gentil/あなたは魅力的な美人
elegante de pintar;/エレガンスな化粧
la de labios coloraos/紅色ずけた口もと
como pimpollo de abril;/4月の蕾みの様に
la que ha sido en el pensil/エレガンスな佇まい
envidia de los colores;/羨望の色彩深く
la que ha nacido entre flores/花々に埋まれて生まれでる
y se ha arrullao con la luna./月と共に甘くささやく
te has dao por milar la cuna/ゆりかごへ眼差しを捧げ
del alma de mis amores./我が愛の命

Yo te mire en los juncales/しなやかさを見つめて
y al mirarte, tus ojazos,/眼差しを,貴女の瞳を
lampa de mi buey “chispazos”,/我が牛“ひらめき”の熱望
como rayos infernales,/地獄の閃光のように
y esas son las senales/それはまえふれ
de no se que maravilla/すばらしさ知らずして
pues en la forja, “la orilla”,/それは耐える事,“そよ風”,
al verte cruzar paloma,/覇とが横切る身と遂げて
florecieron en la loma/丘は花ざかり
hasta el cardo y la gramilla./スズメノヒエとアザミまで
pensil:pendiente/ojardin colgante y hermoso/エルガンス

⑤:ブリサス(そよ風)/カンシオン
歌:ガルデル-ラサーノ
原作:ホセ・マルモルのブリサス・デ・ラ・タルデと同曲(CD‐1;11曲目と同じ)
歌詞は前編を参照ください

⑥:エル・パンガレ(敏速な淡色毛並みの馬)/エスティーロ
歌:カルロス・ガルデル
作者:カルロス・ガルデル
原作はアルシデス・デ・マリア著書“カント・トラディショナル(伝統歌)”の登場人物の若死にしたウルグアイ人歌手,イグナシオ・リベロール(通称フアン・ホセ)をテーマにしたモチーフをもとにしている

En un pingo pangare,/バンガレ馬にまたがり
flete guapo coscojero,/洒落た悪賢い駿馬,
buen herraje, lindo opero,/上質な銀かざり,美しいしぐさ,
en direccion a Pigue,/ピゲーに向かい,
va el paisano Cruz Montiel./同郷のクルス・モンティルと行く.
orillando una canada,/小川沿いに,
con camisa bien planchada,/折り目正しき着飾りで,
un clavel rojo retinto,/一輪の赤褐色のカーネション,
punal de plata en el cinto/銀の刃刺しを腰にため
y bota fuerte lustrada./磨き上げ強烈なブーツ.

Voy en busca de un lucero/明星探しに出かけ行く
a quien le ha tendido el ala/何者も気力を引き締め
y llevo el clavel por gala/カーネーションを晴れがましく
en la cinta del sombrero…/帽子のリボンに...

Yo soy un criollo altanero/俺は尊大なクリオージョ
cuando de mi honor se trata/わが名誉あつかいする時
el valor se desbarata/そこなわれぬ勇気
ante el mas minimo antojo/より少ない気紛れの前で
y el punal de aquellos ojos/あの瞳の一さし
con que mi prenda me mata./我が装飾着が苦しめる

馬上操り詩想にくれてパンパ平原を行く。
あたかもガルデルが少年期に故郷タクアレンボー地方のパンパを放浪していた時の叙景を彷彿させる。彼は少年期から巧みな馬使いを心得ていて,乗合馬車の御者も勤めていた。

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2011年8月11日木曜日

ガルデルのレコードの謎

サウル・サリーナス-ガルデル二重唱の録音の存在:

この録音はマックス・グルクスマーン商会の所持する“ナショナル”レーベルに1916年にサリーナスとガルデルが二重唱を組み、ガルデルがセコンドの声を受け持っていたとされる録音で,次の曲がある。
“ラ・ロサ(バラ)”レコード412,
“エル・セグンド・カニャベラル”レコード413,
“ラス・ボリビアーナス(ボリビア女)”レコード414,
“エル・パハリージョ(戯けごと)”レコード414,
“メンドーサ”レコード416,
“トード・オ・ナーダ(全てか無か)”レコード419,
“サンティーゲニャ”レコード418,
“ミ・ネグラ(愛しき人)”レコード417,

次の曲についてはガルデルの声であるかどうか疑問であるという説がある。
“ポル・ウン・ポキート・デ・アモール(僅かな愛の為に)”レコード415
“ラ・センダ・マルディータ(呪うべき道)”レコード416
“ペンサミエンド(思考)”レコード419
“エル・ビノ・イ・ラ・ムへール(女とワイン)”レコード417
レコード番号が同数は対になる

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2011年8月9日火曜日

ガルデルのレコードの謎

ガルデルの生存初のレコードに纏わる霧に霞んだ謎


この章はガルデルを真に賛美,心酔,崇拝する人々に捧げることにしましょう。彼を語るには眩暈するかのごとく回転する黒い盤(即ちSP,LP盤)のみに一言できない。それは包まれた謎の数々。不可解な空洞に消滅した録音の数々,コレクターが観念的に探す未発売タイトル,発見不可能なレコードなど。まだまだ,近年になっても興味つき無い話題は沢山ある。ここでは前編(8月3日)で紹介したCD‐1の補足として14曲以外に存在した録音と、その曲名をテーマにします。この未発表曲(没にされた?)については昨年10月の投稿記事で“エル・プレショネーロ”なる曲のみが発売されなかった様に書きました。しかし,その曲はエスティーロ“ア・エドゥワルド・ニゥーベリー”ではないか,また,それともこの曲“エル・プレショネーロ”とで8枚目を構成していたのではないかとも考えられます。他にも“ミ・テチョ・デ・エストレージャス(我が屋根上の星々)”,“グロリオソ・センテナリオ(百年の栄光)”,“ラ・ティシカ”などの曲のレコードも含まれていたという事です。全体で44曲22枚のレコードが録音されていたと言う説まであります。また,サウル・サリーナスとの二重唱でのセグンドボーカルがガルデルがあるという説の録音の有無。これらの貴重なレコードはタジーニ商会が破産消滅した際に多数が積み上げられて放棄処分されたとか。1955年にこのシリーズ(1912年録音)内の4枚のみのマスターが再現されています。曲は“ポーブレ・マードレ”,“ミ・チーナ・カブレーラ”,“ラ・マニャニータ”,“ジョ・セ・アセール”でギター伴奏は本来のガルデル自身ではなくてロベルト・グレラに技術的に吹き込み変えられています。もしかすると,このSPレコードは日本でも入手可能だったのではないかと思われます。その一枚の“ジョ・セ・アセール”のレーベル写真を何方かのブログで見た気がするのですが...

注記:エドゥワルド・ニゥーベリーという人はアルゼンチンの航空界のパイオニア的人物

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2011年8月4日木曜日

幻のレコードレーベル




















アトランタレコード:カラ・スシア(汚れ顔)
オルケスタ・ティピカ・カナロ

横道に反れるのだが、ガルデルもレコード録音したのではないかと言われた謎のレコード・レーベル『アトランタ』は1913~17年に存在した。歴史的にも貴重な真実の立証的資料なので、ここで紹介するのも無駄な作業には成るまい。

創業者はイタリー人、アルフレッド・アメンドラ氏による。当時タンゴとクリオージョ音楽界の演奏家や作者達の豊富な活躍の穴場であり、創業者のアメンドラ氏は若くしてアルゼンチンに移住し、全スタイルに及ぶ音楽家でもあつた。又、全ての音楽家にレコード録音を可能にするべきをモットーにして、彼は1912年半ば頃にドイツへレコード録音会社と条約結びに、ライセンス獲得と録音装置の買い込みに出向く。そして,ドイツ人録音技師をも伴い帰国。1913~15年の間にダイレクト・カッター法(手順は簡単なアクスティク方式)による、レコード製作作業に従事させた。1913年3月31日(月)にアメンドラ・イ・シアイエー商会が発足し、販売店はエスメラルダ通り274番のサン・マルティン劇場の真向かいに開店。その奥の倉庫でこのレーベル初の録音が次のグループ群のロンダージャ(ロンダ)・バスケス、アルトゥーロ・デ・バッシ指揮によるロンダージャ・アトランタ、タノ・へナロ五重奏、ロンダージャ・フィルポ、ビセンテ・グレコの“ガローテ”五重奏、アグスト・ベルト五重奏、ロンダージャ・デ・プルデンシオ・アラゴン、ロンダージャ・ベビラクグ、アトランタ・バンド、ギター独奏家アグスティン・バリオス、アルトゥーロ・べレンスティンの“アレマン(ドイツ人)”五重奏、カレリ五重奏団等の多数の演奏家達の参加で行われた。その一年後には更に広い場所、カジャオ大通350に移転した。ブエノス・アイレス市立楽団、コロン劇場オーケストラ、バイオリン独奏者フェルーチオ・カテッラーニとアグスト・マウラジ、俳優エゥヘニオ・ヘラルド、女優ブランカ・ポデスタと俳優アルベルト・バジェルーニ、そして、当時の大道化師フロレンシオ・パラビチーニ、歌手サウル・サリーナスとアウグスト・デ・ギウリ、アンヘル・ビジョルド、アンヘル・グレコ、ホセ・ベティノティー、フアン・サルシオーネ、アルトゥーロ・カルデリージャ、アルフレッド・ゴビ(父)夫妻、ホセ・シルバ、パジャドール・アストル・ボログリーニ等達の蒼々たる面々がレコード録音を残した(ここでガルデルの名は出て来ないので、彼のこのレーベルのレコードは存在しない事実が明確した事になる)。しかしながら、第一次世界大戦の没発により、ドイツ間との商業継続が不可能になる。そこで創業者アメンドラはブラジル南部都市ポルト・アレグレにあるレコード製造業者サベリオ・レオネティーを訪ねて、レコード録音の商業契約を結ぶ。そして、当初アストル・ボログリーニとフランシスコ・カナロが録音をする為に現地に向う。そうして,アメンドラの事業は順調に発展して行くが、大戦の長引きによる影響を受けた。特に原料運送中のドイツ船が大西洋遡航中に撃沈され、原料供給不足に落ち込みレコード生産不能となり、ついに倒産。1917年“アトランタ”レーベルは消滅した。

ホセ・ベティノティの“アトランタ”での録音レコード:“フィロソフィア・ガウチャ(ガウチョの悟り)”、“エル・プレソ(囚人)”、“メモリアス・アル・パジャドール・オリエンタル・セサル・イダルゴ(東方吟遊詩人のセサル・イダルゴ)”、“コントラステ(明暗)”、“デル・アラバル(場末から)”、“エル・カブレーロ(怒りの男)”、“ポブレ・ミ・マドレ・ケリーダ”、“シビカ・ラディカル(急進公民)”、“レクエルドス(思い出多く)”、“エル・オガール(家庭)”、“コモ・キエレ・ラ・マドレ・ア・スス・イホス(母が子供達に継げる愛情)”、“ア・ミ・マドレ(我が母へ)”。アンブロシオ・リオとの二重唱で“オブセキヨ(心遣い)”などの録音もある。
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2011年8月3日水曜日

ガルデルのCD-1(11~14曲目)

⑪:ブリサス・デ・ラ・タルデ(黄昏のそよ風)/カンシオン/
作詞:ホセ・マルモル/作曲:カルロス・ガルデル
テーマはホセ・マルモルの詩“メランコリア(悲哀)”を基にしている。だが,アルトゥロ・マートンの曲“エジャ(彼女)”と チェブリエール作曲の“エル・パロマス(鳩)”に極似しているらしい。

Jugad con vuestras alas !oh brisas pasajeras!
賜る我々の翼に!オー,なぎるそよ風!
de huerfanos suspiros de mi secreto amor;
ため息も失うわが秘愛
amor sin esperanza pero de que hace alarde
見せつけられの果て望みも無き
mi corazon que sufre su redes que al ardor
みまわり激しき悩みしわが心

Llevadla, si, piadosas con besos en la frente
よびおこし,たとえ,見え末のくちづけの慈悲深く
a un orquestiada fama con forma de mujer
貴婦人容姿のうわさを言いふらす
sobre tu blancas sienes dejala dulcemente
こめかみ白き甘き振る舞いにつつまれ
cuan unica corona que puedo yo ofrecer.
いかに栄冠のみ捧げ与え出来るとも,

Tu giro es el que nace de seno diamantino,
君の言い回しはダイアモンド風胸に生える
donde se guarde mi alma la sensibilidad
わが繊細な魂の拠りどころ
unico bien que nunca me arrebato el destino
隋一の善は我が宿命奪うことなく
con su serena impura de mi sensibilidad
我が繊細のふしだらと君のさわやかさと共に

Mi amor !oh tu, carino de ardiente fantasia
わが愛しき人よ.!オー君よ,燃える幻想の慈しみ
mi amor es como el alma con lagrimas de fe
我が愛は誓いひずく如き
amor que se confunde con la melancolia
愛は悲哀ととうわくさせ
coronados jasmines
ジャスミン飾り
con hojas de cipres.
イトスギの葉とともに

⑫:エル・アルモハドン/バルス/作者:アンドレス・セペダ‐カルロス・ガルデル
曲はホセ・ベティノティーの“トゥ・ディアグノスティコ(君の判断)”に酷似している。それにしても、歌から歌え謡い継がれきた。クリオージョの古いメロディーの影響から抜けられず、、、とはいえ、見事にガルデル・スタイルに処理されている。

“Una mano despiadada/“無慈悲な手並み
tal vez con maldad profunda/たぶんそこ深き悪辣で
vino a romper a la funda/布おい裂き来る
de mi querido almohadon./わが愛する枕

Me causo tanta tristeza/悲しみ更に引き起こし
al contemplar la rotura/裂け目を眺め
que se llena de amargura/なんと辛き満たす
mi sensible corazon./我が繊細心

⑬:ア・ミトレ(ミトレに捧げた愛国賛歌)/バルス/作者:不明(カルロス・ガルデル)
劇作家、弁士のベリサリオ・ロルダンか放浪歌手フエナンド・ヌンシアタの作品ではないかと信じられていたが、すでに1910年にフアン・バウティスタ・エッチャパレの作品として発表されていた事が判明する。メロディーは明快にバルス“ロカ・デ・アモール(愛に狂い)”と類似するとエンリケ・カビリア編集者は定義するが、アンヘル・ビジョルド作の“ボラー・ゴロンドリーナ(ツバメよ飛べ)”、イグナシオ・コルシーニ作の“デカデンシア・クリオージョ(クリオージョの衰退)にさえ疑似するといわれて、作詞、曲とも何れの作者と解明できず、時が過ぎたのである。

En mi alma nacido un anhelo/我が魂に生まれ来た熱望
que su vuelo /かの飛躍
Lo cubre cual buitre/その強欲も負い隠す
que cantar a Bartolome Mitre/バルトロメ・ミトレを歌うことは
hijo heroico de esta gran nacion./この偉大な国家の

Fue su nombre/名声すぎて
y su grato recuerdo/かの快き回想の
en mi pecho argentino se expande/愛国の心情広がり
el recuerdo de glorias tan grande…/栄光まさに偉大な記念

バルトーロメ・ミトレ:1821年生れ~1906年没,政治家,軍人,小説家
1862~1868年間に大統領務める。アルゼンチン,ブラジル,ウルグアイ三国対パラグアイ戦争に参加。1888年の大統領選において,ドミンゴ・ファスティーノ・サルミエントに敗れる。

⑮:ミ・マドレ・ケリーダ(原題:ポブレ・ミ・マドレ・ケリーダ、可哀想な愛しき母)/ビダリーダ/オリジナル作者はホセ・ルイス・ベティノティー(タジーニのカタログによる)/この曲はすでにサウル・サリーナスを代表とするクジャーノ達の間ではすでにポピュラーな主題でひろがり、パジャドールの間では可なり知れた曲であった。ポッポゥーリー(ドミンゴ・サンタ・クルス)、ア・ミ・マドレ(バルス、カルロス・マッチ)、エル・エストリボ(タンゴ、ビセンテ・グレコ)、エル・モーロ(エスティーロ、ガルデル-ラサーノ)、ラ・モントゥーラ(タンゴ、カナロ-エスポシト)、等の曲に酷似している。処が ガルデル(レコード会社?)はこの曲を伝説的作品として取り上げている。

Pobre mi madre querida,/哀れな愛しのわが母
que de disgustados le daba;/失望で思い悩む;
cuantas veces escondida,/幾と無く身を隠す
llorando lo mas sentida/悲しみに泣き崩れ
en un rincon la encontraba/見出した隅で

Que yo mismo al contemplarla/われ自身ご機嫌取り
el llanto no reprimia,/すすり泣き耐えらぬ,
luego venia a conformarla/その後で和解かやってくる
en un beso al abrazarla/抱擁とくちづけ
cuando el perdon le pedia./許しを無心する時に

Por que con ella tenemos/なぜならば彼女とは
un corazon tan ingrato,/ひとつ心の忘恩の
que poco caso le hacemos/少しも気にとめぬ
siendo que el ser le debemos,/当たり前の努めことと知りつつ
para que darle un mal rato./悪き束の間をもたらし

Si es la madre en este mundo/もし母ならばこの世の中にて
La unica que nos perdona,/我々を随一赦し,
Con sentimiento profundo/深き情とともに
sabe amar y no abandona./愛を知りそして見捨てる事無く.

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2011年8月1日月曜日

ガルデルのCD-1(6~10曲目)

⑥:ミ・チーナ・カブレーラ(山羊飼いの乙女)
副題:パランガネアンド(ほら吹き)/エスティーロ/
作者:カルロス・ガルデル:スタイルは本格的ガウチョ音楽であり、スラム街の言語(ルンファルド)の世界に引き込まれるだろう。

Siempre andas palanganeado/あんたはいつもほらふいている
sin yo saber el porque,/何故だか俺にはわかない
me decis que se yo que/おまえが言うには,私の知ってる事かい!
y siempre andas comadreando,/そして,いつも俺のうわさ話を垂れ流し
mira que me estas cargando/見ろよ!あんたは俺を閉口させている
con tu rezongar al cuete,/あんたの文句に酩酊だ
decime hija e’ una gran siete;/むすめよ,云ってくれよ,大嘘つきめ;

Quien te crees que sos, canejo?/誰かがおまえさんは,あの女?
o porque me ves tan viejo/それとも俺はそんなに爺に見えるのかい
me has tomao pal juguete./悪ふざけは勘弁しておくれ
Que te crees si sabes chorra/あんたは信じるか,まぬけ男の知ることを
de que soy algun sotreta,/ところで俺は可なりの役立たず者,
pa que me estires la jeta/馬鹿つらを延ばしくれるかい
y chilles como cotorra,/オウムの様に喚けって,
mira vieja sos muy zorra,/見ろよビエハ(婆さん)あんたは悪賢い女,
para, que estoy comprendiendo,/なぜかって,俺は悟っているんだ,
ya digo si estoy sintiendo,/ジァー言うが俺はすでに気随ているんだ,
el haberme acuellarao/首元で付きまとう
con usted mas condenao/あんたは罪を負うも当然だ
que los diablos del infierno/悪魔の地獄いき.

注記:
canejo:caray!;ちくしょう!
chorra:間抜けな奴
sotreta:役ただず者
vieja:婆さん,(若い者に使う場合は親愛を込める)

⑦:エル・スエニョ(夢)/エスティーロ/作詞:フランシスコ・イシドロ・マルティーノ
フアン・デ・ディオス・ペサの叙事詩よりインスピレーションを受けた歌詞。ガルデ
ルが初めてアバスト市場裏通りのジヘーナ宅でロサーノに出会った時に披露した歌が,この“夢”である。

Anoche, mientras dormia,/昨日の夜,ねむりの間に
del cansancio fatigado,/うんざり疲れの
no se que sueno adorado/熱愛の夢か知らずゆえ
cruzo por la mente mia;/俺の脳裏にかすめ
sone de que te veia,/おまえが来る夢みる
y vos me estabas mirando,/それにおまえが見つめていた,
y yo te estaba contando/そしておまえに語りつつ
mi vida triste, muy triste,/おれの悲しい命,とても悲しみを
y que desapareciste/それはおまえが消えうせたから
al despertarme llorando,/なきながら目覚める

⑧:ポブレ・フロール(哀れな花)/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル-ホセ・ラサーノ/この曲にはイサベル・セシリア・カナベリー作のポエマ“フロール・デ・カルド(アザミの花)”から抜粋したと思われるベルソス(散文詩)が出てくる。

Pobre flor que en el olvido/忘れ去られた哀れな花
me dejo su jardinero/かの庭師が捨て去りし .

Vas y va por el campero/荒地をいく,そしていく
lleno de fragancia y color;/彩と香りを満ちた,
su pureza y tu hermosura/芳しく精らかさを
para siempre la perdiste,/永遠にうしなう

Ya no eres lo que fuiste/すきし面影今はなし
ya nada te queda de flor./もう花盛りも残り無く.
Ya no viene el picaflor,/もうハチドリも来ない,
como en tus horas de amores,/愛のひと時と同じに
para mirar los primores/おまえの繊細さに引き攣られ
que la natura te odio./自然がおまえを憎み

Y la misma mariposa/その同じ蝶々
pronto te acariciaba./すばやく寄り添い.
la que tanto te adoraba,/とても熟愛した,
para siempre te perdio./永遠にすべて失う.

Ya no brillan los encantos,/もう魅惑は輝かず,
de tu galena hermosura;/快い美貌も;
que ayer la vida te dio./いのちさずけのあの過ぎ日.

El tiempo sin primores/時すぎて繊細さもなし
sin sol, solo y sin estrellas/陽もなく,星も無くただ一人
ya no alarga al existencia/人生の向きも変わり
con la sombra se perdio./影と共に失う.

⑨:ラ・マリポーサ(蝶)/エスティーロ/アンドレス・セペダの曲“ゴルヘェオス(さえずり)”又は“ラ・マリポーサ・リビアーナ(浮気な蝶)”に類似している。作者はアンドレス・セペダ‐カルロス・ガルデルと明記されているが,1903,年発行の雑誌ラ・パンパに記載されている,フロレンシォ・イリアルテ(本名イノセンシォ・エレーラ)のエスティーロ“ケハス(なげき)”の作品の出だしに“浮気な蝶は甘美な色をしている”と詠われているのだが。この曲は女優ロラ・メンブリベス(如何なる人物?)に捧げられた。

Tiene muy lindos colores/稀な美しい彩色を携え
la mariposa liviana/ふしだら蝶
mil encantos la manana/夜明けの魅惑無数
tiene la estrella fulgores,/きらめく星々を携え
perfume tienen las flores/花々は香り携え
misterio la fuente pura/すんだ泉の秘め事
el campo tiene frescura/彼方の野原にさわやきを携え
el viento canciones suaves/彼方の風は歌々のこころみ

⑩:エス・エン・バーノ(空しくも)/カンシオン/オリジナルの詩、曲共にスタイルはバルスで、パジャドールであるフェデェリコ・クルランドの作品だが、ガルデルは巧みに簡単な即興演奏より更に高尚へと到達している。彼クルランドはベティノティ、エセイサ、カゾン、トレホ等達と最後のパジャドール・グループに属し、(若くして1917年に没)クルランドの“エス・エン・バーノ”は遺族からのレコード発売を差し止める訴訟されたというが、当時の亜国に置いて作者保護の版権制度も無く。この様な著作権侵害的な例は珍しい事では無く、レコード会社の横暴に任せてられて居たらしい。

En vano,en vano/それは空しい,それは空しい
mis secretos,horas secretas/おれのひみつ,秘密の時
de amor perdi/喪った愛の
Pero no puedo mas acordarte/しかし,もうおまえを偲べない
que para amarte,/いとしつくすため
yo naci./俺は生まれきた

Y aun te adoro/そして今も愛す
con amor ciego/盲目的な愛とともに
con todo el fuego de la pasion/情熱の炎とともに
Oh si permitas/オー,もし赦し願えれば
la paz del alma,/無垢な心よりの平和
la dulce calma del corazon!/歓甘なのどかな心の!
Mi amor es grande,/わが愛惜は激しい
Grande y profundo/深くそして強い
Como en el mundo/天地のごとく
no puede haber/存在する事の無い様に.

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2011年7月31日日曜日

ガルデルの全レコードCD化される(CD-1;1~5曲目)

ガルデルの全録音されたレコードが50枚のCDとして発売されて,動画としてyoutubeにて観られる。そこで99年前に録音された彼の最初になる,一枚目のCDから詞の内容を要約してみた。
このCDは昨年10月に歴史的最初のSP盤として簡単に紹介したが,ガルデルがタンゴ歌手として有名になる以前の隠されたフォルクローレの世界に生きた彼の姿を覗かせてくれる。これは彼のルーツを定める一抹の光の行方さえもが見えてくる。即ち,ガルデルが生きた少年期から青年までの,この世界そのものが彼の模索した知らざれる,誕生地ウルグアイへと行き着くのである。

CD-1(1~5曲目)

①:ソス・ミ・ティラドール・プラテアード(お前さんは俺の銀ベルト)/エスティーロwww.youtube.com/watch?v=kpr0ok9khzR8
作者:フアン・トローラ(ガルデルの従兄弟、本名フアン・グァルベルト・エスカジョーラ)ガルデルは初めこの曲を“アケル・ティラドール・プラテアード”呼び、カルロス・エスカジョーラ・メディーナ(実父とされる人物)の作としていたらしいのだが,真実はウルグアイ国バイサンドゥー出身の詩人オスカール・オロスコの作品である。

“Estamos en el pintado/我々はそっくり
con la tropa en pastoreo,/放牧されている家畜と
porque el paso esta muy feo/それは道の余りにも酷い
y aqui me tiene embretao,/そして,ここは俺を柵にのなかに押し込めた,
Te escribo sobre el recao/伝言としてお前に託す
tan solo por noticiarte,/唯一つ通達するため,
donde me encuentro、y pa`hablarte/俺に出会う処で,そしてお前と語るため
de aquellas cosas queridas,/あの出来事の愛しき事ごと,
Pa’ que veas mi fino amor,/我が優美な愛しき人に見て貰うために,
con todo esmero y primor/細心とすべての気遣いと共に
que he dejado alla perdidas/あの放蕩の気だるさ
al tener que abandonarte./”お前を置き去りにしなければならず“, 

②:ジョ・セ・アセール(俺は成し遂げる)/シフラ/
作者:カルロス・ガルデル‐アンドレス・セペダ/
セペダの詩“ア・エルナンデス”にガルデル自身がオリジナルに創作した曲。
この曲は若きガルデルの最良な作品ではないだろうかと思われる。

"Dijo Hernandez con razon”/エルナンデスは理屈どうり
en criollado lenguaje/クリオジャなまり喋りで
es el nudo que lo fajen/ベルトを結んで
del que nace barrigon,/なんと太鼓腹が生れ

Y cuernante con razon/そして,[クエルナンテ]は理屈どうりに
no creo el osado lenguaje/破廉恥なことばは信じない
salido de los papel(es)/紙片から飛び出しの
del que nace barrigon,/なんと太鼓腹が生れ

Soy de los mesmos crios/俺もそだち盛りとお同じもの
golpiao al tanto comprender/叩かれた様に全く理解に苦しむ
esta falta de poder,/これは知恵が無い
esta escuela no es sentido/この訓練所は感動しない
compararse al hombre escriba,/書きごとする男に比べれば,
en la fuente de saber ,/熟達のまえに,

Aunque nacido y criao/田舎生れと育ちとはいえ
en la escuela de sufrir/ここは苦悩の訓練所
me doy mana pa vivir,/生き抜く為の策を授けよう
como el hombre mas letrado./より悪賢い男の様に

Yo por trompiar he buscao/俺は一人学びの求めたて
ponerle a un pingo el apero/子馬を調教しあげ
y al avestruz mas ligero/鈍間をより敏速に
lo se en el campo boliar/野原を耕すそれもやる
tambien una res arniar,/牛を選びもする

注記:cuernante;クエルナンテと読むが意味不明(人とのあだ名か?)
 mesmos(メスマス,田舎風に発音している):mismosミスマスと同じ,
golpiao(ゴルピアオ,と田舎風に発音):glpeo(ゴルペオと同じ)叩くの意味,

この詞は田舎の牧場でのガウチョ達の日常作業、
投げ縄で牛を捕獲する、農具の操作、平坦な土地を耕す、
一頭の牛を畜殺する、子馬を去勢、溝を付ける、種まき、
収穫する、縄編み、荒地を身張り、毛の刈り込みと焼印をする、
家畜を懐ける、etc,,,と,
この様なガウチョの日常の仕事のそれらを詠い挙げている情景を謳い上げた詩。

③:ラ・マニャニータ(朝明け)/エスティーロ/ ガルデルは生まれつき自然に備えた天性的歌手の才能を現している。声が可なりか細く(当時の録音技術によるのではと思われるが?),おずおずとしている歌唱であるが、美しい歌声が栄えている。しかし,ベティノティー・スタイルのフレージング感化は隠せない。又、別にサウル・サリーナス、フアン、ペドロ・ガライ兄弟(クリオージョ歌謡二重唱の紹介者)の影響もみえる。

Quien avivo tu hermosura/おまえの美貌に興奮された誰か
es el de la pausa?,no./それはひと時の安らぎ?,違うかい。
Es el del atado lleno/それは,あふれつつまれ
Es el del del atado lleno/それは,それはあふれ包まれ
De mananita temprano/早々の朝あけの
cuando la luz fulgura/光がひらめくとき
yo no he visto mas lindura/よりかわいらしさは見とれない
hasta el pasto me enamora/芝生まで俺に惚れ込み.

La calandria seductora/魅惑のクロエリコ鳥
los jilgueros y zorzales/ヒワたちとツムギたち
son sus trinos sin iguales/それはかのさえずりすら同じでなく
van saludando la aurora,/会釈しながら曙に,
van saludando la aurora,/会釈しながら曙に,

En un palenque plantao/木柵へ打ち込む杭に
que a tres metros se levanta,/三メートル起き上がり,
que a tres metros se levanta,/三メートル起き上がり,
un jilguero que otro canta/ヒワに他がさえずり歌う
en la punta entusiamado;/熱狂せる子群れたち;
un corderito encerrado/閉じ込められた子羊
lama afligida a la oveja/苔如く悲嘆にくれた雌ひつじ
quede del sauce la queja/柳に残り嘆く
lo que el pampero lo azota/パンパ風が吹きつける
y el grito de la gaviota/それにかもめの騒ぎ
lo que al yagueli y se aleja/それが牛へ,そして遠のく
lo que al yagueli y se aleja/それが牛へ,そして遠のく

El carreron la gambeta/身をかわし走りすぎる彼等
hace de contar contento/喜びを話りかける
hace de contar contento/喜びを語りかける

Pero muy manso y cachaciento/しかし,遅くおとなしい
va en busca de la carreta/荷車をさがしに行く
una que otra martineta/一羽の,もう数羽のマルティネタ
vuela a la luz del cachorro/小狐の光へ飛び立つ
sale de la cueva el zorro;/狐の巣から飛び出す
queda en la puerta estitao/ひらけた入り口に立ち止まる
y el cacho canta tocao/ふれ歌う角
como pidiendo socorro,/助けを求めるように
como pidiendo socorro,/助けを求めるように

注記:
Palenque;camino de tablas,木の柵,木道;Yagueli;ジャグェリとはyagueneジャグェネの間違いか,(Zorrino) スカンク類をさすが,パンパの野生化した牛(animal vacuno)もこう呼ぶ, Cachaciento:lento,pesado,tardo,遅い,重い,遅れると言う意味,Martineta;マルティネタ;淡い黄色をした褐色の斑点がある40cmほどの大きさの鳥でパンパに生息する 。この歌もパンパの牧場の自然情景を表現したものである。

④:ア・ミ・マドレ(わが母へ)/アンドレス・セペダ‐ガルデル共作
この名自体が極く普遍なため、同曲であるか不明であるが、同タイトルの曲をルイサ・ロビーラは同レーベルに録音をしている。又、イグナシオ・コルシーニはビクターに録音した。ガルデルは1920年にタイトルを“ポブレ・マドレ”(18023B)として再録音した。

Ven lira bella y gloriosa/栄光と高尚の琴座来たれ
no me niegues tu armonia/お前のハーモニーを断らないで
dame con tu melodia/メロディーを授けたまえ
una inspiracion grandiosa;/華美なインスピレーション
tu que siempre bondadosa/常なる善良なるおまえ
fuiste con todo cantor/歌い手すべてと共に行き
no le nieguen un favor/好意を拒絶せず
a un alma abatida y triste/悲しみと魂打ちし枯れ
tengo madre y como existe/そして、生きるように母が居る
cantarle quiero mi amor./愛しき人に,讃歌を授けたく

⑤:メ・デハステ(捨てられて)/エスティーロ
原題:エル・ポンチョ・デル・オリビード(忘却のポンチョ)/この曲はガルデル作曲とあるが、オスマン・ペレス・ペレイラの曲に“ディビーノ・ポエタ・デ・ラ・プリション(聖なる牢獄の詩人)”と呼ばれたアンドレス・セペダの詩からの引用であるが、見事に彼風に完璧に処理している。極めて重要な事はガルデルがセペダ作品を発掘した功績を祟るべきだろう。ガルデルはこの詩を10年も前のペドロ・バルダサーレ氏の下で御者を務めた18歳頃からの持ち歌にしていた。

Aunque el poncho del olvido/かの忘却のポンチョだが、、、
sobre mi lomo has echado/肩の上に負いかける
los recuerdos del pasado/過ぎ日の思い出を
deben haberte seguido/お前の後追うべき
y como abrojo prendido/そして、ハマビシが絡みついたように
a cola de mancarron/老馬の尾に
has de ir en tu corazon/お前の心で行なうべき
siempre dandote un pinchazo/いつも一突きをあてがい
mientras mi nombre de paso/俺の名の行きずり合い間に
cruza tu imaginacion/お前の思い描きかわす

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