2011年7月8日金曜日

ガルデルとフォルクローレ(2)

ガルデルの少年期から青年期時代に彼の芸能確立への直接間接に深く接触し,影響を与えた人物達を紹介したいと思う。

①:ルイス・ビジャルビ/無名のパジャドールでエスカジーラ家の乗用馬車の御者を勤めた事もあり,ガルデルをガウチート・デ・エスカジーラと命名し,彼の出生の秘密を知っていたと思われる人物。タクアレンボー地方のエリアス・レグレス文化協会の設立者とも云われているが,歴史的には全く表面に出てこない。

②:エリアス・レグレス(彼はバジャドールではない)
ウルグアイ地方サラディ・デル・ジで1861年生れ,
医学博士,大学教授,小説家,詩人及び政治家。
モンテビデオで1929年没。

職業経歴:
1883年,共和国大学医学部卒業
1665-1928年,法医学教授,
1888-1897年,後に同学部長
1922-1928年,同大学総長を務める

政治活動:
立法政党の重要な党員,
1898年フアン・リンドルホ・クエスタにより設立された枢密院のメンバー,
1899-1903年間ローチャ市選出代議士,

文学人生:先天論者的詩人,劇作家,
1894年5月24日創立のクリオージャ協会創立者委員長を務める。
劇作“ビエホ・パンチョ”にハビエル・デ・ビアナとアントニオ・ルシッチと共に参加。
1895年にアルシデス・デ・マリアとオロスマン・モラトリオらが設立した“エル・フォゴン(かまど)”誌の刊行に協力。これはラ・プラタ地域のガウチョ風文化ジャンルをテーマに編集された。フアン・エスカジョーラ,マリティアーノ・レギサモン,ドミンゴ・ロンバルディの面々が参加している。

文学作品:詩集:ミ・タペーラ(我があばら家)1894年作,
バスト・デ・クチージャ(まぐさ用の小刀)1904年作,
レングローネス・ソブレ・ポスタレス(はがきの上の文章)1908年作,
ベインテ・センテシスモス・デ・ベルソ(20セントの詩歌)1911年作,
ミ・パゴ(我が代償)1924年作,
ベルシート・クリオージョ(クリオージョの小詩歌)1924年作。

劇文学:“マルティン・フィエーロ”1890年,
ホセ・エルナンデスの詞による芝居を脚色したもの。
“エル・エンテナオ(ママコ)”1892年,
“ロス・ガゥチートス(小ガゥチョ達)”1894年。
これらのデータはウィキペディアによる。
注:フアン・エスカジーラはガルデルの祖父に当る人物。
この人物とガルデルとの直接面識はないが,レグレスの作品“ミス・エスプエラス(拍車)”を1925年に録音している。
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