2011年7月11日月曜日

ガルデルとフォルクローレ(3)

ガルデル青年期にモンテビデオの下町生活していた頃:
③:アルトゥーロ・デ・ナバ(ナバス・ソサ):歌手,バジャドール,ギター奏者,俳優,ダンサー等の芸能人。187651日生~1932,1022日没。かの有名なガビーノ・エセイサとパジャーダ合戦に挑戦したフアン・デ・ナバの息子,ポデスタ兄弟劇団の俳優として参加する為に,ブエノスアイレスで運命を試すためにモンテビデオを離れるのを決断した。その後,フロレンシォ・パセビチーニ劇団に移る。その上に,カチャハァス,アリピィ,サボリード,エル・モチョ,etcの多くの有名人に比較劣らず,タンゴダンサーとして大変器用に舞台披露活躍し,また,歌手としての優秀な才能をも示した。前期初め頃にシリンダー式レコード録音された事でポピュラーになった,トナーダ・クリオージャ“エル・カルテーロ”の歌名の作者としていつも記憶され,また,カルロス・ガルデルが青年期から人生後期までこの歌を生き生きと歌い維持した。この歌はナバの父が作曲したのだと言う説を唱える人物も居るが,しかし,“パ‘ガナルメ・ウン・レペチォ(逃げ場を獲得する為に)”,“ラ・テヘドーラ(編み女)”,タンゴ“エル・タイタ(ごろつき)”,“エル・カントール(歌い手)”,“アモール・デ・マドーレ(母の愛)”,エスティーロ“ラス・ゴロンドリーナス(ツバメ)”,“エル・パロモ(鳩)”,バルス“ラス・モーダス(流行)”,“ラ・クジャニータス(西地方の女)”,“キシエラ”,“パラ・エジャ(彼女の為に)”と数多くの作品があり,創作能力は本物と認めせられる。また,1913年にコロンビア・レーベルの前に“ビクター”でも録音。人生後年には“ナショナル”レーベルに多くの録音を残している。彼とガルデルの出会いはモンテビデオの下町に住んでいた頃で,ガルデルの青年期のアマチュア歌手としてギターを背負い吟遊詩人の駆け出しの様に行動していた時。タクアレンボーのビジャルビと共に最初に歌唱を手ほどきした,師匠的存在の一人であった。
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