2011年7月22日金曜日

ガルデルとフォルクローレ(9)




















サウル・サリーナとマルティーノ
そして,少年期のロサーノ
⑩:ホセ・フランシスコ・ラサーノ:1887年2月25日、東方国ウルグアイ、モンテビデオ市インデペンデンシア広場の近く,ポリシアビエハ通り14番に生まれ,2歳の時に父に死別した。1895年の流れの中、幼年8歳でギターと夢々を適えるために、出生地モンテビデオから“芸能への道”へ向かう困難な未来へと,遥々ブエノスへと母と共に上京し,バルバネーラ街に落ち着く。それは自分の歌による主役になる運命。われの将来を築く、ブエノスで勝利する事。これが彼自身の心奥深い願望の現われであった。しかし、アンドレス・セペダとホセ・ベティノティの様なポピュラー芸術のアンソロジー的著名人と誠実な深い親交を実現させたのだから。1902年若干15歳の時、早くもフランシスコ・マルティーノとサウル・サリーナスとのトリオに参加。1911年から翌年にかけて“ビクター”レーベルにクリオージョをテーマにした“ラ・チーナ・フィエラ(やり手の少女)”と他10曲ほどフランシスコ・マルティーノとの二重唱で録音した。それに後年“エラ”なるレーベルにもレコード録音している。ラサーノはテノールの栄える完璧なまでに洗練された見事な声を持ち合わせていた。それに彼は大胆で先取りの気性に富む人物であり、人生における進歩的な視野の持ち主であつた。その境遇の改善勤めに進む,向上天分と別人の決して到達不可能なレベルにおいて意外な成功を成しとげた。そして,ラサーノは運命ずけられた人物。あの時代にカルロス・ガルデルの芸能人生との遥かの日に交叉するとは,夢にも占う事も彼自身すら想像してはいなかったが,その日はやって来たのである。
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