2011年7月24日日曜日

ガルデルとラサーノの出会い(1 )


1911年;当時のアバスト市場
1911年:ホセ・ラサーノとの運命的な出会い:
ガルデルはアバスト街のカフェ・オ‘ロンデマンの持ち主で地元の政治ボス、トラベルソ兄弟の一人のコンスタンティノが,ある日に政治会合の席にガルデルを連れて行く。そこにはパジャドールの面々が居揃う中で、その一人旧知のホセ・ベティノティーからギターを渡され、彼の持ち曲“ミ・マドレ・ケリーダ(愛しのわが母)”を披露したら、満場の喝采を受けた。


その頃,ウルグアイ出身のホセ・ラサーノは既に南バルバネ―ラ街(アバストより少し洒落ては居たが、何れも同じ様な貧しい街)のカフェ・デル・ペラードで民謡を歌い活躍し、多少なりの人気を得ていたが,ガルデルの評判をそれとなく聞きこむ。

そのある夜、あるカフェで誰かともなく疑い深い囁きが聞こえた。
「エル・モローチョを聞くべきだ」、「エル・モローチョと呼ぶのかい?」、
そのとうり、ラサーノが現われて、そのニュースを尋ね問う。
「エル・モローチョの歌を聞いたかい?」、いやぁー。
じゃあ!君は??,俺は聞いたぜ!!。
何処でかい? 昨晩、バラッカスでだ!!!。
ファルビとペジェセールは好奇心丸出し。
「ホセ、お前知てるかい?」。
「個人的には知らないが。然し、あの歌手の評判は何処となく付きまとう。
ある日のボカとアバスト街で、別の日にはコラーレス街で歌って居ると、俺の耳に、、、」。
エル・モローチョが歌うのを、、、?
もう、カフェでは真新しい話題が尽きない、、、。
モレーノとエントレ・リオスのエル・ペラードの客仲間の集まりでは、
その風評の歌い手を雲の様に掴められず、
一層興味をそそわれ、彼等は始め配慮深く言及する事無く。
出し抜けに出会った,彼のエル・モローチョの成功と名声。
エル・モローチョを名指して、、、
パンチョ・マルティーノと付き合う浅黒いやせ男かい??(この情報は違う)。
一人の南の田舎者か、あの善良なパジャドールかい?。
レアレス達の真中にいる奴(これも違う)。
カフェ・エル・ペラードで,その場のペジェセールは,
出しぬけに仲間達を大げさに驚かしながら,
いきなり,ラサーノにその言葉をつげた。

エル・モローチョはアバストの奴だ。
俺の友人が彼を知っている;
ジヘーナ,明日の夜に彼と出くわして欲しい。
ジヘーナ氏,その人の家で,頭をさげろよ!。
あそこで歌合戦をやればいいだろう!!!
ロサーノは出会いを承知したが。
しかし,ほかの気取り屋の損得勘定を知らずして,
内心では頭を下げるには余りにも,
見せつけがましいと考えた。
まあー,おれは出来るだけ旨く歌えばよいと言うこと。
それは怖くない!。
エル・オリエンタル(ラサーノ)は首尾良く立ち回るには,
トランプに一発賭なければと思った。
しかし,また,なんて事だ...見てみろ...!
ラサーノの呟き...。
もし,誰かがラサーノに感化できるとしたら,
それは紛れも無く,ただ一人ルイス・ペジェセールであった。

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