2010年10月4日月曜日

ガルデルとタンゴの詩人、作曲家達(1)




















まず最初に紹介するパスクァル・コントゥルシはガルデルが初めて本格的歌唱タンゴ(タンゴ カンシオン)である『ミ ノチェ トリステ』なる詞をカストリオタ作曲の詞の無いまま作者自身により演奏されていた『リタ』に無断に付け、この作者といざかいを起こしたのは万人の知るところになる。彼は当時のブエノス アイレスとモンテビデオ市民 達の世間人情の悲哀をテーマに取り入れ普遍的に有効せしめセンチメンタルなノスタルジー溢れたタンゴ カンシオンを生み出した最初のタンゴ詩人であり、サイネテ{a}劇作家および歌い手でもあった。彼は1888年11月にブエノス アイレス州チビルコイ{b}生まれ、幼少時ブエノスに両親共に上京、青年期にモンテビデオとブエノスで芸能活道の後、1928年ごろパリへ渡るが病症の身になりガルデル等の援助に頼り帰国後1932年5月29日没。

ではこの『ミ・ノチェ・トリステ(我が悲しみの夜)』はコントゥルシが1914年頃からモンテビデオのキャバレー ムーラン ルージェ{c}にて自作自演により愛の失望をメランコリーに且つノスタルジックに詞に託し、ガルデルが最良の解釈力による(ある合意的な見解によるされる)最初の本格的歌唱タンゴ{d}として取り上げた曲にも拘らず直ぐには万人の知るに及ばず翌年のホセ ゴンサレス カスティジョ作のサイネテ劇題名『犬のキバ歯』の中でサルセローの父親を持つ女優娘,19歳マノリータ ポリがロベルト フィルポ楽団の伴奏で歌い、万丈喝才を受けたこの曲『ミ ノチェ トリステ』が相伴世に知れ渡り、一躍ヒット曲になった経緯がある。

では本題の『フロール・デ・ファンゴ、(泥濘の花)』はコントゥルシが1915年頃から書き始めたといわれており、 アグスト ヘンティレが1917年に作曲した曲『エル デサロホ、追い出し』に彼がもち舞いの得意の作曲家の無断で詞を付けて、キャバレーで自演発表して仕舞い。あの有名な『ミ ノチェ トリステ』より先に録音されたと言われているが、ガルデルが歌った2番目のタンゴとしてデータ上1918年8月に録音されたとして発表されている。1919年6月25日にアルベルト ノビオンス作のコミック風サイネテ劇『モンマルトルのキャバレー』に取り入られ、マリア ルイサ ノタルがロベルト フィルポ伴奏で披露した。詞のテーマはサムエル リンキイング作詞『ミロンギータ』を先駆した下町場末の娘の不幸に落ち込んで行く運命をエバリスト カリエーゴ好みのソナタを典型的ルンファルドで表現されている。

ガルデルは初めての歌唱タンゴであり、アンヘル ビジョルド風に模索ながら歌いスタイルは未完成である。そしてレコードも入手も難しい。

注:{a}1910年頃からブエノス庶民に人気の娯楽『軽喜劇』はタンゴ演奏と主題歌やタンゴダンスがあり今日のタンゴショウー前兆のような劇。サルセーロとはこの劇に出演する俳優。
{b}チリビコイ、首都ブエノスから西へ170kmほどの小都市。ガルデルは1912年にホセラサーノとフランシスコ マルティーノらとトリオを組み、この町を訪れている。
{c}キャバレー ムーラン ルージュは当時のモンテビデオで繁盛していた店.経営者はなんと驚く、クンパルシータの作者ヘラルド マトス ロドリゲスの父親、エミリオ マトス
ロドリゲスだそうです。なるほど息子に及ぼした環境があった理由ですね。
{d}『ミロンギータ』の曲はガルデルが1920年6月10日にタンゴの歌としては6番目に緑音している。

コントゥルシは『フロール デ ファンゴ(泥濘の花)』の主人公をこう詠う
Mina que te manyo de hace rato
御姐ちゃん...すこしの間にあんたの本性を身届けたぜ
perdoname si te bato
許しておくれ、俺があんたを暴露したのを
de que yo te vi nacer,
俺があんたの生まれを覗いた事を
Tu cuna fue un conventillo
あんたの揺り籠はあの長屋
alumbrao a querosen,
白灯ランプの炎が灯りがあてていた...
Justo a los catorce abriles
ちょうど14歳秋の時
Te entregaste a la farra,
お祭り騒ぎに身を捧げ
las delicias del gotan,
タンゴの快楽ゆえ...
te gustaban las alhajas,
あんたは気に入った宝石類、
los vestidos a la moda
流行モードの着飾り
y las farras de champan,
そしてシャンパンへうつつ抜かし...

Anduviste pelechada,
あんたは幸運の坂を上って来た、
de sirvienta acompanada
付き添いの女中から
pa`pasar por nina bien,
良家嬢装い澄まし、
y de muchas envidiada
そして、多勢のおんな勢に僻みされ
porque llevabas buen tren,
何故かと言えば贅沢品の着飾り、
y te hiciste chacadora,
やがて、あんたは悪鎖に手を染めた
luego fuiste la senora
その後で奥方に成りすまし
de un comerciante mishe
一人の成金商人の
que lo dejaste arruinado
挙句の果てに一文無し追い落とし...
sin el vento y amurado
銭無しに放り出し
en la puerta de un café,
カフェの扉まえに
des pues fuiste la amiguita
その後で懇ろ者に
de un viejito boticario,
老い扶けた薬剤師の...
y hijo de un comisario
それに、警察所長の倅が
todo el vento te chaco;
有り金全てを貢ぎ込み...
empezo tu decadencia,
それがあんたの身の破滅のいきすえ
las alhajas amuraste
手持ちの貴金属をも見捨てる破目
y bulincito alquilaste
四畳半部屋を借りた
en una casa`e pension,
安い間借り家

Te hiciste tonadillera,
あんたはこそ泥まがいに手出しして
pasaste ratos extanos
奇妙な一時をやりすごす
y a fuerza de desenganos
滅亡の力に
quedaste sin corazon,
心失い

Fue tu vida como un lirio…
あんたの人生はアヤメ花のよう
De congojas y martirios
多々な苦難と受難...
Solo un peso te agobio…..
唯押しかかりあんたを打ちのめした...
No tenia en el mundo ni un consuelo
この世であんたは慰めも
El amor de tu madre te falto,
母の愛が満ちたりきゆえ...

Fuiste papusa del fango
泥沼に生えた美貌の女
Y las delicias de un tango
一つのタンゴの無類快楽は
Te arrastraron del bulin
愛惜の四畳半部屋へとあんたを誘い込んだ
Los amigos te engrupieron
男仲間等があんたを惑わせ
Y ellos mismos te perdieron
同じ輩らがあんたをどん底に突き落とした
Noche a noche en el festin
踊り騒ぎ一夜ごと一夜ごと...

注:この詞に出てくるルファルドを以下に説明します。
Amurado,捨てられて、Manyo,理解した、(食べた、飲み込むからの意味)
Bato,見届ける、密告する(動詞batirからの一人称、本来の意味は打つ、負かす)
Bulincito,bulinから小部屋の意味,四帖半部屋
Chacadora,ChacaがCachaになり、おどけにdoraが付きおどけ者となる(Cachadoraの反対語)フランシコ ロムート作曲の同名曲があり、ガルデルも歌っている。
Engrupieron,彼らに騙された。Querosen,灯油、灯油ランプ。Conventillo,長屋と言うより多くの小部屋密集した集合住宅、(イタリー南部から建物様式が持ち込まれ建てられた)
Gotan,Tangoタンゴの逆さ言葉。Perechada,Mejorar situacion economicaとは経済的向上した状態の人物。ポルテーニョ的には『頭を上げた』、『立あがる』、『悪い状況から抜け出す』などと解釈される.又は衣装の品質や着付けが向上する、即ち高級品を身に付ける経済的によくなる、健康が良くなる等の意味に使われる。
Papusa,愛らしい女、Misiha,成り金者、金持ち、
Tonarillera,本来の意味は民謡歌い手だがこそ泥棒の意味。

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