2010年10月25日月曜日

ガルデルとタンゴの詩人、作曲家達(1)

ラ・クンパルシータの誕生の秘密
6)『シ・スピエラス(もし、知っていたならば)』この曲は世界中に史上最っも普及したタンゴである『ラ・クンパルータ』に作者ヘラルド・マトス・ロドリゲスに無断でパスクアル・コントウシがエンリケ・マロニと共作の詞を付けたものである。この詞の内容はある男が過去の愛の回想であるが、当時全っく忘れらて仕舞っていたこの曲を世に反響を及ぼし、一躍有名にしたのは他でもない、この『シ・スピエラス』の詞なのである。この『ラ・クパルシータ』は1917年にヘラルド・マトス・ロドリゲスが作曲、ロベルト・フイルポがモンテビデオにあったカフェ・ラ ・ヒラルドで初演奏し、一躍有名になつた様に思われているが。マトスの依頼でこの曲に手を加えた本人のロベルト・フィルポの証言を述べてみよう。時は1916年、『私はカフェ・ラ ・ヒラルドで演奏していたが、ある夜、数人の学生風の若者達が訪れ、学生仲間のマトスの依頼で来たと、私に一曲の『マルチータ(小マーチ)』の楽譜見せながら、その曲の編曲の依頼を申し出た。楽譜は第一譜の部分には他少のタンゴらしい2/4拍子があるが第二譜部分には何も無い。そこで1906年に作曲したが全くヒットしなかった自作タンゴ『ラ・ガウチャ・マヌエラ』と『クルダ・コンプレタ(完全な酔い)』、ギセップ・ベルディ作オペラ『ミセセレ』の一部を混ぜて挿入して『ラ・クンパルシータ』に仕上げ、その夜すぐにバンドネオン奏者バチチャ・デ・アンブロッシオとバイオリンのテット・ロカタグリアタッ達とトリオで演奏したところ、観衆にはまずまずの反応があった。しかし、私がこの曲の共同作者として登録する様に提案をしたのだが、マトスはそれを拒否した。マトスは礼讃され得意満悦に世を凱旋するが、やがて時が経ちこの曲は世の人達から全く存在を返り見られぬほど忘れ去られて行った』。しかしながら、フィルポの編曲はこの曲を世界的に普及させて、有名にさせた功労者と絶賛されるべきだろう。その後エラルド・マトス・ロドリゲスは、この曲『ラ・クンパルシータ』の版権をリカルディ社の代理店ブレジェール兄弟商会に売って仕舞う。そして、1924年6月6日にパスクア・ コントウルシとエンリケ・マロニの活動領域である旧アポロ劇場にてレオポルド・シマリ指揮下の劇団による出し物公演『キャバレー』演目の二幕目に歌手フアン・フェラーリがパスクアル・コントウルシとエンリケ・マロニらが共作した『シ・スピエラス』の詞が初めて、この『ラ・クンパルシータ』に盛装付された詞を歌う。だが、この新しいタンゴと女優ルイサ・ モロテッーの苦い風刺歌『ラ・ミーナ・デ・フォード(フォードの女)』{a}の歌を持っても月並みな出し物はこれらの救い手の差出しにも至らず、この劇は短期の内に終演となる。しかしながら、このタンゴ『シ・スピエラス』はあの魔術師である、タンゴカンシオンの最高表現者カルロス・ガルデルにより歌われ、以外な大ヒットとなる。ガルデルが歌った結果、この曲の音楽価値が再評価され、『ラ・クンパルシータ』は最高栄誉を獲得する踏み台に近ずく栄光の道を進むのである。一方のヘラルド・マトス・ロドリゲスはパリでカナロの口伝えによりこの事態を悟り、若いウルグアイ人弁護士カラタジュー氏の援助を介してブレジェール兄弟商会を相手取り、この曲のマトス・ ロドリゲス自身の作詞『ラ・クンパルシータ・デ・ミ・セリア・シン・フイン・デ・スフィラ…』{b}以外の曲の演奏権利無効施行の裁判を起こす。 この自作編は1926年11月9日モンテビデオ国立図書館に登録され、ロス・プロビンシーノス楽団により演奏、ロベルト・ディアス歌によりレコード化されたが全く普及なかった。パスクアル・コントウルシはパリから病身での帰国後、1932年3月16日に果かなく世を去る。彼の未亡人イルダ・ブリアーノとエンリケ・マロニーはヘラルド・マトスの版権独占に対して、この曲の共作権利の正当性と損害賠償訴訟を起こす。裁判は長引きマトスの・ロドリゲス死後、1948年9月10日、フランシスコ・ カナロは調停仲介者としての役を引き受け、双方の権利を裁可に委ねた。


『La cumparsita(ラ・クンパルシータ)』
作曲:ヘラルド マトス ロドリゲス
編曲:ロベルト フィルポ
『si supieras(シ スピエラ)』
作詞:パスクアル コントウルシ‐エンリケ マロニ

Si supieras,
もし、知っていたならば、
que aun dentro de mi alma,
まだ、俺の心中に、
conserve aquel carino
あの愛情を残しつつ
que tuve para ti…
あんたの為に...
Quien sabe si supieras
誰が知るだろう
que nunca te he olvidado,
俺はけして忘れない、
volviendo a tu pasado
あんたの過ぎ日に戻り
te acordaras de mi…
あんたは俺を想い出せるかい...

Los amigos ya no vienen
我が友達はもう来ない
ni siquiera a visitarme,
けして俺を訪れない、
nadie quiere consolarme
誰人も慰めもくれず
en mi aflicion…
俺の愛着に...
Desde el dia que te fuiste
あんたが去った時から
siento angustias en mi pecho,
我が胸は苦しみ抱き、
deci,percanta,que has hecho
なあ、魅惑な女、どうしてる
de mi pobre corazon?
我が悲しき心?

Sin embargo,
しかしながら、
yo siempre te recuerdo
俺はいつもあんたを思い出す
con el carino santo
清らかな慈愛と共に
que tuve para ti.
あんたゆえに。

Y estas en todos partes,
そして、いかなるところに、
pedazo de mi vida,
我が命の片がある、
y aquellos ojos que fueron mi alegria
そして、あの瞳は我の歓喜ゆえ
los busco por todas partes
全ての地を探しゆえ
y no los puedo hallar
そして、それらも見出せず

Al cotorro abandonado
身棄てられし部屋に
ya ni el sol de la manana
もう、朝日もとどきなく
asoma por la ventana
のぞく窓辺へにも
como cuando estabas vos,
あんたがそこにいた時、
y aquel perrito companero,
その伴侶犬、
que por tu ausencia no comida,
あんたの不在と食べ物もなし、
al verme solo el otro dia
あの日ただ遇う為に
tambien me dejo…
そう俺まで捨てていき...


注:{a}『ラ・クンパルシータ』ヘラルド・マトス・ロドリゲス自作詞曲編はこう始まるが、『つきること無く悲惨な行列が続く...』
{b}『ラ・ミーナ・デ・フォード(フォードの女)』
作曲:アントニオ・スカタソ-フィデル・デル・ネグロ
作詞:エンリケ・マロニ-パスクアル・コントウルシ
カルロス・ガルデルはこの曲を1924年にホセ・リカルドとギジェルモ・バルビエリ達のギター伴奏で録音している。

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