2010年7月7日水曜日

ガルデルの思い出(1):ホセ・アギラールの回想から


1935年6月のメデジンの惨事から奇跡的に生存したアギラールは度重なる不運で16年後の1951年12月21日、ブエノス市中心地の繁華街のビリアード場から出て、前の歩道を横断中に車に跳ねられ、その傷の元で肺炎を併発して60歳で没した。
その1年前7月頃に、ホセ・アギラールがあの当時の思い出を雑誌『アンテナ』へのインタビューに語たった、その回想を続け様と思う:

メデジン、あの場所、あの日付け、あの日、あの間、、、
血生臭い炎に照らし出された黒い堆積物。
火炎が鎮火した。
突然ある夜によみがえる。
世界中に名前が渡り響く、
メデジン、、、ガルデル、、、アギラール、、、
かの運命は飛躍した気紛れ。
かの運命は神々の。全能な。絶対な。

ニュースをついに論じる誰かがいる;
嘆く誰かがいる。
怒りに握りこぶし固め振りあげ、涙におぼれた誰かがいる。
影の間で‐夜が落ち途方も無い悲嘆と痛み‐消えた炎、離れ、
苦しいしかし生きた化身、一人の男の亡霊。
彼はアギラール。彼はアギラール、その彼。
その彼は生存者。
即死当然の、炎から助け出され、
犠牲者の、、、いや犠牲者ではない、いや違う。
このたびに苦痛が開始される。
生気に至るでも無く、苦痛は再び留まり、
死亡に至らない長くひどい苦痛‐痛みの全て終わりと、ひと休み‐。
繰り返しの悪霊の痛み、全ての残酷の先向こうの、
処罰の肉体に激痛が執拗に捕られて。
苦痛、一日、次の日、痛みは過去を彷彿させ;
痛みは瞑想の未来。
惨事から生き延びて様に、アギラールは苦痛に生き延びる。
しかし惨事はかの苦痛は痕跡を残す。

そして、全てにも拘らず、苦痛は気高く。
それだから、暗黒の夜の彼の黒眼鏡の後ろから、
全てのハーモニーの持ち主だった手を損いの身振りから、
生存者の魂が心を動かされる言葉の申し出、
誠実な、決定的に高尚な。
ギター、紳士よ!
そこにある、抜け殻と仮し、いく他の時の過ぎ日々の、
親愛の指々で愛撫する、弦の元で耳に快く響きわたるべき、
ギターは腐り果て。

アギラールは我々が見るのを確かめる、
我々が見るのを無言にて、その一警を感じ届け。
ギターとギタリスト、それは同じ物体。
重々しい声のアギラールが断言、我々の思いつきを見破る;
ギター、紳士よ!
だとすれば、このギター。
このギターがガルデルを伴奏した。
彼のけっして消え去る事なき声の響きを結びつけた、このギター。
心を迎えいき、ハーモニーと語りが共に行く。

唯一つ、肘掛け椅子の腕の上に支えられて、
弦を引き絞り、、、だけれども音も無く!、、、
アギラールはゆっくリと歩む。近ずき見詰め、
おそらく、我々の様に見詰める。

しかし夢の世界の、思い出の、
とはいえその黒い眼鏡の裏に隠される、
回想は彼の視覚を過ぎていく。

今なんと言ってよいだろう?:
でもいいだろう、、、
我々は何も一握りの質問の答えを探す気はない?
しかし、何を質問できるだろうか?
アギラールは腰掛ける。
タバコに火を点けるのを探り。
その後でゆっくりと燻らし。

壁には数々のガルデルの写真がある。
思い出、記念額、あれは、見捨てられて、忘れたよう、
だがこの様な悲劇の中を命が生き延びている!、
それはギター。

今なんと言えるだろうか?
不可侵の沈む静粛な黙想が存在する間、我々は沈黙のみ。
何も言うこともなし、何れかの都度、
多分早々に、アギラールは思い出を満たすだろう、
数々の逸話を、過ぎ去った同房愛への見解を。
我々に数多くの沈黙の事柄を伝えるだろう、
我々に何人へも語らなかったさまを語るだろう。
何故かつて、その年のガルデルが全盛を極め、
素晴らしい人格を明かにした。

彼の脇に、あそこに誰もいなかつた;
その年の奇妙な異質な観衆達の人の心を捉え;
その年の祖国の郷愁心情-街、街路、末端片隅の-
極小の全て凝固させた、制限無しの勝利の満足を結び着け。
そして、彼といっしょの親密な業績。
リハーサルにて。
創作にて。
レパートリーの選択にて。
繰り返し試みて。

群集の心を揺さぶる、
感動の感触で各詩節を探し出す。
そして宿命的の瞬間。

最後の瞬間まで:
この様に生じなければなら無い様に文面に書かれていた、、、
その様に成るように、、、
宿命論的諦観?
‐出来事、多年にわたる彼の脇で。
あの日も一緒に居ないわけは無い?、、、

いっ、時が過ぎ、意識を回復し、ただ一つの質問が起こる:
カルリートスは如何した?、、、“真実の答えは無く”。
私は死んだのも当然、、、
死に神に取り付かれた我が身に力も願望も無く、、、
断言できるは騙されて逃げ出した、、、
彼の元に帰り、彼と私は共に歌い付き添うのを信じていた、、、

(午後の窓は紫色に染まり始めつつ)

その後で真実を知る、、、命は新しく私の両腕の中にあり、、、
如何しよう?、、、生きる、、、更に深い嘆きと共に、、、
孤独の男に過酷な苦悩。
彼に道案内された我が全人生。

多くの事を理解到達できた日々の仕事にて、、、
彼の性格の特微、彼の心理学;限界なき情け深き表情、、、
何故かつてカルリートスは根本的な善良人、、、
根本的な善良人?
その通り、、、情け深きは彼自身の一部分、、、

その情け深さが彼の洗練された親交を生む;
全ての上に親交を優先した。
何故かつてその様に気持ち良く乱費し、
財産も乱費し、、、
所有財産も、所持品も重要せず、、、
彼が惹きつけるのではなく、
彼が休み無く仕事するのでは無く、
突然にキリストの様に昇天した、、、

上の写真はホセ・アギラール夫妻
中右:9・デ・フリオ大通り、オベリスコを望む、
    1971年2月写す
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