2012年2月1日水曜日

ガルデルとアリアス・アリピィ

(*)処でガルデルを“ナショナル”劇場への出演の橋渡した俳優及び劇作家アリアス・イサック・アリピッを簡単に紹介したいと思う。アリピッは渾名“フラコ(やせぽっち)”と呼ばれ,1883年1月20日に誕生,奇しくもガルデル(*)とは一歳年上である。彼はリオブラテンセ演劇界中で最も優秀な俳優に位置付けられると評価された。アリピィは1903年に“ナショナル”劇場創立者ヘロニモ・ポデスタが指揮する劇団に参加して“コメディア”劇場でデビューする。後日,フランシスコ・ドゥカッセー,ホセ・ゴンサレス・カスティージョとエンリケ・ムイニョ達と共に観衆達に忘れ得ない存在の亜国の演劇界中一流劇作家としても評価された。彼独自のムイニョ-アリッピィと名付けた劇集団を結成した。また,俳優として名声を博しアゥグスト・ガリード協力作サイネテ“フレスコ・エル・アンダリン(生き生きした風来坊)”やその他多くの劇作を発表している。ホセ・ララ共作“エル・インディオ・ルビオ(金髪のインディオ)”,“エル・ドロール・アヘノ(他人の悩み)”とかエンリケ・マロニとサンロマ合作“ビバ・レプブリカ!(共和国バンザイ!)”また,マロニとアルベルティ共作劇“アイ・ケ・アセール・アルゴ・ポル・ラ・レビスタ(レビューの為に何かしなければならない)”アントニオ・ボッター共作“ノ・セ・フビレ・ドン・パンチョ!(ドン・パンチョよ引退するな!)”,“ミ・ムヘール.・キエレ・カサールセ(俺の女は結婚したいって)”,“エル・カンタール・タンゴ(タンゴを歌う)”,ガルデルも歌ったエンリケ・マローニとの共作“ラ・ボラチェーラ・デル・タンゴ(タンゴに酔いしれる)レコード番号#200065”など多数。バスクアル・コントゥルシ合作“デル・タンゴ・アル・チャルレストン(チャルストンからタンゴへ)”もある。ガルデルの事故死後,アリッピィが語った処によると彼等二人して若き青年期のボヘミアン的な1907年頃のあの夜々すでに“ナショナル”劇場の楽屋で知り合いであったが。“カルデルは何か魅了を引き付ける口元の笑顔を湛え,何時も上機嫌だった。と彼の姿に好感感動を得た”と回想している。1915年にアリィピィとガルデルはブラジルへと興行に出るが公演は好みの違いかにより余り良い反響を得られずに終わった。アリッピィは1942年5月3日,ブエノスアイレスに没した。

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