2012年6月28日木曜日

ガルデルのCDシリーズ:CD-4//10~18曲

⑩:アイ・ウナ・ヴルヘン(聖女がいる)/カンシオン/作者:“ロルド・バイロン”(*)-マヌエル・フロレース-マリオ・パルド/歌:ガルデルソロ/1919年9月26日録音/原盤#18022B/この詞はイギリス人“ロルド・バロイン”の英文詩をマヌエル・フローレス(メキシコ人/1840~1885)が翻訳した詞が基になっている。


Una hermosa declaración al amor /可憐な愛への告白 
Hay una virgen de alma cariñosa ,/優しい心の処女がいる 
tan tiernamente al corazón unida , /なんと優しい結ばれた心
que separar mi vida de su vida /彼女の命とわが命は離れぬ
(*)“ロルド・バイロン”の本名はジョージ・ノエル・バイロン・ゴードン, (1788~1824)ロンドン出身である。詩人,劇作家“ドンフアン”,“マンフレッド”のドラマを劇作。ポルトガル,スペイン,ギリシアとトルコに旅をした時に著名な詩”Childe Harold’s”を発表する。滞在先のギリシヤで没。
この曲を作曲したマリオ・アルベルト・パルド(1887~1986)はガルデルの若き頃からの友人である。作曲家,歌手及びギター演奏家でもあった。幼少時にはサンテルモの“ウイリアム”音楽院に寄宿生として入学。少年期になると彼の父親はマリオをイタリアに行かせた。ナポリのサンペドロ・ア・マイエリャ音楽院で音楽              と詩や管楽器を習得。帰国後ウルグアイ軍隊音楽バンドを指揮する。1918年にあの“アルメノンビジャ”の会合でカルデル-ラサーノ達に巡り会う。この時在席していたマックス・グルクスマーン氏の“ナショナル”レーベルで歌とギター演奏の録音契約を結ぶ。彼 の作品“リンダ・プロビンシアニータ(美しい田舎娘)”,“エル・トロピージャ(家畜の群れ)”,“ラ・マレーバ(悪党)”,“ガヒート・デ・セドロン(セドロンの子猫)”などをガルデルは録音している。ある日,バルドに向かってガルデル曰く「お前さんの様にギターを奏でられたらな...!」,パルド応えて!「俺もあんたの様に歌えたらな...」人は色々悩みがあるものですね...

⑪:ミ・ティエーラ(我が故郷)/サンバ/作者:クリスティーノ・タピア/歌:ガルデル-ラサーノ/1919年9月26日録音/原盤#18023A/
Yo que adoro a mi tierra , /俺の溺愛の故郷
cuna de mis cantares … /わが歌い手の源...
yo que adoro a mi tierra , /俺の溺愛の故郷
cuna de mis cantares … /わが歌い手の源...
Porque tu disminuyes , nana /何故貴女は怖気る,お姉さん
Todos mis males , /すべてわが不幸に
porque tu disminuyes , nana /何故貴女は怖気る,お姉さん
todos mis males … /すべてわが不幸に...

⑫:ポブレ・ミ・マドレ(哀れな母)/エスティーロ/作者:アンドレス・セペダとガルデル/歌:ガルデルソロ/1919年9月26日録音/原盤#18023B/
ガルデルが1912年に初めてレコード録音した4曲目の同名曲“ポブレ・マドレ”の原盤T729Aと同じ曲。

Ven lira bella y gloriosa/栄光と高尚の琴座来たれ
no me niegues tu armonia/お前のハーモニーを断らないで
dame con tu melodia/メロディーを授けたまえ
una inspiracion grandiosa;/華美なインスピレーション
tu que siempre bondadosa/常なる善良なるおまえ
fuiste con todo cantor/歌い手すべてと共に行き
no le nieguen un favor/好意を拒絶せず
a un alma abatida y triste/悲しみと魂打ちし枯れ
tengo madre y como existe/そして、生きるように母が居る
cantarle quiero mi amor./愛しき人に,讃歌を授けたく

⑬:ルモーレス(噂話)/バンブーコ/作者:ガルデル-ラサーノ/歌:ガルデル-ラサーノ/1919年9月26日録音/原盤#18024A/
ガルデルはこの曲を随分と気に入っていたらしく3回も録音した。そのうえ,事故死の前日ボゴタ市における政治的中心地のボリーバル広場にあったボス・デ・ラ・ビクトル(ビクターの声)の公開実況放送で“ラス・アグァ・デ・マグダレーナ(マグダーナ川の水)”として歌ったが,原題はボゴタの東側にある丘陵地帯をモチーフにしたとも思われる“トラス・デ・ラス・コリーナ・ベルデ(緑の丘陵の後ろに)”と言われ,原作者は作曲アレハンドロ・ウィリス,作詞フランシスコ・レストレポ・ゴメスで“ウイルスとエスコバル”の歌手達の二重唱によるレコード録音が1915年頃になされている。彼等の二重唱は1924年頃ブエノスアイレスで公演したのだが,ガルデルは二重唱の歌うオリジナルの“ルモーレス”を聴く事が出来たのだろうか?。

⑭:イベッティ/タンゴ/作詞:パスクアル・コントゥルシ/作曲:コスタ-ローカ(本当の作曲はホセ・フリアン・マルティネス,ガジェゴである)/歌:カルデルソロ/1919年9月26日録音/原盤#18024B/

“Ivette(イベッティ)”とは女性の名前、ではコントゥルシの詞の内容は。
En puerta de un boliche/居酒屋の入り口にて
un bacan encurderado,/酔い潰れた伊達男
recordando su pasado /過去を回想して
que la china lo dejo, /去った可憐な乙女の、
entre los humos de cana /地酒のいきれ唯中で、
retoman a su memoria /記憶を呼び戻し
esas paginas de histria /その物語のページに
que su Corazon grabo, /心に刻まれた

Bulin que ya no te veo /もう、おまえの姿の無い部屋
catre que ya no apolillo, /俺の寝姿無いベット
mina que de puro esquillo /怒りおぽい女 
con otro bacan se fue; /あの別の伊達男と去って
prenda que fuiste el encanto /魅力的だったあの装い姿
de toda la muchachada /全ての若者達にも
y que por una pavada /挙句の果てにあの愚か事のために
te acoplaste a un no seque /おまえとの和解は引き起こせず
Que te ha de dar ese otro /あいつがおまえに施しに
que tu viejo no te ha dado /実の親父も与えられ無った物も
No te acordas que he robado /思い出さないかい、俺が盗んだ物を
pa que no falte el bullon? /食べる糧不足に成らない為に
No te acordas cuando en cana /思い出さないかい、あの時に俺が牢屋に居た時を
te mandaba en cuadernitos /おまえに届けた小いノート
aquellos lindos versitos /あの綺麗な散文
nacidos del Corazon ? /俺の芽生えた真心の?
コントウルシ作のタンゴ“ミ・ノーチェ・トリステ”に雰囲気が似ていますが...
この曲の明細は『ガルデルとタンゴの詩人達』を参照の事。作者について種明かしを書いておきました。

⑮:エン・ヴァノ,エン・ヴァノ(空しき故に,空しき故に)/作者:アンドレス・セペダ-ガルデル/ヴルス/歌:ガルデル-ラサーノ/1919年9月26日録音/原盤#18025A

Es en vano, no puedo olvidarte, /それは空しい,忘れ得ぬ君
por tu amor he perdido la calma , /君の愛ゆえ安らぎも失う
ya no puedo vivir sin hablarte /君と語らぬともう生きられない
tus fríos desdenes, torturan el alma . /君の冷たい蔑み,心を苦悶に

He pensado olvidar tu cariño /君の慈しみを忘れよう
imposible, no puedo aunque quiera , /それは不可能,未だに愛してるゆえ
mi pasión con pureza de armiño /清き純白のわが情熱
trocose de pronto, de ti pa´ la hoguera./直ぐに変わっておくれ,激情のごとく

(再記載)アンドレス・セペダ:教養ある若き頃、悪交友のために学問を放棄の末.どの様な悪事を侵したのか不明だが、それを数回働いた後に。結局“国立刑務所”に行き着く境遇になる。彼はブエノス・アイレス州田舎町コロネル・ブランデセンで1879年5月18日に生まれる。大ブエノス・アイレス平原の自然を放浪したすえ。全ての境遇のオリジェーロ仲間達と相和し、彼の全ての詩作は牢獄服役の遭遇時に書き上げられ、ポルテーニョ街の古いトロべーロ(牧童)達の声にて広められ大衆化された。それ故、彼は“聖なる監獄の詩人”と呼ばれるに至る。カルロス・ガルデルはアバスト地区のカフェ・オ‘ロデルマンで歌い始めた頃にセペダ作の“ポンチョ・デ・オリビード(亡却のポンチョ)”をレパトリーにしていたが,セペダ作品類を最初にタジーニ商会の『コロンビア』レコードに吹きこみ、世に広く伝達を成し遂げる。善良な同房(?)なる詩人アンドレス・セペダはコロン街区のインデペンデンシアとエスタドス・ウニードス通りの間のカフェ『ラ・ロバ』(現在のビエホ・アルマセンの近くに当る場所)の歩道側の椅子に座って居た所に、一人のコルニェス(スペインの一地方)出身者の悪刺客が彼に近ずき刃物で胸元を深く一突き、即座に命を落とす。その夜、極親しい友人仲間達により通夜がソリスとエントレリオス間のサン・フアン通(現在の地下鉄E線,エントレリオス駅の極近く)で行なわれた。その場に官警が現われ、通夜の会葬参列者の中の数人が殺人罪容疑で逮捕連行された。1910年3月30日の若干30歳の命であり、遠きブエノス・アイレス暗黒時代の出来事である。(ボルへの詩に出てくる“ばら色の街角”の様だ)

⑯:ラ・カテドラティカ(競馬通)/ミロンガ/作者:フランシスコ・マルティーノ/歌:ガルデルソロ/1920年6月10日/原盤なし/この原盤は何らかの理由により発売されなかった。(通常ガルデル自身の判断により気に入らない録音は没にしたらしい),によって原盤リストにも記載されていない。このCDで初公開された訳である。

Aunque hay mucha mishiadura /全くの貧困だが
yo manyo un gran movimiento /すばやく動きを見抜ける
hay que ver en las carreras , /レースの様子を見届け
el afano y las palmeras , /落ちこぼれ仲間と俺は慌てる
el afano y las palmeras /落ちこぼれ連中と俺は慌てる
y de donde sale el vento /金は何処から捻り出す.

Con catedráticos de ojo , /競馬通の眼差しとも
que abundan como la yapa /ほんのおまけの様に溢れてる
con el programa en la mano , /手に取ったプログラムとともに
a todo pobre cristiano , /みんな哀れなクリスチャン
a todo pobre cristiano , /みんな哀れなクリスチャン
le dicen , tengo una papa , /人がいうが,俺は幸運ものだと.

Es ir a cobrar la plata , /金を払い戻しに行くには
le juro por mi salud , /俺の健康に誓うが
es llenarse hasta las botas /ブーツまで一杯に
porque es una refijota , /なぜかってそれは“レフィホタ(*)”
porque es una refijota , /なぜかってそれは”レフィホタ(*)“
que la traigo del stud . /バドックから持ってこよう

Jueguele fuerte señor , /旦那さん賭けれよ目一杯に
mire que es una papusa , /見ろよあれは美ぴんさん
mire que es una papusa , /見ろよあれは美ぴんさん
y con el mayor descaro /おっと,最大な厚かましいさ
lo hacen entrar por el aro , /降参させる
lo hacen entrar por el aro /降参させる
Dios te libre, que carpusa . /助けておくれ,ずるい奴

El mismo jockey me dijo , /ジョキー自身が俺に言うには
andá sin miedo a jugar , /躊躇無く賭けろ
que se las voy a dar seca /おれがマークする
y Mingo es la gran muñeca /ジョキーは凄い腕利き
y Mingo es la gran muñeca , /ジョキーは凄い腕利き
hay que creer o reventar . /信じるか酷い目に遭うか

Con Domingo Torterolo , /ドミンゴ・トルテローロといっしょに
soy camarada y demás , /俺は仲間とその他大勢
soy camarada y demás /俺は仲間とその他大勢
y si al fin se la pilla , /お仕舞いにはスカンピン
lo arrastra a la ventanilla , /窓口を這い回る
lo arrastra a la ventanilla , /窓口を這い回る
hecho el juego, no va más . /賭けは終った,此れまでだ

Largaron, venimos bien , /皆消えうせた,うまく言ったぜ
ahora verán que papita /ベっぴんさん今度はどうする
y aunque sea una macana , /たとえ狂気ざたとはいえ
y en el que el caballo afana , /盗んだ馬だろうが
y en el que el caballo afana , /盗んだ馬だろうが
y el pato se armó de guita . /レースで損した奴に金をあてがい

Y al largarse la carrera , /レースに負けて
el caballo viene mal , /あの馬は脱落
el caballo viene mal , /あの馬は脱落
el rana sale piantando , /抜け目の無い奴は逃げ切り
y el gil se queda esperando , /愚か者は取り残され
y el gil se queda esperando , /愚か者は取り残され
la atropellada final . /最後の追い上げで結末
ジョキー・ドミンゴ・トルテローロはガルデル同郷人である。

⑰:リンダ・プロヴンシアニータ(可憐な田舎娘)/サンバ/作者:マリオ・パルド/歌:ガルデル-ラサーノ/1920年9月26日/原盤#18026A

Linda provincianita reina del pago /村の女王可憐な田舎娘
capullo en flor /花盛りのつぼみ
para ti son mis cantos /わが抒情詩は貴女の為に
y mi guitarra de trovador /わが韻文ギター
y mi rancho también /わがランチョもそれ然り
son todos para ti . /それらは総て貴女のもの

Para hablar de tus labios /貴女の口元に呟くための
no hallo palabras que caigan bien /相応しい言葉を見つけられない
más rojos que las guindas /奪い取るには赤すぎる
que los corales y que el clavel /サンゴ色かカーネーション
labios que al sonreír /微笑みの口元
dejan adivinar /占いゆだねる
que saben los secretos /秘め事さとり
y las ternuras para arreglar . /息合わす優しさ

⑱:ムニェキータ(お人形)/タンゴ/作詞:アドルホ・カルロス・へルチェル/作曲:フランシスコ・フアン・ロムート/歌:ガルデルソロ/1919年9月26日録音/原盤#18026B
この曲は1918年に“サン・マルティン”劇場にてマリア・ルイサ・ノタールにより初披露された。

Donde estara … /何処にいるのだろう
Mi amor , que no puedo.hallarlo.. /私の愛する人,見つけ出せない
Yo no hago mas que buscarlo /私はあなたを探すただのみ
porque sin el ya no es vida ; /彼の不在は私の命は無い
probe la fruta prohibida /禁止された果物を口にする
probe encanto de amarlo .. /愛惜の魅惑を口にする...
Donde estara … /どこにいるやら...
Mi amor , que no puedo hallarlo . /私の愛する人,見つけられない
作詞者のヘルチェルは詩人,ギタリストでアマチュアの歌手。彼は若巻20歳頃の学生にして“ムンド・アルゼンチン(~世界)”と“エル・オガール(家庭)”誌に繊細な韻文を記載していた。その後クリオージョ的事がら(郷土音楽)に魅了され歌とギターに専念する。実際に歌とギター演奏は優れいた。それにガルデル自身も認めたほど甘く優しい歌声の持ち主であったが残念な事に父親の反対に合い公衆の前では絶対に歌もギター演奏も披露しなかったが身内の集まりなどでは一人で歌とギターを奏でたり居わせたガルデル,ラサーノ,マルティーノとタピア達とも唄いあう事も常だった。スペインから持参した真珠貝殻模様と金色に輝くギターを所持していたのたが長く持ち歩く末に紛失させてしまっている。“エル・バガブンド(放浪者)”(*),“ポブレ・ガジョ・バタラス(哀れな安雄鶏b)”,“ミ・カバジョ・イ・ミ・ムヘール(俺の馬と俺の女)”,“アタルデセール(日昏)”と上記の曲“ムニェキータ(人形)”などをガルデルが取り上げている。ヘルチェルは1892年8月17日ラプラタに生まれ1941年7月12日チリーにて没した。
(a):コロンビアの民謡バンブーコなのだがガルデルはスペインのパソドブレ風に歌っているのはロドルホ・ヘルチェルやフェリクス・アラメーダ達などの着想を取り入れた為と思われる。(b):白と黒の混ざったはの鶏//バタラスとは古い1ペソ札を指すのだが,この場合は“安物”の意味になる。

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