2012年6月27日水曜日

『ガルデルは生きていた!』(2)


ここのところ10数年,しばらくラジオ放送にガルデル追悼番組が無かったのだが,今年は77回目になり,また数局のFMのタンゴ番組にそれが登場した。しかし,当然の事に1985~95年頃の番組に比べて真新しいニュースは無かった。と言う訳で50年前の雑誌「クロモス」の回想記事だが,ここに再現するとしよう。

メデジンの飛行機事故から少し時が過ぎた頃。
我々(クロモ誌記者)の行動する時が来た//
といっても些か時が過ぎているのだが...
あの事故の時,飛行場は騒動の最中だった最中にガルデルの遺体が発見されていないニュースに我々は当惑したと共に遅まきながら行動をとる。そこで,我々は独自にガルデルを見付ける為に仕度を整えた。たとえ,彼等の軽薄な経済が破産するまで...我々は徹底的にガルデルを探し出す覚悟を誓いきめた。ソルサルが連れて行かれたと思われるクリニックを我々は発見できなかったが,彼はメデジン市郊外のアントケーニョ東部地方に隠れていると推論の先を決めて,193512月から翌年の1月に掛けて我々は怪しい様子の何処かのフィンカ(農園)を疲れも無く捜索する為に人員5人を振り向けた。
突然,誰かが“...ある日,布で顔を隠したガルデルが白色の自家用車に乗り込むのを発見する”。
「電話のベルがけたたましく鳴り響く」//
410日の朝,“軽率な奴”の電話が鳴る。
カルメンシータ・オルティス,我々の事務所の魅力溢れる秘書嬢が何時もの様に優しく受話器を取ると電話口の反対側から田舎丸出しの声が言う事には:
“お嬢さん,俺はあんた方が捜している怪しいフィンカを知っているぜ!!!
ただし約束のお駄賃をくれるならばね...“
我々はエル・レティーロに一目散に出向くべき車を走らせた。着いたフィンカの家は森に囲まれた蒼い水を湛える湖が見下せる高台の昇り途中にあった。そのフィンカはただ田舎風の藁葺き屋根とアドベ壁で建てられたうらぶれた徒住まい,入り口の門も変わり栄えしない木柵の扉とありふれた普通の作り,だが周囲の情況が風変わりで好奇心を誘われる。先ず警備員さんに挨拶を交わし,我々の希望であるフィンカの住人と話をしたい申を伝えると答えは頑なに拒否された。大統領すら入れるなと命令されているから...とカービン銃の安全装置を外した。
「我々は見た!ガルデルの姿を...」:
我々の編集長が目で戻ろうと合図して来たので,ここを立ち去り一旦メデジンに全員で帰ろうと考えたが...しかし,自然に納得される事だが我々は号外的ニュースを手中にしたのも同然。だから,順番に偽装しながらその場所に見張り配置する事にした。三匹のドーベルマンと一匹のセバードで,あのフィンカは監視されていた。その広さは300平方メートル位いと思われる。そうした田舎の静寂の中。突然犬の吼え声か遠くからと車のエンジン音が聞えて来る。我々は常時少しの空腹感に襲われと不安感情の高ぶりに身震いする。
仲間の誰かが警備員を買収してしまおうとそれと無く仄めかした。しかし,警備員はもしかしたら金をくすねるだけでカルリートスに警戒を促すのみに終わる可能性もある。我々皆疲れきっていたが...しかし,この不愉快は我々に戦慄感を誘った。
とうとう,425日の午後に彼の姿を見る事に成功した。
ガルデルが見えた!
ソルサルが居た!
まったく嘘みたいだ!...
「ガルデルが日光浴」//
あの日,黒メガネをかけた喪服の一人の女が犬を二匹連れて緑色のルノーに乗ってフィンカを出て行った。残ったのは一人の男と二匹の犬,事は多少行動するのには容易になる。我々の編集長はフィンカの脇の方に火をつけ,カメラマンは火の燃えている反対側に一匹のウサギを離した。核心は即座に犬達を引き付ける。警備員は火が燃えている場所に駆け寄る。カメラマンはソルサルの“偽の死”の後に初めての写真撮影に成功した。

(メデジン,1986//ルシアーノ・ロンドーニョのブログ記事を参考にした)
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