2012年5月22日火曜日

ペルリータとガルデル( 1 )


ペルリータ・グレコ編-1(再編集)


カルロス・ガルデルとロマンスを宣告した数々の女性の内の一人。“幻想か真実か?”単なる想像か唯宣伝の為の策略の産物か彼女のみ知るのだが。いや、確かにかの偉大なタンゴ歌手との愛惜関係に束の間に生きたのである。

ペルリータの“告白”は:ペルリータは大盛況に終わった舞台を後に毎夜の如く楽屋へ戻る。
その日は1935年6月24日の夜...舞台衣装やフアンに贈られた花束に埋まった化粧台。鏡に映る壁に貼られたアナ・パブロウア,マウリセ・チバリェール,ラ・ゴジャ,カルロス・ガルデル等の写真。そこに待っていた雑誌レポーター,ホセ・モンテーロ。彼に見せられた新聞の大きな見出し記事。“カルロス・ガルデル,コロンビアで飛行機大惨事にて死ぬ”。それを読み恐れおののくペルリータ...インタビューの瞬間に女神の如き眼差しを引き寄せ止めた。“可哀想なカルリートス!15日ばかり前に受けたアメリカからの最新の便りには私に書いた「プロジェクト,仕事は総てうまく行っている」と彼の話。そしてこの突然死のニュースは恐ろしい!それゆえに,わが命におきた多くの出来事ゆえの思い出”と泣きくずれながら挫折したアイドルとのロマンスのよき瞬間を告白した。前期のペルリータの告白の情報は度々繰り返されたが,その全体は公表される事は決してなかった。彼女の告白はここまで...ではペルリータ・グレコとは実際に何者なのかその経歴は?まず関連した芸能から再現して見よう。疑われたレスビアン,素敵なピアニスト,しとやかな声,上品な知的能力と当惑させる美貌に魅惑させる人と完璧な錬金術の持ち主...軽薄と純真な乙女如き風采と社交界に軽薄と異端と非難が生じたシンボル的存在。彼女、ペリータ・グレコの本名はアルホンシーナ・グレコ・コンスタンティーニ,1906年5月11日にスペイン,マドリードに生れた。母はイタリー中心部山岳地方のアブルソーの小都市カサカゥデテリャの出身である。母に連れられて多くのイタリー人の例に漏れずにアルゼンチンにやって来た。幼年期はサグラード・コラソン修道院付属学校に入学を果たす。そこで16歳までカトリック修道女の下で教育を受けたが其処で早くも芸能への才能を育ませる。そこで歌とギター及びダンスを身に付けた。その上に習得したピアノはずば抜けた芸であった。やがて多く少女達が夢見るように彼女ペルリータも同じ様に経済的社会的向上へ向けて演芸世界へ道を探す為にロサリオからブエノスの中心街のペンションに母と共に移り住む。時は1924年の事であった。また,彼女の随一の目的は“世界一有名なアーティストに伸し上る”ために演劇界へとデビューする事。一方の母ジオビーナはタンゴ“ラ・ビオレテーラ”の唄のようにポルテニョ街のカフェティンやバーからバーに魅力的な微笑みと共に花売りに励み,また芸能興行に関連する男女に生粋の好感で接しペルリータが演劇界に入るコネの獲得に常に努力する程の良き理解者であった。それは娯楽産業と近代性の運び台に攀じ登る為に衝動的野心を伴う場末のぬかるみの存続する狂乱の場所。それはブエノスアイレス狂乱時代の出来事であった。タンゲーロ,タンギスタ,カンシオニスタ,トナディジェーラ,サイネテーラに成るためには美声を所有する事は助けになるが,だが絶対的不可欠な要素になる事は無い。反対に声技巧の過剰は演技プロットを曇らせる。これらの条件は歌手に要求されるほんの些細な事だが...その通り一口に言えば...詩節それぞれの確認を許すニュアンス。感傷的か悲劇的,滑稽か劇的に成りうる。しかし,常に超過する事無く,自然な仕方の技巧を物にする。そのもっと複雑な自然性を手に入れる。より明白な例としておそらくアルゼンチンではティタ・メレーロだろう。つつがなくわずかな例外として(彼女の様な“俳優兼歌手”を語るのがより好ましい)彼女の青春の美貌と健康の大部分をゆだね茨の道に入り込む。大部分の彼女達は慎ましい家庭に由来するが,そして貧困から抜け出す為に勇敢にもステージに飛び込んだ。ペルリータは邪悪したシステム論理を壊す為にトリックを活用した...適切なチャンスを待ち,抜かりなく粘りとうした。好機はこの様に生じた:ラ・コメディア劇場の出し物“ラス・コルサリアス(海賊女)”の主人公コーラスガールのセリア・ゴメスが父親と共にスペインへ帰るために新しいアミ―ガに主役の欠員埋めさせるチャンスを与えてくれた。ファストラに生まれ変わるペルリータ・グレコ“このデビュー名で舞台に”...偶然の気紛れとある一部の人は言うが“相応しいポストと機会に居る為の嗅覚を持ち合わせる”と評価した人もいた。ミゲル・ラマスと神聖な俳優連との共演の主役の様な初舞台は話題になり,芝居の優れ者に変豹した。性欲の渇きの為の男を誘拐に励む美貌のアマゾーナ役にめがけて精通。パソドブレ“ラ・バンデリータ”は本物の賛歌に変換させた。これらの音楽は甘ったれ気味且つ感動的でグラナダ出のフランシスコ・アロンソが装飾している。ブエノスアイレスにてこの出し物は3千人以上の入場者で埋まれた。

ペルリータとマイサーニ:ペルリータはレビュースターの様に目覚しい経歴で登場した。“ラス・コルサリアス(海賊女)”のラ・コメディア劇場からポルテーニョ,マイポーへと舞台の場所を変えて行く。ぺぺ・アリアスの“カベシータ・ロカス(狂った頭)”のオペレタや“モリーノス・デ・ビエント(風力製粉機)”,“ドニャ・フランシスキータ”などのスペイン抒情詩スタイルの作品類にも解釈的演劇にも手短に浸入した。1926年歌手アスセーナ・マイサーニと知り会い友情を交わす。噂では二人のアティーストは同性愛好みがあると非難されたがそれはむしろ曖昧であると判断された。マイサーニは男装で演技するが“ミロンキータ”,“モコシータ”の節をつけて歌う時にはグレコも同じ様相を取り入れた。しかしながら,タンゴにおいては双方とも評価されるのを何時も避けていた。
1928427日マイプー劇場で初演されたイボ・ペライ,ルイス・セサル・アマドーリ,ウンベルト・カイロ合作オリジナル作品の“カサス・ソンリエンテス(微笑の家)”レビューの舞台にペルリータはマイサーニとカルメン・オルメード達と共に共演した。また,6月8日初演の同作者の作品で同共演者と“エストレージャ・デ・フエゴ(炎の星)”に出演。翌月の7日“フベトゥー,ディビーノ・テソーロ(青春,素的な宝)”の舞台にアンヘラとビクトリア・クエンカ姉妹,カルメン・オルメド,ビオレタ・デスモン等と共演した。

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