2012年5月4日金曜日

ガルデルの一世紀前の初録音曲 ( 2 )


ガルデルが初録音した“ソス・ミ・ティラドール・プラテアオ”の生れた経緯...

ガルデルが初録音した“ソス・ミ・ティラドール・プラティアオ”の元になった詩“レトゥルコ(反論)”を作った人物がオスカル・オロスコである。彼はウルグアイ国パイサンドゥー1878年6月6日生まれ,マルドナード地方に於ける女流詩人の母ドリア・カステリ・デ・オロスコの“エル・ロメリージョ”農園で育つ。モンテビデオの学校で修学優秀表彰を受けた。そこで老練な小説家カルロス・レイレス(1868~1938)に知り会い,彼と共にエキスポ・イベロアメリカのウルグアイ代表としてセビージャに派遣される。晩年はコロラド派(右翼)の政治活動に参加した。1937年6月26日モンテビデオにて没。彼のもう一つの業績は田園地方生活の印象をモチーフにしたクリオージョ韻文詩の作品を多く残している。その一つの“レトゥルコ(反論)”又は“チーナ・ミーア(俺の可愛い人)”はデリア・ロドリゲス・ソーサ嬢に宛てた恋文の一部であった。(彼女とは1903年8月30日に結婚式を挙げて居る)

この詩“レトゥルコ”は1900年1月15日に発刊された雑誌“エル・フォゴン”58号に記載された。このオリジナル詩の導入部はガルデルが省いてるので下記に再現する。

Estamos en el pintado /我々はそっくり
con la tropa en pastoreo , /放牧されている家畜と
porque el paso esta muy feo /それは道の余りにも酷い
y aqui me tiene embretao , /そして,ここは俺を柵にのなかに押し込めた,
Te escribo sobre el recao /伝言としてお前に託す
tan solo por noticiarte , /唯一つお前さんに知らせるため,
donde me encuentro ,y pa`hablarte /おれに出会う処で,そしてお前と語るため
de aquellas cosas queridas , /愛しき事ごとのあの出来事,
Pa’ que veas mi fino amor , /我が優美な愛をどうか理解しておくれ,
con todo esmero y primor /繊細と出来る限りの細心と共に
que he dejado alla perdidas /あの迷いにおちこみて
al tener que abandonarte . /お前を置き去りにしなければならず.” 

これは“レトゥルコ”の一節目だが,まだ後に二節目があり三節目から“ソス・ミ・ティラドール...”の詩節が始まる。後に二節あり全体で五節あるのだが長くなるので一部だけ紹介した。ガルデルはオロスコの詩の三節目を“エスティーロ”スタイルで彼風にアレンジを施して仕上げて初録音のデビュー曲にした。ガルデルはこの“ソス・ミ・ティラドール・プラテアード”の作者はフアン・“トローラ”・エスカジョーラだと名指していた。この人“トローラ”氏はガルデルの従兄弟に当る人物であるが“レトゥルコ”なる詩を1899年9月7日のエル・フォゴン誌に載せていた。その詩の一部を書いてみると...

El final ya lo presiento /最終的には今やその予感がする
si a tiempo no me descarto ; /そうだ時は逃れできない
como verlo , que me ensarto /それを見解る様な
si voy en su seguimiento /そうならば彼の後追い
pa’ cantar con sentimiento . /歌うためには悲嘆と共に

この節にも後に続く節にもミ・ティラドール...なる言葉は出てこない。この詩は偶然にも同じ題名だが内容は全く違うテーマである。ガルデルは何か勘違いしたのだろう。それにしてもガルデルにはウルグアイに親族を持っていたのだ。幼少からモンテビデオに住み10才頃養母ベルタにブエノスに連れて行かれたが少年になるとモンテビデオに独力で舞い戻っている。その後生地タクアレンボーに行きバジャドールとガウチョの仲間入りの末にエスティーロ,カンシオン,ビダリータなど土地の民謡を身に付けて歌いはじめる。この環境により“ソス・ミ・ティラドール・プラテアオ”は生まれベくして極自然に彼の口から歌と成りえたのだ。これは世間万人の知らないウルグアイ郷土に生きたガルデルの生い立ちの成果である。



左の写真はウルグアイ文芸誌“エル・フォゴン”の表紙である。フォゴンの由来はガウチョ達が夜張りに三々五々集まりパジャーダやガウチョ風民謡を歌たった憩いの場所に炊かれた“焚き火”らしい。この文芸誌は1895年にアルシデス・デ・マリアとオロスマン・モラトリオらが設立した。エリアス・レグレス,フアン・エスカジョーラ(*),マリティアーノ・レギサモン,ドミンゴ・ロンバルディの面々が協力参加している。主にラ・プラタ地域のガウチョ文化のジャンルを中心テーマに編集されている。(*)印を付けた人物は紛れもないガルデルの従兄弟“トローラ″エスカジーラ氏である。
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この歴史的一世紀前の録音した14曲の他の曲は昨年7月31日1~5曲
/8月1日6~10曲/8月3日11~14曲と紹介してありますのでそちらを参照ください。

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