2010年5月11日火曜日

ガルデル、インタビューに答える(1)

* 質問:貴方は音楽を知っていますか? 
1929年5月20日、マドリード:雑誌シネグラマ
ガルデル:『いいえ、私の唄は全て耳から、それらは記憶が頼りで忘れない為に練習の積かなせ、記憶力は抜群だ。2千曲は唄つたと思う、、、私の唄は庶民向け、ラ・プラタの魂を唄に、生きたフークソング。違うかい?』

*質問:タンゴの未来は? 
1931年11月、モンテビデオ:カンショネーロ・レポート
ガルデル:『約束ごとに見える、それは唄に関して消滅する事は無い、そして、新しいテーマや的確な詞は出現し続き、堅固たる成功を勝ち得なければならない』

*質問:貴方が歌い始めた頃、音楽学校を全然考慮しなかったのですか?
1933年3月18日、雑誌アンテナのレポートより:
ガルデル:『私は自惚れで言う訳でないが、又全然並外れでもないし、歌うために生まれて来たと思う。幼い頃から長い時の間ずつと唄に興味を持ち、如何なる刹那に立証確認できる事で、友達間の歌い手だった{a}。もう少し成長してから、各劇場に出入りを始め、自分のひいきは叙情スタイルのやり方。あの時代の、少年の出来事、ある日にきっと彼らのように成れる様夢見て、私はあの歌手達を聞くと熱狂した。これらは疑いも無く私に多く影響した、しかし、大叙情芸術家の影響はタンゴを歌うためには、受け容れないのは筋道だ。それらが過ぎた私の最初の芸術的知識と過ぎ日の私が出会った、あの純粋な声を獲得して手に入れた。私自身の気性と能力で歌い続け、常に自己向上に努めて何時も決心する事に固辞した。絶対に自分の性格が示す方針から飛び出す事は無いと、これを我が成功を引き起こした要因と信じる。今、観察すると一部の歌手達は反対の扱いをする。私の意見では酷い間違い犯している。有る一部の歌い手は芸能人でのもはや先天的な情緒を満足させるのではなく、そこの環境で容易な多くの人気名声を詮索する事を単に求める。才能を持ちながら強情を張り別の構造外で歌う輩も、そして、彼らは深刻な損害に直面する。それらの歌手達は事柄の架空な基盤の地位を直ちに失う。処で、さらにこれら全てを強く主張するが、独自スタイルに結びつけて、それは個人評判という事を誰なしも輝く将来を真剣に考える事を検討して可能にできる。』

*タンゴとは?:1933年9月21日、グラフィカス・ニュース・ペーパ
ガルデル:『殆んど、タンゴは、あの時代では歌われなかった。それらはエスティーロ、そして、トナーダ・クリオージョ。タンゴ歌唱はそのあとに来た、感傷的か悪戯的な、アラッバレーラ、そしてこっけいな、不在の悲しみと、矛盾する愛、グアポの刃物事、騙された女のすすり泣き、つつましいポルテニョ詩人らの開花、それぞれの町々で港から来たモチーフ歌唱のタンゴを奏でるバンドネオンが聴こえる。同じポルテニョから混ぜ合わす人種の坩堝から見出したやり方の歌唱タンゴ、ここの若者たちの悲しみ、風とともに海洋を横切り、アングロサクソン大富豪を魅了させ、パリの騒々しい少女達を興奮させる、節を付けて歌うタンゴの為にはより甘美な声を掴むだけでは十分ではない。いや、心で受け止め、それに、かの意気に生き無ければ成らない。私はそれに生き、美女の甘美な視線を感じと着飾る女性が私の“マイカー”に軽快に横過ぎるのが見える、私は“タンゴ”その物と承知、競馬場から出てくる時、私を後をつける庶民の少年達の眼差し、洋服屋が念お入れて上等なスーツを仕立て挙げてくれる時、店員が探してくれる華麗なネクタイ、そんな時に自分を疑わない。敬意はタンゴからなつたと承知する、私は彼等の為のタンゴ、そして、それが好きだ、だから私はよけいクリオージョ、心地よいフランス歌唱を賛美する時の場合でも、人々が美しい音符の“Parlez moi D´Amour”聞いてくれる場合でも、私はタンゴ歌手で別の唄のためにも興味を示すのも知っている。

*どの様に貴方のタンゴを作曲しますか?
1935年2月、ニューヨーク:パラマゥント・メセンジャー、
ガルデル:『どのように編曲するかとかタンゴを作曲する日課をどう追続しているのか、頻繁な質問に飽き飽きさせる、本当の所は私の初めの願望はその質問に身を交わすこと。それでは詮索好きを失望させるのを恐れる、タンゴを書くのに悲しみ嘆くか馬鹿騒ぎに発奮を感じるのを不可欠と多くは信じるが間違いだ。』

*何処で作曲家達のインスピレーションを発見するのですか?
ガルデル:『この質問に私に答える能力がもしあるならば、この世界の皆が歌唱を生み出せるだろう。この質問には断固として答えられない、それは創作インスピレーシオンを調和させる多様なファクターがある。』

*貴方の映画の歌唱はどんな様に生れるのですか?
ガルデル:『まず初めに状況によく共鳴する演技を駆り立てるモチーフ、そこで彼らの歌のインスピレーションを起こさせる、感傷か喜びの段階を推定して、語釈を考えずハミングし始め、チャンスに相応しいメロディーが生れるまで繰り返す。そして私のすべての映画作者の好感な友人アルフレッド・レ・ペラを呼び、ピアニストと彼の援助で作曲を少しずつ創める。時には一、二時間かけ、、、ある時にはインスピレーション不足で我々の骨折りを中止して翌日に再開する事に強制される。疑いもなく私は自分の唄を作曲する為に一見他の作曲家より優位を持つ、他人はビング・グロスビー、ホセ・モヒカ、ラモン・ナバーロ、etc、、、に作曲し、明らかな事は彼等の課題は私のより多く難しいに違いない。』

注:{a}ガルデルの芸能活動編を参照ください。
    ガルデル少年時代にパジャドール達から歌唱とギターを習う。
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