2012年3月30日金曜日

ガルデルのCDシリーズ:CD-3/8曲目

⑧:ミス・ペーロス(俺の犬達)/バンブーコ(コロンビア民謡)/作者:ガルデル-ラサーノ/原作詞:フェデリコ・リバス・フラデ(コロンゴア)/原曲:ホルへ・アニェス/ガルデルの歌うフラメンコ風に編曲したのはフェリックス・スコラッティ・アルメイダによるもの/歌:ガルデル-ラサーノ,ギター伴奏:ホセ・“ネグロ”・リカルド/1918年8月28日録音/レコード番号#18012A/

Ya mis perros se murieron /俺の犬達は死んでしまった
y mi rancho quedo solo.. /そして,俺の小屋は孤独に
Ahora me muero yo, /今度は俺が死ぬ,
para que se acabe todo; /すべて終わりにする為;
ahora me muero yo, /今度は俺が死ぬ,
para que se acabe todo; /すべて終わりにする為;
Ah! /アィ!
a mis perros murieron! /俺の犬達死じゃた!
Yerbecita de mi huerta /わが農園のマテ茶
la que tanto quise yo, /われが欲したすべて,
ya se fue quien te pisaba /おまえを踏みつけた奴はもう去った
y ahora quien te pisara? /だか今度は誰がお前を踏みつける?
ya se fue quien te pisaba /俺はお前をふんずけていた奴をもう知った
yerbecita de mi huerta ! /わが農園のマテ茶!
los ojitos de mi cara /わが顔の瞳
que lloraste tanto y tanto /ほどほどに泣きじゃくり
la culpa la tienes tu. /それはお前の所為ゆえ.
que me estas atormentanta /おれを苦しめのすえ.

バンブーコとはコロンビア民謡で海岸地方のアフリカ系黒人音楽とアンデス山脈地帯のインディオ系音楽の混じり込んだ単純な踊り。地方の祭りに踊られるダンス形式でリズムは6/8拍子。歌はコーラスでダンスのバックで歌われるが,この歌がどういう経路でアルゼンチンにたどり着いたのか?。その経路としてはコロンビアからキューバを経由してアルゼンチンへの定期船便のルートによるものであろうと解釈したが,コロンビア人メデジン出身のタンゴ研究家ルシァーノ・ロンドゥニョはメデジンで結成されたリラ・アントケーニョ民謡楽団のレオネル・カジェとエゥセビオ・オチョア等が歌を受け持ち他のメンバーが民族楽器を奏でる素人的な芸能人グループがバンブーコを1914年頃にチリーに広めた記録があると言う。ガルデルはその3年後に作曲家フェリックス・スコラッティ・アルメイダ等共にチリーを訪ずれたが,その時にスコラッティがバンブーコを知ったのではないかと想像する。彼がガルデル-ラサーノ等が歌う為にバンブーコを彼独特な編曲をする。よってコロンビア民謡とは大分違うニィアンスになったのだろう。コロンビア人音楽家ハイメ・リコ・サラサール(*)はスコラッティをこれらの民謡を盗作したと非難しているがそれは違うだろう。これらの曲はいずれも原曲の面影を残していない。それも其の筈でガルデル(スコラッティ)は“ミス・ペロース”をスペイン人バイオリ奏者パブロ・マルティン・サラサールの“第七番目のダンス”からのスペイン“フォークロア”のフラメンコ風にアレンジした。歌はアンダルシーアの無名の古い四行詩を取り入れていると亜国の音楽研究家ロベルト・セジェスは確言している。

2曲目のエル・ヴガブンド(怠け者)はコロンビア民謡でフルへンシォ・ガルシアに帰属する。ガルデル-ラサーノはこの曲を1919年に録音した。この詩歌の最終部分はアンダルシアのバラードの一部に類似しているがメロディーの作者は不明だと言う。ガルデルはこの曲もスコラッティの編曲を基したフラメンコ調にアレンジしている。また,オリジナルの“エル・ヴガブンド(くだらない世界)”はレオネル・カジェとエウセビオ・オチョアが歌うリラ・アンティオケ―ニョのレコード録音(1910年6月)がメキヒコに存在する。

3曲目のルモーレス(噂話)をガルデルは得意として3回も録音した。そのうえ,事故死の前日ボゴタのボス・デ・ラ・ビクトル(ビクターの声)の実況放送で“ラス・アグァ・デ・マグダレーナ(マグダーナ川の水)”として歌ったが原題はボゴタの東側にある丘陵地帯をモチーフにしたとも思われる“トラス・デ・ラス・コリーナ・ベルデ(緑の丘陵の後ろに)”と言われ,原作者は作曲アレハンドロ・ウィリス,作詞フランシスコ・レストレポ・ゴメスで“ウイルスとエスコバル”の二重唱によるレコード録音が1915年頃になされている。彼等の二重唱は1924年頃ブエノスアイレスで公演しているのだが,ガルデルは果たしてこの二重唱の歌うオリジナルの“ルモーレス”を聴く事が出来たのだろうか?。

4曲目のアソマテ・ア・ラ・ベンターナ(窓際に寄りそれば)は原題を“セレナータ(セレナード)”と名づけられていた。原作者はコロンビア人トロバドールのアレハンドロ・フローレス・レストレポによる。ペロン・サンタマリアとアドルホ・マリンにより既に1908年にコルンビア・レーベル(メキシコ)録音が存在している。ガルデルはこの曲を1920年に録音した。

5曲目の“ミス・フローレス・ネグラス(我が黒い花々)”のリズム形式はバシージョ(軽快なダンス音楽)で古いヨーロッパのワルツの影響を受けたコロンビア民謡である。作者のフリオ・フローレス・レストレポが1903年に発表した。ガルデル-ラサーノは1922年に録音している。この曲はエクアドール人歌手のアルバラードとサファディ達によって1916年録音の登録がある。またガルデルが歌うこの曲がジプシー風になっているのはスコラッティの編曲によるものである。亜国ではフェリクス・スコラッティ・アルメイダと某グスマンの名目で版権登録されている。ラファエル・ダ`アゴスティーノは1928年に自作曲として版権登録を試みたが却下されている。コロンビアで発売されたCDの中にこの曲をガルデルとカルロス・フリオ・ラミレース(プエルトリコ)との二重唱のすばらしい録音が含まれている。何時ごろの録音か不明でしかも二人は活躍した時代も遭遇もしていないので,これは特殊録音で処理されたものだが,フリオ・ラミーレスもガルデルに退けとらない好歌唱である。

注記(*)ハイメ・リコ・サラサール:『カルロス・ガルデルの彼の人生と歌集』1985年著/内容はフランシスコ・ガルヒア・ヒメネスの著作をコピーした物にすぎないが付属の『ガルデルのレコードリスト』は完璧なもので,亜国では手に入れられないと思われる貴重なデータもあり,小生のブログの構成に有益な参考資料に成っている。



0 件のコメント: