2010年11月5日金曜日

ガルデルとタンゴの詩人、作曲家達(1)

(7)『バンドネオン アラバレーロ(場末のバンドネオン)』、このタンゴは1928年にバンドネオン奏者バチーチャ{a}の曲にコントウルシが詞を付けたもの。まず初めにビアンコーバチーチャのオルケスタ{b}の演奏でホセ コーエンが歌い披露され、フランシスコ カナロはチャルロの歌で録音。同年の10月20日にガルデルはホセ リカルド、ギジェルモ バルビエリ、ホセ マリア アギラール達のギター三重伴奏でフランス オデオン レーベルに録音した。イルスタ‐フガソー‐デマ―レらのトリオ アルヘンティーノでスガソーの歌で録音。近年ではトロイロとロベルト ゴジャネチェ、エドアルド デル ピアノとアンヘル バルガス、フランシスコ ロッンドとフロレアル ルイス、ピアソラとネリー バスケス、サルガンとリべーロ、彼等達の有名オルケスタと有名歌手のコンビの録音など、オスバルド プグリエーセ、ラウル ガレーロ楽団らの名演奏がある。とこで、この『バンドネオン アラバレーロ』の詞を書いた主人公パスクアル コントウルシは1927年からのパリ滞在中に異常なまでの酒に溺れ、生活の荒れによる精神異常に侵された時期に、彼の最後のあがき的な彼自身の狂気のほの暗い心中を詩に托した作品である。



Bandoneon arrabalero
場末のバンドネオン
viejo fueye desinflado,
縮まつた古いジャバラ
te encontre como un pebete
餓鬼のように出遇した
que la madre abandono,
母さんに見捨てられ、
sin revoque en las paredes,
その壁には思切りも無く、
a la luz de un farolito
ガス灯の光に
que de noche te alumbro..
おまえを照らし...            

Bandoneon
バンドネオンよ
porque ves que estoy y cantar ya no puedo,
なぜおれがそして、もう歌えない
vos sabes
おまえは知っている
que yo llevo en el alma
俺が魂を引きずって
marcao un dolor.
痛み痛恨をとどめ

Te lleve para mi pieza
おまえを俺の部屋に運び込み
te acune en mi pecho frio…
おまえをわが冷えた胸にあやす...
Yo tambien abandonado
俺もまた捨てられた
me encontraba en el bulin…
貧しき部屋にいて...
Has querido consolarme
おまえは俺を慰めしようとし
con tu voz enroauecida
そのしわがれ声で
y tus notas doloridas
おまえの痛みの調べ
aumento mi berretin.
我が気紛れも増す、


エンリケ カディカモの話ではバチーチャはこのタンゴの作者では無く、オラシオ ペトロッシ{c}が1925年のパリでビアンコ‐バチーチャ楽団に参加していた時に作曲し、バチーチャに千フランで版権を売ったのだとか、、、ある夜のカフェ『パレルモ』の店終い時にギタを抱えたペトロッシは楽器をしまい帰り支度を済ましたバンドマスターのバチーチャに近ずき『今、作ったばかりのタンゴを披露しようと』徐にギターでインスピレーションの彷彿したテーマのメロディーを奏で、聞き手(バチーチャ)は真心賞賛の意で讃え。そこでぺトロッシー曰く、『この曲の感想は?』、

大あくびを抑えながら(もう、晩いんだからとばかりに,,,)
バチーチャ答えて『いい感じ、祝福するぜ!』、
ペトロッシー大声で『千フラン』、
仰天したバチ―チャは聞き返す『何の事?』、
ギター奏きは笑いながら『これ売るよ、今晩だけのチャンス』、
バチーチャは彼がボヘミアン上のやむ得なく使い果たす為の金と思い、千フラン取り出し、
借金の申し出と考え親切に受け容れたが、、、
ギター奏者は借金したことは直ぐに忘れるからと申し出を断り、『借金はだめ、、、千フラン早く、早く』この金額により、この作品『バンドネオン アラバレーロ』タイトルそのままに版権名義が変わる経緯である。そして、コントウルシ詩人登場で世に問われる事になる。

{a}バチーチャの本名はフアン バウティスタ デアンブロヒーオ、バンデオン奏者。1890年3月2日ラプラタ市に生れる。オルケスタビアンコ‐バチーチャでパリに乗り込む。

{b}ビアンコの本名はエドァルド ヴィセンテ ビアンコ、1892年6月28日生まれ、バイオリン弾き。1913年アルフレッド ゴビ(父)、タンゴダンサーと詩人でもあるエンリケ サボリード等達と『光』の都市パリにタンゴ普及活動の開拓者の役目を果たす。

{c}オラシオ ペトロッシは1896年10月21日生まれ、1915年ホセ リカルドとエリアス フィリピ‐フアン ゴンサレス カスティジョ劇団の出し物、題名「フアン モレイラ」劇中でガルデル‐ラサーノ二重唱が歌った『フェスタ クリオージョ』のギター伴奏に参加。                             
ガルデルとはこの時期から旧知の仲、1933年パリでかの有名曲『シレンシオ』の作曲に協力。同じ年後にガルデルの亜国地方、ウルグアイ巡業とレコード録音にバルビエリ、リベロール、ヴィバス等とギター四重奏に参加。

にほんブログ村 音楽ブログ ワールドミュージックへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 音楽の豆知識へ
にほんブログ村

0 件のコメント: