2010年3月26日金曜日

ガルデルの恋愛遍歴(1):プロローグ

(*):ガルデルの恋愛遍歴:プロローグ
ガルデルがニューヨークへ向う一ヶ月ほど前の生存最後になるモンテビデオ、ウルキサ劇場での公演は彼の歌と心を擽る愛想の良い仕草に,女性専用観覧席から舞台に花束を投げるとか、白手袋を投げてガルデルに直接手返りさせる貴婦人まで居たりで、女性フアンの熱狂振りは凄まじく、満場喝采の拍手の中を彼は舞台を消えて行く。















南米巡業旅行最初の地プエルト・リコ、サン・フアン港で早朝のも関わらず、貴婦人達の群衆に出迎えられ、カラカス、メデジン、ボゴタでもその歓迎振りは凄まじく、彼の人気は神話ではなく、現実であつた。
タンゴ“パテトロ・センティメンタル”に出てくる主人公はこう歌う、“俺はパテトロ、キャバレーの王者、この人生で多く、多くの女を知り、、、だが本物の愛をも得られず”その内容ズバリの人物がガルデルである。あのメデジンの飛行機事故の6日前、18日にボゴタのナショナル新聞のインタビューにガルデル答えて:貴方は結婚する気があるかの問いに“神様助けてくれ!考えた事も無いし芸能人は結婚するべきではないと思う”では恋愛の経験、どんなタイプの女性を好むかの質問に彼曰く“我が人生において快い思い出に結ぶ数人の女性が記憶から離れないし、何時も幸せなひと時であった。好きな女性タイプは疑いも無く『私の性格をよく理解できるラテン系』を選ぶ。しかしながら、知性と魅力的女性なら全て歓迎するし、一般的常識ではアングロ・サクソン系女性の冷静かつ打算的との印象があるが、いったん理解恋する男に巡り会うとラテン系女性同様に繊細で情熱的で魅惑させられるので不都合は無い”と答えている。今世紀初めごろ成功したこのタンゴ人、ガルデルは夜遊びに積極的に過ごし、幼少年期からポリテアマ劇場の楽屋に出入りし、俳優たちの人気者であつた。少年期に養母ベルタの家を抜け出し、瞼の生母を訪ね放浪の果てに、モンテビデオで歌手やパジョドール達に知り合う(前編を参照の事)。アバストのカフェ『オ‘ロデマン』、や初期発展時期のキャバレー『チャンタ・クアトロ』に出没し、ガルデルはホセ・ラサーノに知り会い、二重唱を組んだ頃の年の暮れにマイプ-とエスメラルダ間のビアモンテ通にある、マダム・ジェアンネの怪しき邸宅に招かれた。そこで宴を盛り上げるためにラサーノとオマール・ペレスのピアノで夜を明けるまで歌い過ごし、宴は翌日新年をキャバレー・アルノンビージャに引続き、彼らの二重唱は一晩の出演料70ペソスで契約が結ばれる。この日の出来事がガルデルと正に“マダム・イボンヌ”の生き写しジェアンネとの密かな結び事の幕が下ろされるのである。彼女との関係は可なり長く、ガルデルが彼女のパトロン、フアン・ガレシッオの雇うマトン(刺客)を逃れる様に‘28年にフランスへ立つ頃まで続いたようだ。もう一人のイサベル・マルティネス・デル・バージェの場合は公然と公開していた恋人、彼女がガルデルと知り遇ったのは‘21年の時、少女とも言える14歳の時、この関係も長く続くが、当時ガルデルはロドリゲス・ペニャ通り451番に養母ベルタ、アナイスらを住ませ、イサベルとコリエンテス1700の“コトーロ(逢引に使う部屋)”に彼女と住み、マダム・ジェアンネ(俗名リターナ)の処にも通い続けていたらしい。養母ベルタはイサベルを好まず、ガルデルに彼女の若き過ぎること、家族の介入、経済的過度の要求など何かと苦情を訴えていた。イサベルを‘31年にフランス行きに同行させ、彼女の希望でイタリーへオペラ・コーラスの留学に行かせるが、ガルデル自身もイサベルの余りの気紛れと打算及び家族の経済的要求に辟易し、アルマンド・デフィーノに託して印籠を果たす。ガルデル、最初のフランス滞在時に知るマダム・サディエ・バロン(アメリカ女性)は多大な経済的援助をした女性。
彼女の父親が残した当時多大な遺産によりガルデルのパラマウント映画製作の資金を提供したのである。フランス人女優ガビィ・モンロイ、スペイン喜歌劇女優テレシータ・サラ、映画“カサ・エス・セリィア”,“メロディア・デ・アラバール”での共演女優インペリア・アルヘンティーナ、“ルセス・デ・Bs,As”での共演女優、グロリア・グスマン、映画“クエスタ・アバホ”の共演女優モナ・モリース、“エル・ディア・ケ・メ・キエラス”、”タンゴ・バー“の共演女優、ロシータ・モレーノ、スペイン演劇界の花形ペルリータ・グレコ、かの有名なフランス女優ガビー・モルロイはガルデルに深く恋惚れていたし、チャカリータの霊廟に“ポル・ファボーレス・レシビードス(愛の歓迎)”と明記したプレートを捧げた女性、エレーナ・デ・コリエンテス(本名エレーナ・フェルナンデス)の例はタンゴ“マノ・ア・マノ”その物のズバリ劇的ロマンスが秘められている。などと後から後からと数々の女性群の花々と登場、これらの女性がガルデルの仮初めの愛の相手である。そして、あの悪夢的な悲劇メデジンの出来事後、7月4日、キューバ、クマナジャグアでアメリア・カティジェ(17歳)はアルコール焼身自殺、バルドラメ・ペレス(23歳)は焼身自殺を遂げ、ハバナの病院で死亡。7月27日にプエルト・リコのミッドタウン・ホテルにてガルデルと一夜を過ごした歌手エストレージャ・デル・リゲルは服毒自殺を遂げるが命を取り留め、もう一人は上流階級の娘、スンチャ・ガジャルド(19歳)も同じ様に服毒自殺、などとニュースで新聞紙面を賑やかさせた。


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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いつもながらガルデルに関してのボエミオさんの情報量の豊富さに感服します。
ルナパークでだったか女性関係が原因でピストルで撃たれた彼の肺には後々まで弾が残っていたと聞きましたが、よく歌手を続けれたと思います。
  タンゴカブキ

El Bohemio さんのコメント...

タンゴカブキさん、ありがとう。恋愛遍歴はまだ続きます。ガルデルがピストルで撃たれたのは1915年の暮れ、パレード・グラスというキャバレーを“パトター”仲間達と帰るかニ次会に行く途中『チェ・ゲバラ』の祖先の人物にやられたのです。銃弾は肺の後ろに食い込みそれを医者は取り出さず其のままに放置したので、あのメデジンでの事故の時の機内の拳銃打ち合い騒動に結ぶ事になつたのです。兎も角超人的な歌い手ですね。