2010年3月17日水曜日

ガルデル、女流タンゴ作家の作品を歌う

   タンゴの初期時代から現在までに数々の有名無名の女流作詞、作曲家らが活躍し、タンゴの発展に奨励してきたが、ガルデルの活躍したタンゴ初期時代では封建的な環境で彼女達を受容る世界では無く。非常に稀であるのだが、ガルデルは1925~35年ごろの時代に7人の女流作家の作品数曲をレコードに録音しているので、ここに紹介する。





















写真はパキータ・ベルナルド
(A)パキータ・フランシスカ・ベルナルド:1900年5月1日、ブエノス・アイレス、ビジャ・クレスポ街に生れる(ブエノス市外のリアチュエロ川の対岸のある貧民街、マラドーナも此処に生れる)
彼女はプロのバンドネオン奏者で作曲家、タンゴ楽団のマエストラで1921年バー“ドミンゲス”にてオスバルド・プグリエーセ(ピアノ)、エルビーノ・バルダーロ(バイオリン)らの参加したセクテート楽団でデビューした。
彼女の作品は:
①:カチート(ちょっとだけ)/タンゴ/
②:フロレアル(花飾り)/タンゴ
③:ラ・エンマスカラーダ(仮面をつけて)/タンゴ(*)
④:ラビオス・ピンターダス(誘惑の口唇)/タンゴ
⑤:ソニャンド(夢の中)/タンゴ/(*)
⑥:セロー・ディビーノ(神秘的な丘)/バルス
⑦:ビジャ・クレスポ/バルス
ガルデルの取り上げた曲は彼女が24~5才頃の時期の作品、
①:ラ・エンマスカラーダ/‘24年/18102A
作詞:フランシスコ・ガルヒア・ヒメネス
②:ソニャンド/‘25年/19138B
作詞:エゥヘニオ・カルデナス
パキータ・ベルナルドは1925年4月14日にミロンギータの主人公のように果かなく25歳で没

(B)マリア・イソリナ・ゴダルド:
ブエノス・アイレス、1905年8月9日生
作曲家、ピアニスタとして活躍、1935年6月29日没
タンゴ
①:アドラシオン(熟愛)、
②:アルマ・ミア(我が魂)、
③:アノチェセール(夜更け)、
④:アタルデセール(夕暮れ)、
⑤:カリシア(愛撫)、
パンペアーノ(田舎風)、
①:コロサル・ムヘール(素晴らしい女)、
②:ドンデ(どこ)、
③:フンタンド・アモーレス(愛を重ねて)、
④:ラ・プリメーラ・ヌーベ(初めの雲)、
⑤:ロセリート(陶工、それとも人名)、
⑥:マンボレタ、
バルス:イドロ・ミオ(私の崇拝者)、
Shimmyの:シルセ(キルケ)の作品がある。
(注):キルケ、ホメロス(Homero)の『オデュッセィア』に登場する魔女
ガルデルの取り上げた曲(3曲)いずれも彼女の作曲で、
①:アタルデセール(夕暮れ)/タンゴ/作詞:ロドルホ・ヘルチェル/1921年録音/18040B
②:カリシア(愛撫)/タンゴ/作詞:フアン・カル-ソ/’25年/18132A
③:シルセ/shimmy/作詞:フアン・カルーソ/1925年録音/18127B

(C)マベル・ワイネ:
ニューヨーク、1900年7月16日生まれ、作曲家として活躍
1978年6月19日67歳で没
作品はバルツが主で
①:アンへリナ(女性の名前)、
②:チキータ(可愛い子、バナナのドレードマークにもある)、
③:チリビリビ(花火)、
④:クアンド・エル・ベルダデーロ・アモール・ジェガ(真の愛がくる時)、
⑤:エン・ウン・プエブリート・エスパニョール(スペインの片田舎)、
⑥:ノ・テ・デスピエルタ・ヌンカ(目を覚ます事は無いでしょう)、
⑦:ラモーナの全7曲の作品がある。
ガルデルが取り上げた曲は:
①:エン・ウン・プエブリート・エスパニョール(あるスペインの片田舎)/バルス/
作詞:ロヘリオ・フェレイラ/1928年8月16日/未発表/同年9月6日/18247A
②:ラモーナ/バルス/作詞:エンリケ・カディカモ/1928年10月11日/18252B

(D)マリア・ルイサ・カルネーリ:1898年1月31日にら・プラタ市にて誕生する、
雑誌記者、小説家、詩人として活躍し数々の雑誌に彼女の詩が記載されている。
①:カラ・イ・カレタ(戯言と表情)、
②:エル・オガール(家庭)、
③:フライ・ムチョ(雑誌の名前?)、
④:マリポーサ・ベニーダス・デル・オリソンテ(水平線から来た蝶チョ)、
⑤:ポエマ・パラ・ラ・ベンターナ・ポーブレ(貧しき窓辺への詩)、
⑥:キエロ・トラバホ(仕事が欲しい)、
⑦:ラマス・フラヒル(ひ弱な枝)、
タンゴの作詞:
①:アベジャネーダ(街の名前、ブエノスの隣町)、
②:コモ・メグスタ(なんて好き)、
③:デ・キエン・エス・エソ?(これ誰の?)、
④:ディシオチョ・キラテ(18金)、
⑤:ドス・ラヌーラ(二つの溝)、
⑥:エル・タウラ(やくざ女)、
⑦:ラ・ナランハ・ナシオ・ベルデ(オレンジはまだ未熟)、
⑧:リンジェーラ(出稼ぎ労働者)、
⑧:マノ・サンタ(聖者の手)、
⑨:ムーラン・ルージュ(キャバレーの名)、
⑩:プリメール・アグア(洗礼水)、
⑪:キエロ・パピータ(何か良い物が欲しい)、
(注):パピータとはパパ(Papa)神父、父、
ジャガイモ、何か良い事などの意味がある
⑫:セ・バ・ラ・ビダ(人生が過ぎていく)、
⑬:タルデス・パンペアーナ(田舎の黄昏)、
ミロンガ:
①:ルナ・ロハス(赤い月)、
②:ガト(リズム名)、
③:アスール・デ・シエロ(青い空)、
ガルデルが取り上げた作品はルイス・マリオ、マリオ・カストロのパンネームを使う、
①:クアンド・ジョーラ・ラ・ミロンガ(ミロンガが泣く時)/作詞:ペンネームのルイス・マリオ、
作曲:ファン・デ・ディオス・フィリベルト/①‘28年8月7日/18247B
②‘28年10月20日録音/18801と二回録音している。
②::パ’アル・カンバラーチェ(ガラクタ市場へ)/
作詞:エンリケ・ゴンザレス・ツニョン(ペンネームはマリオ・カストロの筈?)
作曲:ラファエル・ロッシ/‘29年10月23日録音/18294B/
1987年5月4日、ブエノス・アイレスにて没

(E)エルミニア・ベリチ(デ・ロサーノ、夫の苗字):1908年3月12日、ラ・プラタ市に生れる。
作曲家、タンゴ歌手、女優、初め父親、俳優フアン・ベリチと女優として共演デビュー。
‘25年ごろブエノス・アイレスのラジオ放送でタンゴを歌う、タンゴ・コンフントでピアノ、ギターも演奏する。頻繁にラジオ・ドラマにも出演する。アドルフォ・アビレスのジャズバンドでも唄い、ラファエル・ロッシ、エルネスト・デ・ラ・クルスらのタンゴ楽団でも唄う、1929年にタンゴ楽団のマエストロ、オスカール・ロサーノと結婚し芸能界から引退するが、1933年にラファエル・ロッシ楽団へ帰り咲く、1939~41年、ラジオ・アルヘンティーナで“エル・ガウチョ・ソンブラ”を唄い、ラジオ・プリエトで自作の“クァルキーエラ・コサ(誰かのこと)”、”ポル・ケ・ソイ・レオ?(何故俺は浮浪者?)”らのタンゴを唄う。
1956年1月5日にマール・デル・プラタにて没。
ガルデルは彼女のタンゴ作曲品を①“アミガソ(友愛)”作詞:フアン・ベリチ(父)‐フランシスコ・ブラカッティ、作曲:フアン・ディオス・フィリベルト、’25年録音、18122B/ホセ・リカルド、ギジェルモ・バルビエリらのギター伴奏、二度の録音は‘30年5月20日、アギラール、バルビエリ、リベロールの三人ギター伴奏、②“クァルキーエラ・コサ”作詞:フアン・ベリチ(父/‘28年10月20日/、パリーにて録音、③“ポル・ケ・ソイ・レオ?”父親、フアン・ベリチ‐マヌエル・メァーニョスとの合作曲を‘29年11月12日にバルビエリ、アギラールらのギター伴奏で録音、

(F)ミカエラ・マティルデ・サストレは1880年9月21日にブエノス・アイレスで生れる。生存教育者として活動、又、童謡作家でもあり、作詞“ソルダティート・フェリス(幸福な兵隊さん)”でコンクールに入賞、“インフアンテ(皇子)”、“ラ・フラウタ・マヒカ(魔法のフルート)”、“マノス・デ・セニシエンタ(シンデレラの手)”、“パトリア(祖国)”、“ケリディート・ミオ(愛しいわが子)”、“ソルダディート・デ・パス(平和の兵隊さん)”、“ベルソ・アル・イホス(わが子への散文)”らの童謡作詞がある。
タンゴ作品は①“ガラバト・デ・ムヘール(女の悩ましけ)”、②“レフシーロス(閃光)”が有るが、何れも前編のレコード・リストには作者がロドルホ・サストレ(父親?)と有るので、此処でミカエラ・サストレ女史の作品である事を注記する。
ガルデルは①“ガラバト・デ・ムヘール”/タンゴ/を‘29年12月31日にバルビエリ、アギラールらのギター伴奏で録音した。②“レフシーロス”/タンゴ/は‘28年10月28日にパリーにて、リカルド、バルビエリ、アギラールらのギター伴奏で録音している。














                        




写真は何れもアスセナ・マイサーニ

(G)アスセーナ・ホセファ・マイサーニは1902年11月17日にブエノス・アイレスで生れる。当時、タンゴ界で紛れも無く人気女流タンゴ歌手として多くの無声映画、ラジオ放送のタンゴ番組に出演し、最も名声を博したのは彼女だろう。ウルグアイ、チリー、ブラジル、ペルー、キューバ、メキシコ、北米、スペイン、ポルトガルらの諸各国に演奏旅行を行う、“ラ・カサ・デル・プラセール”、“ラ・モデロ・デ・ラ・カジェ・フロリダ”の無声映画に出演。映画(音響付き)“タンゴ”、“モンテ・クリオージョ”、”ディ・ケ・メ・キエーレス”、“ナティーバ”らに出演。
タンゴ作曲は次の通り
①”ドンデ・エスタン・ロス・バロネース(紳士達は何処にいる)”、
②“アグア・トリステ(悲しき水)”、
③“アモーレス・デ・アラーバル(下町の愛)”、
④“チスメス・デ・リベーラ(噂流れ)”、
⑤“デヘメ・エントラール・エルマーノ(弟よ入れてよ)”、
⑥“デシ・ケ・シ(快く受け入れて)”、
⑦“エル・イドロ・ロト(敗れたアイドル)”、
⑧“エン・エスタ・ソレダー(この孤独にて)”、
⑨“ラ・カンシオン・デ・ブエノス・アイレス(Ba,Asの歌)”、
⑩“レホス・デ・ミ・ティエーラ(我が故郷遠く)”、
⑪“ペンサンド・エン・ティ(貴方を慕い)”、
⑫“ペロ・ジョ・セ(だけど、私は知っている)”、
⑬“ポルケ・セ・フエ?(何故いくの)”、
⑭“レミヒオ”、
⑮“ボルベ・ネグロ(戻って貴方)”、
⑯“イ・ノ・ソモス・ナーダ(そして、関係ないわ)”
ガルデルは“ラ・カンシオン・デ・ブエノス・アイレス”を‘33年1月23日にブエノス・アイレスにてペトロッシ、バルビエリ、リベロール、ビバスらの豪華な当時まれな4人ギター伴奏による録音をした。
マイサーニへ1962年に芸能活動の最大な引退記念を捧げられる。
彼女は1970年1月15日にブエノス・アイレスにて没。

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