2010年3月10日水曜日

ガルデルの歴史的最初のSP盤(1912年録音)からのCD化

                                                                               


ガルデルの録音したSPレコード全曲(976曲)のCD化の発表(2006年4月4日)
この全曲CD化は50枚(971曲)に及び、前編で紹介した未発表シリーズCD2枚の曲を合わせると合計1,041曲になる。それにしてもガルデルが千曲以上の録音は記録的で、この他に数曲、漏れている物もあるらしい。例えば、1930年11月22日(土)のラヂオ・スプレンディ放送番組“ラ・オーラ・ヘニィアル”の中で歌った“クーニャ(ジングレ)”、と映画の中でロシータ・モレーノとの二重唱“エル・ディア・ケ・メキエラス”、インペリオ・アルヘンティーナとの二重唱”マニャニータ・デ・ソル”、別編の“アマルグーラ”、などとボゴタの生存最後に出演した、ラディオ・ビクター放送局で歌った、“アガーラ・シ・ポデイス”、“カタマルカ”、“シン・ソン“、“テンタシオン”4曲は録音していないので幻と消えた曲と成る。『*』:“クーニャ(ジングレ)”はメデジンのガルデル・フアン、エルナン・レストレポ・ドゥケ氏が1985年に発売したプレルディオ・レーベルのLpに再現されている。

さて、タンゴ・フアンに忘れかけた存在のガルデルの歴史的な最初のレコード録音(1912年,大正1年)が2006年5月にCD50枚組のシリーズ第一巻としてに発売された機会に遅れながらも、このCDついてのデータ(重複する点も在るが)を補充する意味で記して見よう。まずアルゼンチンでの元祖コロンビア・ホノグラフ・カンパニィー所持のレコード・レーベル『コロンビア』の版権は1904年11月4日からトーマス・ドゥリスダレ商会が所持していたが、1910年9月にこの版権を放棄したので,1911年1月27日にギセッぺ・ホセ・タジーニ氏がコロンビア・レーベル・レコードの版権を獲得する。彼は1885年からカジェ・フロリーダに雑貨商を営み、1905年にアベニーダ・マジョ601/611とペルー25/31番地(1960年に解体されて、現在は実存しない)に引越して店を新たに構え、レコードの製作を始める。1913年3月7日発刊の雑誌『フライ・モチョ』#45号では、タンゴ界でアルフレッド・ゴビ夫妻、アンヘル・ビジョルド、フアン・マグリオ、ビセンテ・グレコ、ヘネロ・エクスポシト、パジャドール達では、アルトゥール・ナバ、サウル・サリーナ、アルトゥロ・マートンの面々。そして、ナショナル劇場の俳優(実際には1914年1月8日にデビュー)及び“テノール”歌手、ポピラー音楽の散文詩歌即興作家、と紹介されたカルロス・ガルデルも召集参加していた。彼のレコード録音は1912年4月2日に向こう5年か如何なる他のレーベルとの芸能契約の禁止条件の下に行われた。『後年、ラサーノがガルヒア・ヒメネスに伝えた“アトランタ”レーベルにレコード録音したと言う件は幻で、存在を否定される事になる』。

カルロス・ガルデルの歴史的最初のSPレコードの曲名リストは以下の通りである。
①T594:ラ・マニャニータ/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル/
        メ・デハステ/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル/
②T595:エス・エン・バーノ/カンシオン/作者:カルロス・ガルデル/
            ミ・マドレ・ケリーダ/ビダリーダ/作者:カルロス・ガルデル/
③T637:ポブレ・フロール/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル/
            ラ・マリポーサ/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル/
④T638:ブリサ・デ・ラ・タルデ/カンシオン/作者:カルロス・ガルデル/
           エル・アルモハドン/バルス/作者:カルロス・ガルデル/
⑤T728:ソス・ミ・ティラドール・プラテアード/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル
            ジョ・セ・アセール/シフラ/作者:カルロス・ガルデル/
⑥T729:ア・ミ・マドレ/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル/
            ミ・チーナ・カブレーラ/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル/
⑦T730:エル・スエニョ/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル/
           ア・ミトレ/バルス/作者:不明/
全曲共、伴奏はガルデル自身のソロギターである。
此処で不思議なことに録音全15曲のはずが1曲足りない、4曲目に録音されたはずの“パラガネアンド”(此処では“エル・プレシオネーロ”という曲の説)は決局録音不良のために没という理由で説明されているが。ところがコロンビア・レコードは全部で22枚44曲が発売されていて、この中に“エル・プレシオネーロ”が別人の作品“ミ・テチョ・デ・エストレージャ”、グロリオッソ・センテナリオ”、“ラ・ティシカ”等の曲と一緒に含まれていた事が判明。当時このレーベールにガルデルの録音した曲が15曲のみか他にも何か別の曲も存在した可能性すら在りうる。この時期にタジーニ商会のコロンビア・レーベルに録音した音楽家の中にクジャーノ(西部人、チリー人を指す)サウル・サリーナも含まれており、其の歌唱の二重唱で第二声が他でもなくガルデルであつたのでは無いかとの説もある。この合計7枚のマスター盤がニューヨークに送られ、プレスされた7枚分のSP盤としてアルゼンチンで発売されたのは1913年の初期である。これらは1913年3月28日発刊の雑誌"フライ・モチョ"#48号記載のタジーニ商会のカタログの記録で判明したので、前編に載せたハイメ・リコ・サラサール氏のSPレコード・リストではこの盤の録音開始は1913年末とありデータとして不明確であつた。当時の聴衆者にとつてはガルデルが取り上げた、これらの歌やメロディーの数曲は全くの未知の世界に等しいのも同然であつた。しかし、これらの曲はこのアティーストの純粋に独自、固有に属すものでもなく、1920年以前のレコード界では大部分の作詞、作曲においてこうした事実は例外ではないことを暴露されている。

①:ラ・マニャニータ/エスティーロ/声が可なりか細く、おずおずとしている歌唱であるが、美しい歌声が生えベティノティー・スタイル風に纏めている。

②:メ・デハステ/エスティーロ/この曲はガルデル作曲とあるが、アンドレス・セペダの“ディビーノ・ポエタ・デ・ラ・プリシオン(牢獄の聖なる詩)”からの引用であるが、見事に彼風に完璧に処理しているのである。

③:エス・エン・バーノ/カンシオン/オリジナルの詩、曲共にスタイルはバルスで、パジャドール、フェデェリコ・クルランドの物、彼はベティノティ、エセイサ、カゾン、トレホ等達と最後のパジャドール・グループに属し、若くして1917年に没。当時亜国に置いて作者保護の版権制度も無く、この様な例は珍しく無くレコード会社の横暴に任せてられてたらしい。

④:ミ・マドレ・ケリーダ(ポブレ・ミ・マドレ・ケリーダ、可哀想な愛しき母)/ビダリーダ/オリジナル作者はホセ・ルイス・ベティノティー/この曲は当時(1891年頃)から、すでに可なりパジャドールの間では知れたポピュラー曲であった。処がガルデル(レコード会社?)はこの曲を伝説的作品として取り上げている。そして、この題名を付けた彼の主演映画まで記念として製作されている。

⑤:ポブレ・フロール/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル-ホセ・ラサーノ/後にこの曲をモチーフにしてアレンジした“カルド・アスール(碧いアザミ)”を49,739、745番と録音している。

⑥:ラ・マリポーサ(蝶)/エスティーロ/アンドレス・セペダの曲“ゴルヘェオス(さえずり)”又は“ラ・マリポーサ・リビアーナ(浮気な蝶)”に類似している、作者はアンドレス・セペダ‐カルロス・ガルデルと明記されている、ガルデルは10,23,735,769番と4回録音している。この曲はロラ・メンブリベス(如何なる人物?)に捧げられている。

⑦:ブリサ・デ・ラ・タルデ(午後のそよ風)/カンシオン/作者:ホセ・マルモル‐カルロス・ガルデル/テーマはホセ・マルモルの詩“メランコリア(悲哀)”とアルトゥロ・マートンの曲“エジャ(彼女)”に極似しているらしい。ガルデル‐ラサーノらは“ブリサス(そよ風)”として18番#18002Aで再び録音している。

⑧:エル・アルモアドン/バルス/作者:アンドレス・セペダ‐カルロス・ガルデル/曲はホセ・ベティノティーの“トゥ・ディアグノスティコ(君の特微的な)”105、942番と二回録音した曲に酷似している。

⑨:ソス・ミ・ティラドール・プラテアード/エスティーロ/作者:フアン・トローラ(ガルデルの従兄弟の本名フアン・グァルベルト・エスカジョーラ、)ガルデルは初めこの曲を“アンヘル・ティラドール・プラテアード”呼び、カルロス・エスカジョーラ(ガルデルの実の父親とされている)の作としていたらしいのだが、真実は1900年ごろに詩人オスカール・オロスコ作らしい。ガルデルはこの曲を自作“エル・ティラドール・プラテァード”として21,943番と3回も録音をしている。

⑩:ジョ・セ・アセール/シフラ/作者:カルロス・ガルデル‐アンドレス・セペダ/セペダの詩“ア・エルナンデス”にガルデル自身がオリジナルの創作した曲、"Dijo Hernandez con razon/en criollado lengueje/es el nudo que lo fajen/el que nace barrigon/(ヘルナンデスは理由を言う/クリオージャ風の言葉使いで/ヒモで包み込んで/太鼓腹が生れる/こんな略でちぐはぐだが、、、ガルデルは5年後にこの曲を元にして、“エル・ポンガレ”を24番目にアルシデス・デ・マリアと作曲録音している。

⑪:ア・ミ・マドレ(我が母へ)/アンドレス・セペダ‐ガルデル共作/この曲名自体ごく普遍なため、同曲であるか不明であるが、女性歌手ルイサ・ロビーラは同レーベルに録音があリ、又イグナシオ・コルシーニはビクターに録音した。

⑫:ミ・チーナ・カブレーラ(短気な小娘)/エスティーロ/作者:カルロス・ガルデル/スタイルは本格的ガウチョ音楽であり、ルンファルドの世界に引き込まれるだろう。

⑬:エル・スエニョ(夢)/エスティーロ/作者:フランシスコ・イシドロ・エミリオ・マルティーノ/この歌の最初の部分にメキヒコ詩人フアン・デ・ディオス・ペサ作の詩が使われている。
ガルデルは1927年3月30日に#18205B再録音をした。

⑭:ア・ミトレ(ア・バルトーロメ・ミトレ)人名をさす、/バルス/作者不明/長年、劇作家、弁士のベリサリオ・ロルダンか放浪歌手フエナンド・ヌンシアタの作品ではないかと信じられていたが、調査の決果すでに1910年にフアン・バウティスタ・エッチャパレの作品として発表去れていた事が判明する。メロディーは明快にバルス“ロカ・デ・アモール”と類似するとエンリケ・カビリア音楽雑誌編集者は定義するが、アンヘル・ビジョルド作の“ボラー・ゴロンドリーナ(ツバメよ飛べ)”、イグナシオ・コルシーニ作の“デカデンシア・クリオージョ(クリオージョの衰退)にさえ疑似するといわれて、作詞、曲とも何れの作者と解明できず、時が過ぎたのである。この録音からガルデル‐ラサーノ共作とあるが、真実は主にモチーフを創出して作品にしたのはガルデルであったらしい事を補足しておく。

⑮:エル・プレシオネーロ/完全に除外されて、如何なる理由からか、このCD化にも除外されている。何者もこれに順ずる楽譜等のデータの知識も無く、何れにしても他曲と類似が強く余り重要視されず没にされたようだ。①~⑭番の14曲は1971年にコロンビア・レーベル#9116でLP化されているので、このCD化で再々発売という訳になる。何れにしても百年近く経つ時期に録音された歴史的貴重資料であり、ガルデルの歌手として栄光への道がこのレコードでスタートが切られた訳である。
この編の記は、エクトル・アンヘル・ベネディティ‐氏のデータを参考にした。

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この下の写真は全CDシリーズ50枚のジケットである

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