写真はパキータ・ベルナルド
(A)パキータ・フランシスカ・ベルナルド:1900年5月1日、ブエノス・アイレス、ビジャ・クレスポ街に生れる(ブエノス市外のリアチュエロ川の対岸のある貧民街、マラドーナも此処に生れる)
彼女はプロのバンドネオン奏者で作曲家、タンゴ楽団のマエストラで1921年バー“ドミンゲス”にてオスバルド・プグリエーセ(ピアノ)、エルビーノ・バルダーロ(バイオリン)らの参加したセクテート楽団でデビューした。
彼女の作品は:
①:カチート(ちょっとだけ)/タンゴ/
②:フロレアル(花飾り)/タンゴ
③:ラ・エンマスカラーダ(仮面をつけて)/タンゴ(*)
④:ラビオス・ピンターダス(誘惑の口唇)/タンゴ
⑤:ソニャンド(夢の中)/タンゴ/(*)
⑥:セロー・ディビーノ(神秘的な丘)/バルス
⑦:ビジャ・クレスポ/バルス
ガルデルの取り上げた曲は彼女が24~5才頃の時期の作品、
①:ラ・エンマスカラーダ/‘24年/18102A
作詞:フランシスコ・ガルヒア・ヒメネス
②:ソニャンド/‘25年/19138B
作詞:エゥヘニオ・カルデナス
パキータ・ベルナルドは1925年4月14日にミロンギータの主人公のように果かなく25歳で没
(B)マリア・イソリナ・ゴダルド:
ブエノス・アイレス、1905年8月9日生
作曲家、ピアニスタとして活躍、1935年6月29日没
タンゴ
①:アドラシオン(熟愛)、
②:アルマ・ミア(我が魂)、
③:アノチェセール(夜更け)、
④:アタルデセール(夕暮れ)、
⑤:カリシア(愛撫)、
パンペアーノ(田舎風)、
①:コロサル・ムヘール(素晴らしい女)、
②:ドンデ(どこ)、
③:フンタンド・アモーレス(愛を重ねて)、
④:ラ・プリメーラ・ヌーベ(初めの雲)、
⑤:ロセリート(陶工、それとも人名)、
⑥:マンボレタ、
バルス:イドロ・ミオ(私の崇拝者)、
Shimmyの:シルセ(キルケ)の作品がある。
(注):キルケ、ホメロス(Homero)の『オデュッセィア』に登場する魔女
ガルデルの取り上げた曲(3曲)いずれも彼女の作曲で、
①:アタルデセール(夕暮れ)/タンゴ/作詞:ロドルホ・ヘルチェル/1921年録音/18040B
②:カリシア(愛撫)/タンゴ/作詞:フアン・カル-ソ/’25年/18132A
③:シルセ/shimmy/作詞:フアン・カルーソ/1925年録音/18127B
(C)マベル・ワイネ:
ニューヨーク、1900年7月16日生まれ、作曲家として活躍
1978年6月19日67歳で没
作品はバルツが主で
①:アンへリナ(女性の名前)、
②:チキータ(可愛い子、バナナのドレードマークにもある)、
③:チリビリビ(花火)、
④:クアンド・エル・ベルダデーロ・アモール・ジェガ(真の愛がくる時)、
⑤:エン・ウン・プエブリート・エスパニョール(スペインの片田舎)、
⑥:ノ・テ・デスピエルタ・ヌンカ(目を覚ます事は無いでしょう)、
⑦:ラモーナの全7曲の作品がある。
ガルデルが取り上げた曲は:
①:エン・ウン・プエブリート・エスパニョール(あるスペインの片田舎)/バルス/
作詞:ロヘリオ・フェレイラ/1928年8月16日/未発表/同年9月6日/18247A
②:ラモーナ/バルス/作詞:エンリケ・カディカモ/1928年10月11日/18252B
(D)マリア・ルイサ・カルネーリ:1898年1月31日にら・プラタ市にて誕生する、
雑誌記者、小説家、詩人として活躍し数々の雑誌に彼女の詩が記載されている。
①:カラ・イ・カレタ(戯言と表情)、
②:エル・オガール(家庭)、
③:フライ・ムチョ(雑誌の名前?)、
④:マリポーサ・ベニーダス・デル・オリソンテ(水平線から来た蝶チョ)、
⑤:ポエマ・パラ・ラ・ベンターナ・ポーブレ(貧しき窓辺への詩)、
⑥:キエロ・トラバホ(仕事が欲しい)、
⑦:ラマス・フラヒル(ひ弱な枝)、
タンゴの作詞:
①:アベジャネーダ(街の名前、ブエノスの隣町)、
②:コモ・メグスタ(なんて好き)、
③:デ・キエン・エス・エソ?(これ誰の?)、
④:ディシオチョ・キラテ(18金)、
⑤:ドス・ラヌーラ(二つの溝)、
⑥:エル・タウラ(やくざ女)、
⑦:ラ・ナランハ・ナシオ・ベルデ(オレンジはまだ未熟)、
⑧:リンジェーラ(出稼ぎ労働者)、
⑧:マノ・サンタ(聖者の手)、
⑨:ムーラン・ルージュ(キャバレーの名)、
⑩:プリメール・アグア(洗礼水)、
⑪:キエロ・パピータ(何か良い物が欲しい)、
(注):パピータとはパパ(Papa)神父、父、
ジャガイモ、何か良い事などの意味がある
⑫:セ・バ・ラ・ビダ(人生が過ぎていく)、
⑬:タルデス・パンペアーナ(田舎の黄昏)、
ミロンガ:
①:ルナ・ロハス(赤い月)、
②:ガト(リズム名)、
③:アスール・デ・シエロ(青い空)、
ガルデルが取り上げた作品はルイス・マリオ、マリオ・カストロのパンネームを使う、
①:クアンド・ジョーラ・ラ・ミロンガ(ミロンガが泣く時)/作詞:ペンネームのルイス・マリオ、
作曲:ファン・デ・ディオス・フィリベルト/①‘28年8月7日/18247B
②‘28年10月20日録音/18801と二回録音している。
②::パ’アル・カンバラーチェ(ガラクタ市場へ)/
作詞:エンリケ・ゴンザレス・ツニョン(ペンネームはマリオ・カストロの筈?)
作曲:ラファエル・ロッシ/‘29年10月23日録音/18294B/
1987年5月4日、ブエノス・アイレスにて没
(E)エルミニア・ベリチ(デ・ロサーノ、夫の苗字):1908年3月12日、ラ・プラタ市に生れる。
作曲家、タンゴ歌手、女優、初め父親、俳優フアン・ベリチと女優として共演デビュー。
‘25年ごろブエノス・アイレスのラジオ放送でタンゴを歌う、タンゴ・コンフントでピアノ、ギターも演奏する。頻繁にラジオ・ドラマにも出演する。アドルフォ・アビレスのジャズバンドでも唄い、ラファエル・ロッシ、エルネスト・デ・ラ・クルスらのタンゴ楽団でも唄う、1929年にタンゴ楽団のマエストロ、オスカール・ロサーノと結婚し芸能界から引退するが、1933年にラファエル・ロッシ楽団へ帰り咲く、1939~41年、ラジオ・アルヘンティーナで“エル・ガウチョ・ソンブラ”を唄い、ラジオ・プリエトで自作の“クァルキーエラ・コサ(誰かのこと)”、”ポル・ケ・ソイ・レオ?(何故俺は浮浪者?)”らのタンゴを唄う。
1956年1月5日にマール・デル・プラタにて没。
ガルデルは彼女のタンゴ作曲品を①“アミガソ(友愛)”作詞:フアン・ベリチ(父)‐フランシスコ・ブラカッティ、作曲:フアン・ディオス・フィリベルト、’25年録音、18122B/ホセ・リカルド、ギジェルモ・バルビエリらのギター伴奏、二度の録音は‘30年5月20日、アギラール、バルビエリ、リベロールの三人ギター伴奏、②“クァルキーエラ・コサ”作詞:フアン・ベリチ(父/‘28年10月20日/、パリーにて録音、③“ポル・ケ・ソイ・レオ?”父親、フアン・ベリチ‐マヌエル・メァーニョスとの合作曲を‘29年11月12日にバルビエリ、アギラールらのギター伴奏で録音、
(F)ミカエラ・マティルデ・サストレは1880年9月21日にブエノス・アイレスで生れる。生存教育者として活動、又、童謡作家でもあり、作詞“ソルダティート・フェリス(幸福な兵隊さん)”でコンクールに入賞、“インフアンテ(皇子)”、“ラ・フラウタ・マヒカ(魔法のフルート)”、“マノス・デ・セニシエンタ(シンデレラの手)”、“パトリア(祖国)”、“ケリディート・ミオ(愛しいわが子)”、“ソルダディート・デ・パス(平和の兵隊さん)”、“ベルソ・アル・イホス(わが子への散文)”らの童謡作詞がある。
タンゴ作品は①“ガラバト・デ・ムヘール(女の悩ましけ)”、②“レフシーロス(閃光)”が有るが、何れも前編のレコード・リストには作者がロドルホ・サストレ(父親?)と有るので、此処でミカエラ・サストレ女史の作品である事を注記する。
ガルデルは①“ガラバト・デ・ムヘール”/タンゴ/を‘29年12月31日にバルビエリ、アギラールらのギター伴奏で録音した。②“レフシーロス”/タンゴ/は‘28年10月28日にパリーにて、リカルド、バルビエリ、アギラールらのギター伴奏で録音している。
写真は何れもアスセナ・マイサーニ
(G)アスセーナ・ホセファ・マイサーニは1902年11月17日にブエノス・アイレスで生れる。当時、タンゴ界で紛れも無く人気女流タンゴ歌手として多くの無声映画、ラジオ放送のタンゴ番組に出演し、最も名声を博したのは彼女だろう。ウルグアイ、チリー、ブラジル、ペルー、キューバ、メキシコ、北米、スペイン、ポルトガルらの諸各国に演奏旅行を行う、“ラ・カサ・デル・プラセール”、“ラ・モデロ・デ・ラ・カジェ・フロリダ”の無声映画に出演。映画(音響付き)“タンゴ”、“モンテ・クリオージョ”、”ディ・ケ・メ・キエーレス”、“ナティーバ”らに出演。
タンゴ作曲は次の通り
①”ドンデ・エスタン・ロス・バロネース(紳士達は何処にいる)”、
②“アグア・トリステ(悲しき水)”、
③“アモーレス・デ・アラーバル(下町の愛)”、
④“チスメス・デ・リベーラ(噂流れ)”、
⑤“デヘメ・エントラール・エルマーノ(弟よ入れてよ)”、
⑥“デシ・ケ・シ(快く受け入れて)”、
⑦“エル・イドロ・ロト(敗れたアイドル)”、
⑧“エン・エスタ・ソレダー(この孤独にて)”、
⑨“ラ・カンシオン・デ・ブエノス・アイレス(Ba,Asの歌)”、
⑩“レホス・デ・ミ・ティエーラ(我が故郷遠く)”、
⑪“ペンサンド・エン・ティ(貴方を慕い)”、
⑫“ペロ・ジョ・セ(だけど、私は知っている)”、
⑬“ポルケ・セ・フエ?(何故いくの)”、
⑭“レミヒオ”、
⑮“ボルベ・ネグロ(戻って貴方)”、
⑯“イ・ノ・ソモス・ナーダ(そして、関係ないわ)”
ガルデルは“ラ・カンシオン・デ・ブエノス・アイレス”を‘33年1月23日にブエノス・アイレスにてペトロッシ、バルビエリ、リベロール、ビバスらの豪華な当時まれな4人ギター伴奏による録音をした。
マイサーニへ1962年に芸能活動の最大な引退記念を捧げられる。
彼女は1970年1月15日にブエノス・アイレスにて没。
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