2012年8月25日土曜日

躍進する”歌い手”(3)

ガルデルは都会や場末に宿している社会的不条理の問題テーマを描いたタンゴも広いレパートリの中で少なからず取り上げている。それらは労働法に縛られた男の老いた妻が祈るイエスキリスト“アル・ピエ・デ・ラ・サンタクルス(サンタクルスの足元で)”又、たった一つのパンを盗んだ挙句の判決は、、非情に詠う作詞家のセレドニオ・エステバン・フローレス作の“パン”、シャンパン、花、女に囲まれたキャバレーで銭無しで賭けをする“アクァフォルテ(銭無しで賭ける)”、働き者の靴工の息子は牧場主の娘と結ばれたが、、、貧しい“ギゥセプペ・エル・サパテーロ(靴工の)”見捨てられた無産者民衆、しかしながら、ガルデルの歌うこれ等のタンゴ歌詞には反逆心や苦悶が欠如しているのは奇妙な感覚に落ち込まされる。有名な作詞家達は世の中に幻滅した“ディセポリン”が取り上げた政治家による労働者階級の不当管理や文盲者を搾取る牧場主等が行う資産分配のばかげた模範的不平等の社会層を軽蔑した彼の“全テーマ”に繋ぎ通された皮肉感あふれた作品に驚かされた果てに一部の作家は自分を省みずに批評のみに専念の上にタンゴ界から除外したが、、、ガルデルはエンリケ・サントス・ディセポロ“ディセポリン”の作品、ひもを追い出す強い女の“ケ・バチャチェ(どうするつもり)”を始めに、今宵の悲しみに酔いどれる“エスタ・ノチェ・メ・エンボラチョ(今宵、俺は酔う)”、俺を破産させた“チョーラ(泥棒女)”、伊達男を哀れに見る“マレバヘ(やくざ仲間)”(注)、と女房が出て行き勝ち誇る“ビクトリア(勝ったぜ!)”や裏切られた“ジーラ、、、ジーラ、、”とお前の別れで消えた夢、バルス“スエニョ・デ・フベントゥー(青春の夢)”など8曲を取り上げている。今宵の麻薬的な魅力なガルデルの歌集はリオプラテンセ家庭の全てを肩に並べ、極普通にもっともらしくする限り、彼らには余り関係の無い問題の“意味”の歌詞もマテ茶とマテ茶の間のひと時に好まれた。しかし、ガルデルの芸術は真実と虚実の遥か彼方に存在し、彼のむき出しの芸術的な証の為に価値ずけられ、真の解釈により受け入れられて、それらの歌詞は熟慮の上にルンファルド(タンゴ語)化された。そして、過分に彼独特の他の歌手群に抜きん出たスタイル化上に威力ずけられ、それら全ては千曲ほどのタンゴ、バルス、ミロンガやカンシオンなどの多数のスタイルにより、ポピュラー歌集に載せられている。それはガルデル故に多大な群集に受け入れられた一つの語幹を課し、彼の“歌の才”の質により受け入れられたのだが、、、 注;マレバヘはフィリベルトが曲をつけている。 http://youtu.be/9L7HS8j82bc

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