小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。
2010年6月11日金曜日
ガルデル、インタビューに答える(2)
バルセローナのガルデル(2)1929年6月2日
ギタリスト、ホセ・アギラールはこの時期にガルデルの元を離れたので、彼の回想はプッリと切れて仕舞っているので、モンテビデオで発行されていたエル・プラタ紙の記事より、バルセローナで行われたインタビューに答えた内容を載せよう。
バルセローナにカルロス・ガルデルが来訪した際、地元のある新聞に興味深い話題の報道記事を発見した。又この複刻記事は読者諸君には有意義に奨励出来るだろう。
では直ちに;カルリートス・ガルデルの元へ、、、だけれども、、、カルロス・ガルデルを紹介するのに真に論争の種になるか?決果としてはノーだろう。
ガルデルは余りに有名で我々の間では非常に良い家族待遇として受け容れられるだろう。
堅苦しい扱いは間違いであり、彼は我々のもの、より一人のバルセローナ市民と同じ、彼を待遇する機会があって、我々は彼を同郷人扱いすべきだろう。今日、ガルデルはバルセローナで仕事をしている。完全な、凄まじい勝利を手に入れた、パリからの来訪で。数週間にわたリ、この偉大なアルゼンチン・タレントはセーヌの町の注目の流行最先端の人物。
雨ふる成功、雨ふるフランコ、報道による雨ふる感動、、、彼らが満足して見つめるパリにてのガルデルの凱旋を我々は目撃した。今日、我々はもう伝えたが、ガルデルはバルセローナにいる。金曜日に彼と三時間も同伴した。晩餐し、語り合い、飲み明かし、インタビューに花が咲く。プリンシパル・パラセー劇場出演の後、5月14日、アベニーダ映画館にデビューするために、ガルデルはマドリードに去っていく。5月24日にはパリに戻リ、数日過ごした後で、6月5日にブエノス・アイレスに向うため“ギゥリオ・セサレー”客船に乗船する、一ヶ月の休暇をシゥダー・デル・ラプラタで過ごし、その後ポルテニョー劇場に一ヶ月公演する。続けて6日間の契約でもデンテビデオに行くだろう、、、9月12日にサン・フアン・デ・ルスにデビューする。10月の初めに再びパリに行く。
新聞記者の質問:当然、お気に入り、パリの成功は?
ガルデル:非常に満足だ。そして戻る願望しきり、ミスチンゲツは“ムーラン・ルージュ”に出演を私に申し出た;さらに別の申し出も持っている、しかしながらまだ具体的に全然決めていない。
記者:貴方のレコードの売れ行きは何か驚くべきニュースですね。詳しく説明くださいませんか?
ガルデル:パリではレコード72枚を録音した。アイデアの一つとして“ラモーナ”だけで8万2千枚を販売した。
記者:全部の内で?
ガルデル:概算できない、記憶でね、パリでの録音したレコードの決債を今日までに単に実施したのを言おう、私へのもたらし利潤は演技者権利の30万フランコ。
記者:我々にこれらに関したより多くの数を簡単に説明してください?
ガルデル:14年前からレコード録音している。オデオン商会と現在5年間以上の契約をした。月平均23枚のレコード録音をする。
記者:これはどれだけの利潤を上げられますか?
ガルデル:しかしこれはレパトリーがヒットしたとして、一ヶ月分に1万8千~2万アルゼンチン・ペソの収入、、、私は創作者、350曲の歌、よく見届けて欲しい。全部、完全に、レコードに録音した。これらの多くは繰り返し再録音しなければ成らなった。例として“エル・カレテーロ”、フランス原盤だけの話だけれども、“ラモーナ”はどうだろう、14年前にブエノス・アイレスで初録音の。
記者:タンゴの大きな人気の原因は何処にあるか、貴方の意見は?
ガルデル:至極単純だ、美しいミユージック、易しく、鑑賞者全体に親しみ易いだから。
記者:2ヶ月近く前に引き起こった、ある地域のカタルニャー新聞にて、“タンゴマニア”に対するの種類を貴方は知っていますか?
ガルデル:はい、熟知していたさ。この正当化する姿勢に私は出会った。一年以上の間ずつと、バルセローナはタンゴベースによる攻撃の事実上被害者だった。事実上行き過ぎだった、そして無神経な問題だ。バルセローナ民衆達、とても善良、とても聡明、これらに辛抱強い意思を明らかにした、、、さらに哀しき事は実はタンゴマニアと呼ばれる何者である、一連の残念な事を混同した、音楽とは全たく関係の無い事。罪は無節操達にあり、過剰な抜け目の無い人達がいたということ、、、少しも不思議ではない、だから、反動は我々が話合ったではないか。
記者:貴方の主張は全くそのとうり、私の友人、ガルデルさん、、、
ガルデル:私はアチーストの随一点の視覚で観衆達を可能なまでに楽しませる努力でビダリータ、フォクスとShimmysを歌うようにタンゴも歌う。そして唯それだけ。
記者:話に聞いた処では、貴方は映画に専念するそうですね?
ガルデル:はい、“パラマゥント”と契約サインしています。1930年半ばごろ、パリを去り、ハーリウッドに行き、トーキー映画の撮影をします。
記者:それは長期期間占めるのですか?
ガルデル:8週間、すでに契約で定められている。報酬はどの位かって?
一週間に4千ドル受け取る、それは合計80万フランコの私に利潤をもたらす。
記者:悪くないですね、、、
ガルデル:いいえ、その上に計算して見ると初めてのフイルムを作るのだから。テスト的フイルム、どう説明できるかな、その後で別の物が来る可能性、来るだろう、確実にね。
記者:今、ここで最後、ちょつと、貴方のある悦話を私に話してくれませんかね、友人ガルデル。インタビュー全体の顔と目で辛味な悦話で終わりです。
ガルデル:だから、それだがね;2年後、やるだろう、モンテビデオで私に出くわすだろう、、、
ガルデルの不可思議な返答でこのインタビューは終わり、、、
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