小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。
2011年8月4日木曜日
幻のレコードレーベル
アトランタレコード:カラ・スシア(汚れ顔)
オルケスタ・ティピカ・カナロ
横道に反れるのだが、ガルデルもレコード録音したのではないかと言われた謎のレコード・レーベル『アトランタ』は1913~17年に存在した。歴史的にも貴重な真実の立証的資料なので、ここで紹介するのも無駄な作業には成るまい。
創業者はイタリー人、アルフレッド・アメンドラ氏による。当時タンゴとクリオージョ音楽界の演奏家や作者達の豊富な活躍の穴場であり、創業者のアメンドラ氏は若くしてアルゼンチンに移住し、全スタイルに及ぶ音楽家でもあつた。又、全ての音楽家にレコード録音を可能にするべきをモットーにして、彼は1912年半ば頃にドイツへレコード録音会社と条約結びに、ライセンス獲得と録音装置の買い込みに出向く。そして,ドイツ人録音技師をも伴い帰国。1913~15年の間にダイレクト・カッター法(手順は簡単なアクスティク方式)による、レコード製作作業に従事させた。1913年3月31日(月)にアメンドラ・イ・シアイエー商会が発足し、販売店はエスメラルダ通り274番のサン・マルティン劇場の真向かいに開店。その奥の倉庫でこのレーベル初の録音が次のグループ群のロンダージャ(ロンダ)・バスケス、アルトゥーロ・デ・バッシ指揮によるロンダージャ・アトランタ、タノ・へナロ五重奏、ロンダージャ・フィルポ、ビセンテ・グレコの“ガローテ”五重奏、アグスト・ベルト五重奏、ロンダージャ・デ・プルデンシオ・アラゴン、ロンダージャ・ベビラクグ、アトランタ・バンド、ギター独奏家アグスティン・バリオス、アルトゥーロ・べレンスティンの“アレマン(ドイツ人)”五重奏、カレリ五重奏団等の多数の演奏家達の参加で行われた。その一年後には更に広い場所、カジャオ大通350に移転した。ブエノス・アイレス市立楽団、コロン劇場オーケストラ、バイオリン独奏者フェルーチオ・カテッラーニとアグスト・マウラジ、俳優エゥヘニオ・ヘラルド、女優ブランカ・ポデスタと俳優アルベルト・バジェルーニ、そして、当時の大道化師フロレンシオ・パラビチーニ、歌手サウル・サリーナスとアウグスト・デ・ギウリ、アンヘル・ビジョルド、アンヘル・グレコ、ホセ・ベティノティー、フアン・サルシオーネ、アルトゥーロ・カルデリージャ、アルフレッド・ゴビ(父)夫妻、ホセ・シルバ、パジャドール・アストル・ボログリーニ等達の蒼々たる面々がレコード録音を残した(ここでガルデルの名は出て来ないので、彼のこのレーベルのレコードは存在しない事実が明確した事になる)。しかしながら、第一次世界大戦の没発により、ドイツ間との商業継続が不可能になる。そこで創業者アメンドラはブラジル南部都市ポルト・アレグレにあるレコード製造業者サベリオ・レオネティーを訪ねて、レコード録音の商業契約を結ぶ。そして、当初アストル・ボログリーニとフランシスコ・カナロが録音をする為に現地に向う。そうして,アメンドラの事業は順調に発展して行くが、大戦の長引きによる影響を受けた。特に原料運送中のドイツ船が大西洋遡航中に撃沈され、原料供給不足に落ち込みレコード生産不能となり、ついに倒産。1917年“アトランタ”レーベルは消滅した。
ホセ・ベティノティの“アトランタ”での録音レコード:“フィロソフィア・ガウチャ(ガウチョの悟り)”、“エル・プレソ(囚人)”、“メモリアス・アル・パジャドール・オリエンタル・セサル・イダルゴ(東方吟遊詩人のセサル・イダルゴ)”、“コントラステ(明暗)”、“デル・アラバル(場末から)”、“エル・カブレーロ(怒りの男)”、“ポブレ・ミ・マドレ・ケリーダ”、“シビカ・ラディカル(急進公民)”、“レクエルドス(思い出多く)”、“エル・オガール(家庭)”、“コモ・キエレ・ラ・マドレ・ア・スス・イホス(母が子供達に継げる愛情)”、“ア・ミ・マドレ(我が母へ)”。アンブロシオ・リオとの二重唱で“オブセキヨ(心遣い)”などの録音もある。
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1 件のコメント:
ここでガルデルの名は出て来ないのだが、彼のこのレーベルのレコードは存在しない分けでなく,“クロニキージャス・プエブレリーナス(村々の悪たれ小僧達)”なる曲が録音されているという。
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