2012年1月19日木曜日

ナショナル劇場

1914年1月9日、“アルノンビージェ”で再会した俳優アリアス・アリピッの劇団に参加する事になる。アリピッの回想よると彼とガルデルとは1907~08年ごろのボヘミアンの夜毎に笑顔を称えたガルデル“ソルサル(鶫鳥)”と“ナショナル”劇場の舞台楽屋ですでに知り合いであったと語っている。では,ガルデルと深い結びつきのある俳優家族が創立した歴史ある“ナショナル”劇場の生い立ちを簡単に説明しよう。その昔のブエノスアイレスには“ナショナル”と名づけられた劇場は三ヶ所存在した。先ず最初の“劇場”はフロリダ通りのバルトロメ・ミトレとカンガージョの間に1882年2月3日落成したが,1895年12月18日火災の為に破壊された。ほとんど同時期にスイパーチャとカルロスス・ペジェグリーニの間のコリエンテス通りに再起を誇らしげに出現した。落成当時はカジャオ通りとリオバンバの間サンタフェ大通に位置する(豪華な映画館グラン・スプレンディが有った場所)その同名の“ナショナル・ノルテ(北の~)”と区別する為に“アルテス(芸術)”と名称された。“ナショナル”劇場は1904年コリエンテス大通の最も正確に示すと960番地になる場所に素朴なクリオージョ・サーカス“エル・ガウチョ・フアン・モレイラ”の上演に精通したヘロニモ・ポデスターとその家族により,競馬飼育場が配置されていた場所を購入して,2年後に最上の出し物サイネテ・ポルテーニョとして劇場を幕開け落成させた。事実外この創意主役はラ・プラタに所有する不動産全財産を売り払い劇場落成に情熱をつぎ込んだ。当時の新聞はこの行為を“キホターダ”即ちドン・キホーテ的馬鹿げた行為と評論した。亜国演劇界における伝説的名声高い,その家族群に最も密接した兄弟達の例えばブランカ,アルトゥーロ,ホセ,マリア・エステール・ポデスタ(サムエル・リンニング作ミロンギータ役を演じた)達はその“新しい試み”後に偉大なアルゼンチン劇作法の発案者達による「その舞台を上演させる熱意」により劇団を支援した。家族達はヘロニモの俳優経歴を獲得する為に自己資本総てを投資した行為を評価し,落成した劇場新ホールにヘロニモの名前を命名しようと試み,また建物前面にヘロニモ・ポデスターのイニシアルを入り口緞帳をも張り出そうと試みたが劇場の名目を獲得すべき本人に断固拒否され上に,クリオージョ出演俳優達と力強い作家達に支援された。また,ひとたび熱狂した民衆観客に支援された我々の演劇芸術を敬意して“エル・ナショナル”と呼ばれる様に準備を整えた。競馬飼育場の跡地は劇場ホールに作り変える建設計画はオルティサルとポウレッ両人の土木技師により行なわれた。ポダスタの不確実な経済資産にも拘らず,彼等達は洗練された建設環境を与えた。プラテアス(一階前席),パルコス(舞台前両脇席),テルトゥリァ(後方の立見席)と天井桟敷には940人観客を収容可能で紛れの無い華麗な時代のイタリー時世を彷彿させる際立つ入場ロビーと共に快適なホールを備えていた。1906年4月5日,かの“ナショナル”(劇場)の玄関扉の通路前は初演プログラムを観る為に優雅に着飾ったポルテーニョ達の群集が近づき過ぎたので混乱していた。この興行はリカルド・レベネ創作の一幕物“リサス・デ・カレタ(仮面の笑い種)”とグレゴリオ・ラフェレーレ作“夏の狂気”の初演により亜国国民のペリコン(舞踏とその音楽で盛装した全同伴者達とダンスを舞う)で開催された。忘れがたい歴史的なあの夜のステージに出演した俳優達はヘロニモ,アルトゥロ,とホセ・ポデスタ兄弟達とエンリケ・アレジャーノ(*),ギジェルモ・バタグリア,エンリケ・ムイニォ(*),エリアス・アリピィ(*),フランシスコ・ドゥカッセー(*),パンチョ・アラナス(*),フリオ・スカルゼージャ,アルベルト・バジェリーニ,アルトゥール・マリオ等とブランカ,アニータ,マリア・エステール・ポデスタ姉妹,オルフィリァ・リコ(*),アンヘラ・テサーダ,アダ・コルナーロとリナ・エテベスの女優達はリオ・デ・ラ・プラタにおける長期にわたる時代と共に演劇界のアンソロジー的に名前の間にその他多数共に列記されるに到った。
初演の“カラス・デ・カレタ(仮面の笑い種)”は“最終幕にはプラテア席を初めに満場全員起立の熱狂的な拍手喝采で上演終了した”と数日後の週刊誌に指摘された。最初は決定的に幸先良く幕が落とされ,その瞬間以来劇場は長期時代に渡りクリオージョ演劇作家達を忠実に支援する要塞に変貌した。あそこで多くの彼達の優れた作品類に密生されたレパトリーが初演された。また,しかしながら,その頃同時の1906年8月にかの“ナショナル”劇場に出演した時に波紋をもたらした“ラ・ベジャ・オテーロ(美貌のオテーロ)”として有名なカロリーナ・オテーロのような評判なインターナショナル・スターも出演した。公式開幕の一年後,ヘロニモ・ポデスタは彼の劇場にてサイネテ(一幕物風俗喜劇)のコンクールを促進した。結果として優勝者達はアルベルト・バカレレツァ(**)と二人のウルグアイ人劇作家達のルイス・ビトネ(*)とセグンド・ポマール(*)が獲得した。その時から舞台ではサイネテ一筋か演じられた。そして,“エル・コンパドリード(ヤクザ者)”においてホアキン・ボルタの位置づけによると人々達はこの劇場は余りにも舞台環境と登場人物が“それの通俗的にカジャオ團外(*)”だと非難した。その頃の年の間にネメシオ・トレホ,ガルシア・ベジョソ,カルロス・マリア・パチェコ,フロレンシオ・サンチェス,ヒメネス・パストール,ホセ・ゴンサレス・カスティージョ(**),ロヘリオ・フアレス,アベラルド・ラストラ,アルベルト・バカレッサァ達の作品群が上演封切りされた。かの初期活動時代の最初に上演された劇作群はアルベルト・バカレッサァ作“ロス・エスクルチャンテス(泥棒集団)”,ホセ・ゴンサレス・カスティジョ作“ラ・セレナータ(小夜曲)”,アルベルト・ウィスバチィ作“レサカ(吹き溜まりの住人)”とロベルト・ゴジャル作とアルトゥーロ・バッシィ(*)音楽の“エル・カブレー”などの我々の演劇歴史上に絶大なヒットを成し遂げた。1913年と1917年の間,劇場はこの時代にサイネテ劇又は風俗ドラマ劇を代表した偉大なタレントと尊敬されたパフロ・ポデスタとカミラ・キロガ一座の公演を広告版に装飾を施した。しかし,1914年には劇場ホールの習慣には等々異例な最初のレビュー興行が上演される出来事が発生したのだから。ナショナル一座の喜劇俳優フランシスコ・ドゥカッセーとエリアス・アリピィ達を筆頭にして軽喜劇と挑戦的な最初のレビュー題名“レ・パラティス(天国の様な)”を一瞬にして上演した。「プログラムに記述によるとパリで600回連続夜上演されたとある」そのコンサートにはこの部門の最も重要な二重唱を組む“カルロス・ガルデルとホセ・ラサーノ”が出演すると大々的に広告大型ポスターに宣伝された。かくて,“ナショナル”劇場は1982年に不振な火事により焼滅するまで演劇とタンゴに纏わる数々のエピソードは絶える事が無いのだが...これらのエピソードは別の機会に述べる事としようと思う。

注記:
(*)印を付けた人物はガルデルと共演した俳優達。
(**)印の付いた人物は劇作家でありタンゴの作詞家でもある。
(*):カジャオ團外とはブエノスアイレス市のカジャオ大通りは最も洗練された場所。
その團外とは下町の雰囲気がある場所を指す。

2011年11月4日金曜日

ガルデルのCD-3(6曲目)

⑥:テ・アコルダス?(憶えているかい?)/歌:ガルデル‐ラサーノ/サンバ/作者:ドミンゴ・ガリンデス‐ガルデル/1917年11月16日録音/レコード番号#180011A

この曲はパジャドールのガリンデスが作った詞をガルデルがトローバ風にアレンジした古風な恋の歌である。

Te acordas que fue una tarde /あの過ぎし黄昏時を覚えているかい
de un porrazo me dijiste /一気に呟く一言
yo de carino hago alarde /みせつけの逢い込めて
pa’l amor no seas cobarde /愛のために怖じつくな
atropella y te conquiste . /蹂躙して,そして口説き落とし
yo de carino hago alarde /見せつけの逢い込めて
pa’l amor no seas cobarde /愛のために怖じつくな
atropella y te conquiste ./蹂躙して,そして口説き落とし
Te acordas con tanta bulla /あれほどの口論を憶えているかい
y amorosa me decia /それに俺へ恋の呟き
soy tu paloma que arrulla /私はあんたの甘くささやく鳩
yo soy tuya , toda tuya ;/すべてあなたの,あなたのものよ,
y sin embargo me olvidas ./しかしながら,忘却のかなた

Soy tu paloma que arrulla /私は甘くささやく鳩
yo soy tuya , toda tuya /すべてあなたの,あなたのものよ,
y sin embargo me olvidas ./しかしながら,忘却のかなた
Y si te acordas mi china /愛しき女よ,お慕えているかい
de la canta por ventura ;/幸せの為に歌う
que seque bien la cocina /料理上手も承知済み
la chica de la vecina /隣のお嬢さん
y que a mi me leiga el cura ./俺に察する恋悩み

Y ya que vais a dejarme /それにおれを捨てていく
y te vais con otro criollo /そして,あのクリオージョと連れたって
yo pa poder consolarme /俺は慰めされる為に

tendre china que tirarme /チーナをつるして落としたい
de cabeza en un arroyo ./流れに頭から

注:china ;チーナ:この場合のチーナは中国人ではなくキチュア語(proviene de quichua)からの引用で少女あるいはメスの意味で,ごく親しい人にもこう呼ぶ。
leiga (レイガ); 古い時代の用語または田舎の人の使う言葉で”lea(レア)”読め,=動詞の leer(レール) ,“読む”,“察する”となる

原作者のドミンゴ・ニコデモ・ガリンデスは1876年9月5日のコルドバに生まれ,1943年4月20日,ブエノスアイレス没:彼はクリオージャ歌手として,また世間に関した悲惨なベールに被された悲しみの和解者として通常な俗事の“エスクリバス(代筆屋)”として人生を全うした。しかしながら,このバジャドールは最良の時代に属し,あの不適切なベールの語調タイプから分離し,教養伴う支持者層の心を捉える事を知り,総勢の尊敬を感受した。達人群と共にコントラプント(即興詩競演)に参加し,かの栄光な政治コミュンに囲まれ,また郊外のカフェも征服せしめ,長期にわたり友人達の輪の中心人物であった。“ドミンゴ・ニカデモ・ガリンデスの人物は真実の天賦派生と熟成したイントネーションと共に,クリオージャ精神を即興で歌う,すばらしいモソ(美男子)であった”。と雑誌P.B.T誌(1916年11月4日)は賞賛につきるコンセプトを捧げる記事を載せている。リオ,クルランド,ディ’アマト,ビェジテス等とその他とパジォー(即興で歌う),そして,前世紀の終わり,他のネイテブ崇拝者と一緒に“サント・ベガ伝承”のクリオージョセンターにおいて名声を手に入れた。
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2011年11月2日水曜日

ガルデルの魅力(続き)


さて,ガルデル即ち“ソルサル・クリオージョ”がこの歴史上に現れていなかったとしたら,少なくとも,このポルテーニョ界に“魔法使い”の居ないタンゴ界はどうなっていたか,それを想像するのは至極難しい。あの時代に生きたガルデルの存在は多大な重要な史実であった。あの完璧な微笑み,あのフランス人風の声と容貌(亜国人はなんとこの表現を好む事か),あの歌手俳優としての颯爽とした姿への魅力が多くの人たちによって語られている。その魅力の“姿”とは?。
あの“ゴミナ(ポマード)”髪型,あの何時ものスマートな“コテ・デ・フンジ(洒落た帽子のかぶり方)”で証拠づけられる“エレガンス”,真似のできない本物の“タンディー”。あの時代の報道によるとカルロス・ガルデルは当時の多くの“ペベタ(愛くるしい女性)”達を“その魅力”の虜にしたという。ポルテーニョ巷世間のパテトロ(遊び人)やピオラ(シモ)連中とオタリオ(間抜け者)達までが,彼ガルデルの動作や語りと服装,物腰のイミテーションに励む姿は滑稽な流行であった。フランスと北米バラマウント映画に歌手兼主役俳優としての栄華な凱旋は神話の糧になり,インターナショナルに至る成功は紛れも無い多大な人気は当時のタンゲーロ達の崇拝感動に等しく,また今日に至るまでも“その人気”は衰えてはいない。そして,愛想に満ちた(時には囁く様な)かたり上手,偉大なタレントの持ち主,独特の発声と歌スタイル。私生活では稀に見る好人物,寛大な金離れのよさ,数々の友人に囲まれた中のあの笑顔(時にはチラリと陰りの微笑)。これらの彼の特徴はレコードを聴く毎に蘇りかえる。見事な表現は次の例に並べてみると,喜びを歌った“ビクトリア(勝利)”,皮肉たっぷりな“アル・ムンド・レ・ファルタ・ウン・トルニージョ(ネジ一本が足りない世界)”,悲しい“シエギータ(盲目の幼女)”,隠された悲しみの“リィエ・パジャソ(笑え!ピエロよ)”,絶望的な“エス・エン・バーノ(それは無駄)”,愛の賛歌“ラモーナ”と“ソニア”,劇的なドラマ“スス・オホス・セラロン(閉じられし瞼)”,回想に浸る“カミニート(小道)”と“ボルベール(帰還)”,滑稽でもある“カスカベリート(小鈴)”,気高きロマンチズムな”エル・ディア・ケ・メ・キエラ(思いの届く日),悲嘆な“アマルグーラ(悲しみ)”,心痛な“トモ・イ・オブリゴ”,懐儀的な“ノ・テ・エンガニェス・コラソン(心を偽るな),英雄讃歌の“エロイコ・パイサンドゥー(パイサンドゥーの英雄)”と夫々テーマ事の情趣状態の演唱解釈は心の奥までくい込み,暫し感動の余韻に浸り込まされてしまう。


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2011年10月29日土曜日

ガルデルの魅力を分析する

またまた,ガルデルとは関係の無い横道にそれてしまっていたが。ところでコントゥルシがモンテビデオのキャバレー“ムーランルージュ”で自作自演した“ミ・ノーチェ・トリステ”が余りヒットもせずに,そのうち人々から忘れられてしまう。あくまでも想像に過ぎないが,理由は“マル・デ・アウセンシア(不在の災い)”という陳腐な歌の題名と歌い手の演唱力,説得力に欠けた声の魅力などの乏しさではと思われる。
そこで躊躇した挙句のガルデルが生粋の魔術的な歌声で,このコントウルシの韻文詩歌を唄うと全く違う音楽次元を手に入れて“あれよ,あれよ!”とばかりに世の人の耳に広がり,本格的歌唱タンゴが湧き出る夜明けとなる。今日現在まで“ソルサル・クリオージョ”の並外れた説得力と魔法の声を持つ歌手は現われていないと言われている。では,その様な歌を唄うガルデルの不思議な魅力は何処にあるのか,そのファクターは何であろうか。

1):稀に見る音楽性に満ちた自然な声調で更に彼の口調と同じフォームな歌い方。
2):歳を越すごとに低くなる魅力溢れたバリトン(テノール?)を伴う並み外れた良く響く声。
3):未だに歌手何人も超越成し遂げられない理由はガルデルが唄う時の“歌詞と曲”の二つの事を同時に“感情”,“心の底から”,“エモーションを込めた”歌声で,その韻文の各一言一言を   伝える特別な意義と共に繊細な意思表示の独占的能力で“唄演技”をやってのける,無比の感情表現の才能である。
4):歌唱タンゴの歴史上に類例の無いドラマチックな唄声。
5):幼少年期から青年に達するまでの日々の生活からバジャドール達や俳優,オペラ歌手との身近に接し伝授された唄への技巧を学び。そして,成長と共に感情表現の素質が磨かれた彼の環境体験を回想するのは良い例である。
6):いつも歌う為に歌詞の意味内容にふさわしく歌う姿へ反映させたガルデルをより聴きこむと更に賞賛できる。それはカンシォンやフォルクローレを歌うレコード初期録音から歌唱タンゴをヒットさせ,無声映画時代とスペインやフランスへタンゴを普及させた功績と北米での映画活動と彼自身の数々の作曲した美しいタンゴ曲の成功と益々魅力の彼の幅広い歌唱能力を発見するだろう。
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2011年10月24日月曜日

ガルデルのCD-3(⑤ミ・ノーチェ・トリステ)



⑤:ミ・ノーチェ・トリステ(わが悲しみの夜)/タンゴ/歌:カルロス・ガルデル/
作者:パスクァル・コントゥルシ(昨年10月4日:ガルデルとタンゴの詩人達(1)参照ください)/1917年11月16日録音/レコード番号18010B/
(当ブログ昨年3月16日の“ミ・ノーチェ・トリステ”の誕生の経緯を載せて有りますので参考ください)

このタンゴは余りにも有名であり,今更語る事に及ばないのだが,コントゥルシが“ルンファルド”なる言葉をタンゴの歌詞に取り入れて,当時としては革新的な“味”を加味した事とガルデルの卓越スタイルによりタンゴ歌唱の新しい道を切り開いた歴史の始まりである。さて“ルンファルド”なる言葉は辞書によると“俗語”と訳されているが,なんと味気ない訳である。本来のルンファルド(スペイン語全体も)の響きは情緒があり詩的な響きすら感じられる。その“ルンファルド”をブエノスアイレス市住民が日常会話に常に前世紀から使ってきた“普通のことば”なのであるが。この国に来たイタリー人初めスペイン人や他のヨーロッパ諸国人らの移民として来た人々の使う“ことば”が一部の下層階級民や犯罪者の使う特殊的な“語彙”で差別的対象であった為,当時コントゥルシからこの“ルンファルド”が使われて歌われたタンゴ“ミ・ノーチェ・トリステ”の“詞”を見せられた(コントゥルシが“歌ったタンゴ”を聴かされた)ガルデルも躊躇して直ぐには自分のレパトリーに取り入れなかったという経緯がある。ところがこの象微的なタンゴ曲が盗作の疑いを擦り付けられたらしい。それはキューバの歌手アンヘル・サンチェスの歌ったバンブーコ“ローサ(バラ)”に酷似しているという。この歌詞の発表が1914年,当然コントゥルシの歌詞は1915年ごろの作である。

では下の歌詞を見てみましょう。歌詞が変えられている所は()で括った。後は全く同じである事に気が付くでしょう。

ミ・ノーチェ・トリステ/タンゴ/1915年作/作者:パスクアル・コントゥルシ
ローサ/バンブーコ/作者:アンヘル・サンチェス(渾名:キューバのプリンス)

Percantaa que me amuraste /(Sin motivo me dejaste)
俺を見捨てたペルカンタ(夜の蝶) /(理由も無く俺を置き去りにした)
en lo mejor de mi vida /すばらしい我が人生にて
dejandome el alma herida /俺の心に傷跡を残して
y espina en el corazon /その上心奥にとげまで
Sabiendo que te queria /君愛するのを知り尽くした上に
que tu eras mi alegria /君は我が喜び
y mi sueno abrasador /我が離せない夢

Para mi ya no hay consuelo /俺にはもう慰めすらも無い
y por eso me encurdelo /それゆえ俺は酔い溺れ
pa olvidarme de tu amor /君の愛を忘れ;る為に

Cuando voy a mi cotorro (solo a mi cuarto) /
俺のネグラに行く時 /(俺の部屋にただ行く時)
lo encuentro desarreglado /雑乱に出会う
todo triste, abandonado /見捨てられた,すべての悲しみ
me dan ganas de llorar /俺は涙ぐむ
Y me paso largo rato /そこにかなりのひと時をすごす
contemplando tu retrato /君の面影に瞑想
pa poderme consolar /慰めに居尽すため

De noche cuando me acuesto /夜半に寝付く時
no puedo cerrar la puerta /扉を閉められない
porque dejandola abierta /なぜかって,開けっぴろげに
me hago ilusion que volves /(volveis) ,君の帰り(同じ意味)を幻想して
Siempre llevo bizcochitos /いつも甘菓子を持参しつつ
pa tomar con matecitos /(“matecitos”)/マテ茶(“マテ茶”)を飲みつつ
como si estuvierais vos , / 君がそこに居るかのように
Y si vierais la catrera /ベッドに居る如く
como se pone cabrera /悪機嫌仕草のような
cuando no nos ve a los dos /二人の姿が見え無いとき

Ya no hay en el bulin /(tocador)/愛の巣(化粧台)はもう無い
aquellos lindos frasquitos /あの華麗な小瓶も
adornados con monitos /(lacitos)リボン(ちじめ)かざりと
todos de un mismo color /すべて同じ色あいの
Y el espejo esta empanado /鏡はぬれ曇り
pues parece que ha llorado /こうして,泣きぐむように
por la ausencia de tu amor /君の愛の欠如ゆえ

La guitarra en el ropero /ギターは洋服かけに
todavia esta colgada /未だにかけたまま
nadie en ella canta nada /(dice nada)/何人も彼女へ歌う事も無く(何言も無く)
ni hace sus cuerdas vibrar /あの縄も揺ぎ無く
Y la lampara del cuarto /部屋のランプもまた然り
tambien tu ausencia ha sentido /またも君の不在は意識させられ
porque la luz no ha queridos /なぜか光も途絶えた如く
mi noche triste alumbrar /光に透かす,わが悲しみの夜
注:太字の単語がルンファルドなのだが,意外に少ない事に気が着くでしょう。

この歌はガルデルが歌い,同じ年にロベルト・フィルポがオルケスタのみで演奏。1918年4月に女優マノリータ・ポリがサイネテ“ロス・ディエンテ・デル・ペーロス(犬の牙)”の中で歌い,徐々に有名になっていく。そして,1919年にスペイン人歌謡歌手マリア・タバゥがハバナに来た時にこの“ミ・ノチェー・トリステ”歌っているのだが。この時にハバナの音楽出版社はポルテーニョ版の歌詞をそのまま転用して新譜バンブーコ(コロンビア民謡)“ローサ”として発表。それを全くアンヘル・サンチェスに知らせずに,この曲のリズムを8分の6拍子に変えて歌わせたのが真相ではないかと思われる。アンヘル・サンチェスは1934年10月18日日付でサダイクのフランシスコ・ロムート会長に問題にされている“発表”は1914年に出版されたもので彼のメロディーはブエノスアイレスでは知られては居なく,コントゥシは容赦なくこのバンブーコを盗作したと手紙で告発している。しかし,キューバでペペ・サンチェスのボレロ「ポル・ケレルテ・ロカメンテ(気が狂うように愛してる)/デ・エスパーニャ・メ・デステラーロン・ビジャナメンテ(スペインで悪もの様に追われた)」の歌詞で始まる“ローサ”のパリ音楽祭コンクールに入賞したオリジナル歌詞が存在しているのが暴露されるに至り,コントゥルシは無罪である事が証明される。

(*注:データーはティノ・ディエス記“五戦の線の間から...”とグアダ・アベジェ記“ガルデル・ブエノスアイレス”#11を参考にした)

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2011年10月20日木曜日

ガルデルのCD-3(④プンターナ)

④:プンターナ(サン・ルイスの出身者)/サンバ/
歌:ガルデル-ラサーノ/作者:ガルデル-ラサーノ
(原作:ホセ・ベティノティ)/
1917年11月16日録音/レコード番号#18010A/

Hay una criolla en la rueda/人ごみにいるあのクリオージャ娘
que a mi me tiene penando ,/おれ自身を苛める,
ella se hace la que n’oye/彼女は意にもかけない
cuando yo le estoy cantado/俺が歌っている時も .
La criolla que yo les digo/俺の呟き,クリオージャ娘よ
no es alazana ni zaina ,/金髪でも栗毛でもなく
y en mi pecho seta metida /我が胸にくいこむ
como cuchillo en la vaina ./厄介な脅迫如く.
Lloro como llora un nin~o/泣くさ赤子の如く泣きじゃくる
porque no me corrisponde ,/なぜか愛し合うにはそぐわない
to te llamo , tu t’iscondes/きみをよび,君は雲隠れ
burla’ndote de mi carin~o/俺の慈しみを嘲る .

Ya no quiero ma’s amor ,/俺はもう恋はご勘弁
ya no quiero ma’s falsias ,/偽りごとはもうご勘弁
un mal con un bien paga ,/この不運に報え入る,
ya lo sabia , ya lo sabia ./すでに俺は悟っていた,すでに悟っていた.

Esta cancio’n la he cantao/この歌を君に歌ったさ
en casa del taita Pancho/バンチョおやじのところで
y uno guasus por oirla/そして,冗談を聞くために
voltiaron la puerta’el rancho/飲み屋の扉を開けひろげ .

プンターナとはサンルイス州出身の女性をこう呼ぶらしい。素朴な地方の可憐な乙女に心を射止められない悲しみ...ガルデルは素朴に切なく,切なく心を潤ませる唱声で訴えで迫ってくる。
前の3,4曲の原作者ホセ・ベティノティについては今年7月13日のガルデルとフォルクローレ(4)を参照ください。
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2011年10月17日月曜日

ガルデルのCD-3(③アディオス...ケ・メ・ボイ・ジョランド)

③:アディオス...ケ・メ・ボイ・ジョランド(泣きながら俺は行く,さよなら...)

カンシオン/歌:ガルデル‐ラサーノ/作者:ガルデル-ラサーノ
(原作:ホセ・ベティノティ)/
1917年11月16日録音/レコード番号#18009A/

Adios , que me voy llorando ,/泣きながら俺は行く,さよなら.
me voy llorando y te dejo ./君を捨てて,そして泣きながら俺はいく
Y aunque no te vuelva a ver ./たとえ君をかえりみる事無くとも
con la esperanza me alejo /離れ行くとも願いを篭めて
Ay , si , si ! Ay , no , no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
Ingrata , me has olvidado /君は俺に愛想を尽けた,情けなし
ma.l haya tu corazo’n ! /君の心は悪魔やどり

Donde estan los juramentos /愛の誓いはどこそこに
que me hicistes una tarde ? /あの黄昏時のつぶやきは?
Todo lo ha llevado el viento ,/風がすべて連れさり行く
y en una forma cobarde /そして,それは唯の弱虫もの
Ay , si , si ! Ay ,no ,no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
y en una forma cobarde /そして,それは唯の弱虫もの
mataste mi pensamiento . /俺の疑念にとどめ果たす
Ingrata , mal pagadora /悪きむくわれぬ人,情け無し
y mala de sentimiento ,/その上,不憫な恋こころ
que si algo hay que me devora ,/このわが身をこがす何かのために
es el arrepentimiento /それは悔根ゆえ

Ay ,si , si ! Ay , no ,no ! /アィ,きっと,きっと! アィ,それは無い,それは無い!
Es el arrepentimiento /それは悔恨ゆえ
de haberte amado hasta ahora ./今まで愛し遂げたゆえ

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