2012年8月8日水曜日

場末の”歌い手”

>前章に引き続き、タンゴが現れた当時の前世紀のブエノス・アイレス場末に活躍した歌い手達を描いて行くとしよう。その下町の場末には二つのタイプの“歌手”,すなわちミロンゲーロ(ミロンガを歌う人)、あるいはパジャドール(即興詩人)と、すでに言明した本来の場末の“歌い手”が存在した。まず初めに都会風即興師と混ぜた合わせた田園風パジャドール。その語彙のガウチョ言葉や大衆の言葉使いのルンファルド(隠語)といわれるイタリア訛りと、その俗語表現と共に地方巡りを押し分けた彼等は上品な騎士タイプではなく、場末周辺を縫う如くボリーチェ(酒場)からボリーチェへ足かせに通う。ただ延泊に冴えた夜、“安易に”、“首尾よく”モッソ(酒場の親爺)が請け負った時。街中の揺れる光に誘われて自惚れ野郎の召使の様に陰気にギターを抱えて、きしむ馬車の硬い椅子に腰掛けて場末から不意に現れる。これらのミロンゲーロス(べティノティとデ・ナバ、エセイサ等を思い出す値打ちがあるが、、、)は独創的な機知のある即興者達は生まれつきの天才を発氣させ、地方の先祖とそのモデルとも等しく、伝記に登場するガウチョの英雄“マルティン・フィエーロ”の中にも又描写され、単なる歌手達より抜き出ていると自尊していた。パジャドールやミロンゲーロは俗界の創作詩や、ごまかしの質問に答え、長く張り合うオリジナル創造者の我を張り、柔軟なルディズム精神のフォルクロ―レの恩恵による厳しさを逃れる。一方のかの“歌い手”はその反対に当たり,かの音楽性にて、優れた音楽的感覚、彼の声楽コンディションの能力に値いして、“歌い手”は古物の見本のごとき、その様子に相当し、本来備わっている美点の衰弱も無いといわれた。“歌い手”はミロンゲーロかパジャドールの様な能動的芸人ではなく。受け手、単に受身の、純粋さに反映された彼の人生経験は“鏡の世界”に縮小されて、彼の豊かな美声の恵みに助けられ、常人の能力をオルフェオの様にその響きの魔力で虜にした。ガルデルは“歌い手”にのめり込んだ最初の頃の場所で“上流”家系のバルダサール氏やアバストの政治ボス、トラベルソ家の放蕩息子の“シェリート”・ホセや他のパプーサ(すごい美女)のジャネーや多くのグアポ(美男)達の混乱した親愛感の故になずけ親や庇護を忠実に受けた。“アバストのモローチョ”は始めフアン達を募ったのはコンベンティージョ(長屋)群の部屋やランチョ(貧しい家)群で生活苦の攻撃から身を交わしながら生きる、あの多数の人々達であった。ガルデルは彼等達、慈愛ある民衆の住む下町の夜に輝く“冷たい月”のメロディーを武器に歌手として名声を上げた。この世界は当時の詩人“ジャカレ(カイマン)”カルロス・デ・ラ・プアや“セレ”・エステバン・フローレスによるルンファルド(隠語)の韻文詩やパスクァル・コントゥルシのリアリズム書体にて浮き彫り描写されている。ガルデルが港町ボカやアバストに登場した時のスタイルは当該の時既に場末歌手の“努めに錆”を手に入れており、彼の寄る辺なき無謀な時代の頃には入念且つ積極性と独特な鼻声スタイルで歌っていた。“アバストのモローチョ”を助けたのは叙情的冒険、子供ぽっいテノールの声域、力強くは無いが柔軟性に富み、快活に、確実に振舞い、直感による雄弁、触れ回るクリオージョの節回しと一諸にその歌声を完璧にマスターしていた。この翻弄と町外れスタイルは甲斐甲斐しくも荒々しくも、彼自身のささやかなギター演奏に支えられいた。これは一人のやくざ者の様にあちら此方と町の界隈をぶらつくに等しい行動その物だったが。それはアラバール(貧民街)の誰もが噂に語り、美学観を学んでいないのだが、気性の激しい歌い手、先天的な音楽性で駆り立た気力により支えられている実に美しい引き絞る声の持ち主であった。                                                                                                    『エル・ボヘミオ』記

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