2010年4月29日木曜日

ガルデルと映画:もう一つの次元の伝記(4)

ガルデル、再びフランスにて映画撮影:

ガルデルは1932年のヨーロッパ興行旅行において、フランス地域での最後の機会となるジョワンビルで再び仕事をする事になる、この度の長編映画は監督ルイス・ガスニェル、短偏はジャケルクらの撮影で遂行され、ガスニェルは無声映画から着手した監督で、その時代に多大な成功を収め、フランス人コメディアン、マクッス・リンデールの名声の基礎と1914年に上演された大衆シリーズ“ロス・ペリグロス・デ・パウリナ(パウリーナの危険)”責任者である。トーキー映画初期からフランスの北米系スタジオでの多重版システムにおいて仕事してきた。彼の経験は一人のアルゼンチン歌手の様な上昇スターを監督する理想の人物に変換させるに相応しい。しかしながら、彼と『エル・ソルサル』は1932年間中の業績は隔絶な幸運に恵まれていた。“エスペラメ”{a}はその年の最初の映画で、スペイン女優ゴジータ・エレーロを主役女性に選抜した事が一の主な的外れで、若い淑女役の気高さに足りず、ブエノス・アイレスでは観衆に拒絶され、正しくない待遇処置されたが、それにスペインの音楽出し物がアルゼンチン観衆は退屈させた事は有りうる。この映画はアルゼンチンでは次の作品の“メロディア・デ・アラバル”の後で封切りされた。これにも拘らず、“エスペラメ”は何かの前向きな結果を生む、それはアルフレッド・レ・ペラとガルデルとの間の最初の共同作業関係であるからだ。この劇作家、新聞記者、アルゼンチン{b}詩人は1930年から映画商業に従事していた。スペイン系商團向けにサブタイトル、内部見出しの翻訳家としてユナイテット・アリティスツ社のパリー支社に従事していた。2年後にはパラマゥント、フランス支社スタジオのシナリオライターとなり、この仕事により交差する様に『エル・ソルサル』と結び付く、そして、歌手の経歴で最終時期の重要な人物に転換し、ガルデルが必要とした国際規模の作詞、脚本家としての彼の作品類は深いアルゼンチン根源を持っているが、地方主義から脱皮して国外での受け入れに悪影響を免れた。
“エスペラメ”の悪経験にめげず、短編“ラ・カサ・エス・セリア”と格調正しい“メロディア・デ・アラバル”に新しく侵入を続け、この両作品では無声のタイトルの同伴者にインペリオ・アルゼンチーナ{c}を選ぶ、この女優は都合よくブエノス・アイレス生まれでパリーにて仕事をしているスペイン俳優界の中心的人物であった。ガルデルの経歴行程においてこの“ラ・カサ・エス・セリア”は本当に風変わりな構成で、この映画は上演間隔で歌手{d}の演技で快適にするもう一つの補足の助けになり、しかるべき破廉恥スタイルと映像にての格別な冗談を演じる上演時間が短くて監督機関の禁止意図を被るのを免れた。映画の一シーンで、ある若い女性が青年に婦人用洗面所の場所を訪ねる、彼は質問した上に答えて“婦人用洗面所?召使い”この状況、今日無邪気にさえ、又は古臭いと判断されるが、しかし、その当時は多少嫌な気持ちを誘発させた。“メロディア・デ・アラバル”はガルデル‐レ・ペラ連合の最初の大成功を成し遂げ、“全ての幾つかの映画を現在まで、国外にてポルティーニョの下町の雰囲気風に受け取れる様に成し遂げ、これはより多くの幸運で誇張も無いのだから、その上に不合理もない。この映画はタイトルのテーマ様な典型的なガルデルリアン・レパトリーとタンゴ“シレンシオ”を含んでいた。そして、ストーリーは裏返して、ミユージカル出し物のための理由になり、ガルデルの共演女優インペリオ・アルヘンチーナの選抜は‐歌を含む‐好運の結果になった。ブエノス・アイレスで1933年4月にこの映画が上映されるとセンセーションを引き起こし、“プロモーター達は‐ガルデリアン“熱狂”の前に‐多くの下町の映画館で再上演させた。映画“ルセス・ブエノス・アイレス”、´30年の短編、それに加えて、無声映画フロール・デ・ドゥラスノ(桃の花)も公演した。“メロディア・デ・アラバル”はジョワンビルにてのパラマゥントの最後の作品{e}として撮影された。その場合のために、北米プロディユーサーはフランスにおいて外国語版専門の製作に専念したが、ガルデルのフイルムはスペイン語版の一部の少ない例で、会社はアルゼンチン歌手を大物扱いして、彼の重要価値を考慮した。フランスのスタジオ衰退はソルサル・クリオージョの映画撮影経歴には悪影響を及ぼさなかったが、しかし、地理的な変更の巻き添えにした。今後は映画制作中心は北米に移動する事になる。

注:
{a}副題“アンダンサス・デ・ウン・クリオージョ・エン・エスパニャ”
     (スペインでの一人のクリオージョの冒険)
{b}アルフレッド・レ・ペラはブラジル、サンパウロ、1900年6月7日生、父親はアルホンソ・レ・ペラ、母親はマリア・ソレンティーノ、両親はイタリーからの移民。父親は食料油製造業に従事、アルフレッドはブエノス・アイレス育ち、高校時代の先生の指導で演劇に興味を抱く。後にアルベルト・バカレッサ{f}、に知り合う。医学専攻時代にフリオ・エスコバール{g}の紹介でルイス・セサル・アマドーリ{h}に知り合う。1927年2月24日、無声映画及び劇場経営者ウンベルト・カイロ{*}と共同作者としてサルミエント劇場にて“ラ・ソスプレサ・デ・アニョ(この年の不意打ち)”劇を初演した。その後、エンリケ・サントス・ディセポロ劇団の人気女優カルメン・ラマスと総包した。ホルへ・コンスエロ氏によるとレ・ペラは博学でかつ無愛想と評判と証していた。ピアソラが少年時代にガルデルに合う場面、ビルの窓から侵入した時に最初に出会ったのが、レ・ペラの不機嫌ずら、変わってガルデルは笑顔で快くピアソラ少年を呼び入れたエピソードがある。1930年にチリー、サンチアゴへマリオ・べナルド劇団と公演旅行の時に彼初めてのタンゴ“カリジョン・デ・ラ・メルセー(メルセー寺院の鐘)”エンリケ・サントス・ディセポロ作曲に詞を付ける。この曲は直ぐにタニアによりサンチアゴのビクトリア劇場において披露された。



 {c}彼女はガルデルの恋愛遍歴(4)に主人公として登場
 {d}歌手とはガルデル自身
 {e}ジョワンビル・スタジオからの徹退は俳優シンジケート反発と、後のフランス政府の外国為替法により外貨送金規制に発展したため。
{f}アルベルト・バカレッサ、タンゴ詩人
”エル・コパ・デル・オリビード(忘却の杯)、
“エル・カレリート”、
“エル・ポンチョ・デル・アモール(怠け者の愛)”、
“アラカ、コラソン(愛する人よ、気お付けて)”の作詞者
{g}フリオ・エスコバール、劇作家、新聞記者
{h}ルイス・セサル・アマドーリ、タンゴ”コンフェシオン(告白)”、
“レンコール(ねたみ)”、“マドルセルバ(スイカズラ)”の作詞者
       
映画撮影のデータ:












エスペラメ(アンダンサ・デ・ウン・クリオージョ・エン・エスパニャ)
制作会社:パラマゥント
撮影:ハリー・ストラディング
シナリオ:アルフレド・デ・ペラ
音楽:ガルデル、マルセル・ラテース、ドン・アスピアス
監督:ロゥイス・ガスニェール
原作国:北米
制作年月:1932年9月
上映時間:60分
俳優:カルロス・ガルデル(カルロス・デ・アクニャ)、
ゴジータ・エレーラ(ロサリオ・アギラール)、
ロリータ・ブエナベンテ(フアニータ)、
ハイメ・デベサ(エステバン・マルケス)、
マヌエル・パリス(ゴンサス)、
レオン・ラバジェ(アギラール)、
ホセ・アルゲジェス(エル・モーソ、給仕)
ギター出演:オラシオ・ペトロッシ、
演奏楽団:ドン・アスピアスとオルケスタ・クバーナ
ガルデルの演唱レパトリー:
“ポル・トゥス・オホス・ネグロス(君の黒い瞳に)”、
作者:ドン・アスピアス、アルフレッド・レ・ペラ、カルロス・レンシ
“エスツディアンテ(学生)”、
作者:カルロス・ガルデル‐アルフレッド・レ・ペラ‐マリオ・バティステージャ
“メ・ダ・ペナ・コンフェサルーロ(白状するのは恥ずかしい)“
作詞:アルフレッド・レ・ペラ、
作曲:カルロス・ガルデル‐マリオ・バティステージャ
“クリオジータ・デ・ミス・エンスエニョ(理想の~)”
作詞:アルフレッド・レ・ペラ
作曲:カルロス・ガルデル‐マリオ・バティステージャ
撮影場所:ジョワンビル・スタジオ(フランス)
亜国上演封切り:1933年10月5日、レアル映画館(ブエノス・アイレス)















ラ・カサ・エス・セリア(短編)
制作社:パラマゥント
シナリオ:アルフレッド・レ・ペラ
音楽:カルロス・ガルデル、マルセル・ラテッス
監督:ジャケルケ
原作国:北米
制作年月:1932年10月
上映時間:22分
出演俳優:カルロス・ガルデル、(フアン・カルロス・ロメーロ)、
インペリオ・アルヘンティーナ(カルメン・リベーラ)、
ロリータ・ベナベンテ、ジョシータ・エルナン、マヌエル・パリ、
ガルデルの歌唱:
“レクエルド・マレーボ(やくざの思い出)”
作詞:アルフレッド・レ・ペラ
作曲:カルロス・ガルデル
”キエレメ(愛しておくれ)“
(*この曲のSPレコード録音はないが未発表シリーズ‐2でCD化された)
作詞:マルセル・ラテッス‐レ・ペラ
作曲:カルロス・ガルデル
撮影場所:ジョワンビル・スタジオ(フランス)
封切り:1933年5月19日、スイパーチャ映画館(ブエノス・アイレス)















メロディア・デ・アラバル
制作社:パラマゥント
撮影:ハリー・スタラディング
シナリオ:アルフレッド・レ・ペラ
音楽:ガルデル、マルセル・ラテッス、ホセ・センティス、
オラシオ・ペトロッシ、ラウル・モレティー
監督:ロゥイス・ガスニェール
原作国:北米
制作年月:1932年11月
上映時間:88分
出演俳優:
カルロス・ガルデル(ロベルト・ラミーレス/セニョール・トーレス)、
インペリオ・アルへンティーナ(アリーナ・サリーナス)、
ビセンテ・パドゥラ(ペドロ・ベントゥラ)、
ハイメ・デベサ(ランカレス)、
マヌエル・パリ(マルドナード)、
ホセ・アルゲジョス(フリアン)、
エレーナ・ダルゴイ(マルガ)、
フェリペ・サソーネ(事業主)、
参加楽団:
オルケスタ、フアン・クルス・マテオ
ガルデルの歌唱レパトリー:
“メロディア・デ・アラバル”
作者:カルロス・ガルデル‐アルフレッド・レ・ペラ‐マリオ・バスティステジャ
“マニャーナ・デ・ソル”インペリオ・アルヘンティーナと二重唱
作者:同上
“クアンド・トゥ・ノ・エスタ(君が居ない時)”
作者:ガルデル‐レ・ペラ‐ラテッス‐バティスティジャ
“シレンシオ(静けさ)”
作者:ガルデル‐レ・ペラ‐ペトロッシ
撮影地:フランス、ジョワンビル・スタジオ
上映封切り:1933年4月5日、ブエノス・アイレス:ポルテーニョ映画劇場

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