小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。
2014年6月30日月曜日
カルロス・ガルデルの愛の物語 【イボンヌとガルデル】
夜の眠れないひと時にガルデルのCDに聞き入る中、突然“ノ・メ・アブレ・デ・アモール(愛の話をしないでおくれ)”(1)との歌声に一瞬,彼に叱られた気持ちに落ち込んだが。
このシリーズの途中なので無視する事にして次のロマンスへ移るとする。
ガルデルはフランスのパリ郊外にあるサン・マウリセのパラマウント映画撮影所にやって来た。
そして,映画“ルセス・デ・ブエノス・アイレス(~淡き光)”の撮影に入る。
当然ペルリータとの愛沙汰はまたも途切れる。
これから述べるロマンスはこの時期のフランス滞在の頃に起きたのだが、当時は全く人目には触れずにいた。ガルデルがボゴタに公演した前後に、フランスからソルサルの後追いして来たと思われる謎に包まれた女性イボンヌ・ギテライが,かの歌手の友人で当国映画界社主二コラス・ディアス氏に彼女自身の秘密を明かした物語を載せよう:
『私の家族は滅亡ハンガリー王国の上流社会に所属した。何所か名前を出したくない有名な都市で私の母は女子神学校の学長を勤め、エリート育成していたが。第一次大戦後のトリアノン条約(2)で数千人の犠牲者の中で戦後の動揺した政権の波乱時代になると,私の家族は財産を殆んど失なったが、私自身の若さと美貌と高等教育が粗末なタイピストに成り下がるのを妨げ、人生の進路を見失い、どの道を選択するか迷っていた。
その時、私の人生に突然にヨーロッパ・リゾートのコスモポリタン上層世界貴族階級の一人の素敵なプリンスが出現した。私の若さと彼は外国人のため家族は結婚を反対した。だが、私は彼と結ばれ、私達は宗教的巡礼をするかの様に極東帝国日本、ジャワ、エジプトなどを彷徨した末に,シャンパンの祭り騒ぎに偽の喜びの嘆きの果てに魂の破滅を一掃しようと努めた。
時は過ぎて行き‘27年に我々夫婦はコート・ダジュールに落ち着く。コスモポリタン社交界群に属す競馬場、ダンス・サロン、カジノを私は強くもちあいの美貌で社交界を支配していた人達の間の何人からは些細だが敬意を得てた。
ある夏の華麗な日に私は『離婚』の最終的な決心をする。
富豪華に微笑む春のパリー、
花咲くカーニバルのニース、
カンヌのミモザ花の祭りと愛の歌、空、
海の自然は花咲き視野が開き
青春賛歌の世界の中に家庭を捨てて一人飛び出した。
それは18歳の頃、
パリーに孤独に住み明確な目的もなく。
1928年の古きパリー、
パリーの放埓と贅沢なシャンパン。
価値無しのフランコのパリー。
外人パライソのパリー。
小王様金持ちヤンキーと南米人で充満していた、パリー。
1928年の豪華なパリー,
外人の財布を空にせしめる新しい興奮、
毎日新しいキャバレーが誕生していたパリー。
パリーの若き18歳、金髪、青い瞳、一人孤独。
その不幸の苦しみを和らげ様と快楽の深みにのめり込んで行く私。
キャバレーでは常時人目に注目の元。
金額に疎く、踊り子に振舞うシャンパン、
給仕に与える高額な心ずけ、何時も一人で現れる。
何時か、あの国際性豊かな環境にて徘徊する,
一つのあの要素に秘密の罪を発見する。
それは忘却するための手段を誰かに薦められてコカイン、モルフィーナ、ドラッグ、奇怪な様相の踊り子、褐色な色合いの豊富な毛髪の南米人、エキゾチックな場所を探し。
あの時代に『フロリダ』に今着いたばかりのデビューしたキャバレーの歌い手。
エキゾチックな言葉で歌うエキゾチックな唄で盛大な拍手受け成功の人。
その時まで未知の場所にて不思議な衣装で唄う。
アルヘンティーナのタンゴ、ランチェーラ、サンバ。
彼は白い歯、痩せ型、少しモローチョ青年。
美しいパリーの誰かの注意を満たす人。
彼の名はカルロス・ガルデル。
全魂で唄う泣き節タンゴ、観衆の心を何故か知らず虜にする不思議。
モダン・タンゴでなくそれは古いアルヘンティーナの唄。
真髄のパンパのガウチョの魂、
カミニート、ラ・チャカレーラ、アケル・タパド・デ・アルミニョ、
ケハ・インディアーナ、エントレ・スエニョ、
彼ガルデルは流行最先端にいた。
ロンジュシャン・ホテルの常連客、キャバレー、劇場、ミュージック・ホール、競馬場。
全ての処でその顔モローチョ、白い歯、輝く清々しい笑顔。
しかし、ガルデルは彼の仲間内サクールのみでの興じる方法が好きだった。
あの時期に南米人が独占的に出入りしたクリシェ通にある。
“パレルモ”と呼ばれたキャバレーがあった。
そこで私はガルデルに知り会う。
彼は全女性に興味を示したが。
でも、私にとってコカイン、、、とシャンパン以上に関心を持てなかった。
パリーでめぐり遇う日々の男達と淑女間のアイドル的の私に女性らしい虚栄心をくすぐるが。
しかし,私の心には全たくの反応は無い。
あの時の親交はあの夜、あの散歩、あの内緒事、花庭園の眺め越しにパリーの冴えない月光下に再確認。
このロマンス利害関係に幾多の日々が過ぎていく。
誓いは絹のように美辞麗句は冷淡な岩のような心に深く食いこみ。
あの男は私の魂の中に入り込んでくる。
私は気が狂い、私の華麗なピシート(秘密部屋)は喜びに満たされ,
今は淡い光の充満の中にいる。
もうキャバレーには戻らない私。
私の華麗な灰色の部屋。
電気スタンドの煌めき。
モレーノ姿に確固たる調和した金髪姿。私の青い部屋。
行き先不明の魂のノスタルジー。
全て知り,今、真の愛の巣。それは私の初愛。』
とイボンヌはガルデルとの束の間の恋を告白した。
どの位の時が過ぎたのか告げかねないが...時は果かなく激流ごとき過ぎ去り。
パリーを眩惑させた風変わりな金髪女、高貴な香水、シャンパンとロシア・キャビアや日々の手堅い皿を飾る慇懃なパーティーは姿を消した。数ヶ月過ぎ、パレルモ、フロリダ、ガロンなどの永遠の常連客は新聞記事によって,前代見聞きの厚かましき金髪と青い目の若き踊り手は,花咲く青春の全ての官能美により,ポルテニョの若旦那を熱狂させた事を知る。』
その人、イボンヌ・ギトライ。
そして、数年後舞台は南米アンデス山脈の小都市ボゴタに“メレニータ・デ・オロ(金髪)”の優麗婦人、その彼女は現れる。この地に度の様にやって来たか何人も知れず。時はガルデルが丁度公演中か、彼の後追いパリーから遥々長旅。密かに彼と蜜会か、それも適われずか。自殺未遂でボゴタ世間の話題にのり。そして、ガルデルと恋物語の告白。無事にパリーに帰還したか。その後の彼女の消息を知る人物はいない。
コロンビア,ボゴタ:マリオ・サルミエント・バルガスの記録から
(Nota:Mario Salmiento Vargas en el ciudad de Bogota Colombia)
注:(1)“ノ・メ・アブレ・デ・アモール(愛の話はしないでおくれ)”のせりふが出てくる曲は“ベサメ・エン・ラ・ボーカ(唇にキスして)”作詞:エドワルド・カルボ、作曲:ホセ・マリア・リスティー、#18169A、ホセ・リカルド、ギジェルモ・バルビエリらのギター伴奏で‘26年録音
注:(2)トリアノン条約は1920年6月4日に第一次世界大戦の敗戦国、ハンガリー帝国と勝戦連合国がフランス、ベルサイユ宮殿大トリアノンにて結んだ条約。
Wikipediaの『トリアノン条約』を参考ください。
El Bohemio記
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2 件のコメント:
いやあ、労作ですね。私は残念ながら、まだガルデルの良さが分かっていませんが、少しずつ親しんでいきたいと思います。今後に期待しています。
小野和俊様
この投稿は再編集してみました。
ガルデル外貨に女性を魅了していたか
ある記事を参考にして小生なりに
アレンジしました。
読んでくださり感謝いたします。
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