小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。
2012年7月13日金曜日
ホセ・アギラールの回想(1 )
ガルデルの思い出(1)ホセ・アギラールの回想から
1935年6月のメデジンの惨事から奇跡的に生存したガルデルのギタリストの一人、ホセ・マリア・アギラールは度重なる不運で16年後の1951年12月21日、ブエノス市中心地の繁華街のビリヤード場から出たところで、前の車道を横断中に車に跳ねられ、その傷の元で肺炎を併発して60歳で没した。その1年前の1950年7月頃に、ホセ・アギラールがあの当時の思い出を雑誌『アンテナ』へのインタビューで語たった。その回想をここに再現しよう。:
メデジン、あの場所、あの日付け、あの日、あの瞬間、、、
血生臭い炎に照らし出された黒い堆積物。火炎が鎮火した。
突然ある夜によみがえる。
世界中に名前が渡り響く、
メデジン、、、ガルデル、、、アギラール、、、
かの運命は飛躍した気紛れ。
かの運命は神々の。全能な。絶対な。
ニュースをついに論じる誰かがいる;
嘆く誰かがいる。
怒りに握りこぶしを固め振りあげ、涙におぼれた誰かがいる。
影の間で‐夜が落ち途方も無い悲嘆と痛み‐消えた炎、離れ、
苦しいしかし生きた化身、一人の男の亡霊。
彼はアギラール。彼はアギラール、その彼。
その彼は生存
即死当然の、炎から助け出され、
犠牲者の、、、いや犠牲者ではない、いや違う。
このたびに苦痛が開始される。
生気に至るでも無く、苦痛は再び留まり、
死亡に至らない長くひどい苦痛‐痛みの全て終わりと、ひと休み‐。
繰り返しの悪霊の痛み、全ての残酷の先向こうの、
処罰の肉体に激痛が執拗に捕られて。
苦痛、一日、次の日、痛みは過去を彷彿させ;
痛みは瞑想の未来。
惨事から生き延びて様に、アギラールは苦痛に生き延びる。
しかし惨事はかの苦痛は痕跡を残す。
そして、全てにも拘らず、苦痛は気高く。
それだから、暗黒の夜の彼の黒眼鏡の後ろから、
全てのハーモニーの持ち主だった手を損いの身振りから、
生存者の魂が心を動かされる言葉の申し出、
誠実な、決定的に高尚な。
ギター、紳士よ!
そこにある、抜け殻と仮し、いく他の時の過ぎ日々の、
親愛の指々で愛撫する、弦の元で耳に快く響きわたるべき、
ギターは腐り果て。
アギラールは我々が見るのを確かめる、
我々が見るのを無言にて、その一警を感じ届け。
ギターとギタリスト、それは同じ物体。
重々しい声のアギラールが断言、我々の思いつきを見破る;
ギター、紳士よ!
だとすれば、このギター。
このギターがガルデルを伴奏した。
彼の永遠に消え去る事なき声の響きを結びつけた、このギター。
心を迎えにいき、ハーモニーと語りが共に行く。
唯一つ、肘掛け椅子の腕の上に支えられて、
弦を引き絞り、、、だけれども音も無く!、、、
アギラールはゆっくりと歩む。近ずき見詰め、
おそらく、我々の様に見詰める。
しかし夢の世界の、思い出の、
とはいえその黒い眼鏡の裏に隠される、
回想は彼の視覚を過ぎていく。
今なんと言ってよいだろう?:
でもいいだろう、、、
我々は何も一握りの質問の答えを探す気はない?
しかし、何を質問できるだろうか?
アギラールは腰掛ける。タバコに火を点けるのを探り。
その後でゆっくりと燻らし。
壁には数々のガルデルの写真がある。
思い出、記念額、あれは、見捨てられて、忘れたよう、
だがこの様な悲劇の中を命が生き延びている!、
それはギター。
今なんと言えるだろうか?
不可侵の沈む静粛な黙想が存在する間、我々は沈黙のみ。
何も言うこともなし、何れかの都度、
多分早々に、アギラールは思い出を満たすだろう、
数々の逸話を、過ぎ去った同房愛への見解を。
我々に数多くの沈黙の事柄を伝えるだろう、
我々に何人へも語らなかったさまを語るだろう。
何故かつて、その年のガルデルが全盛を極め、
素晴らしい人格を明かにした。
彼の脇に、あそこに誰もいなかつた;
その年の奇妙な異質な観衆達の人の心を捉え;
その年の祖国の郷愁心情-街、街路、末端片隅の-
極小の全て凝固させた、制限無しの勝利の満足を結び着け。
そして、彼といっしょの親密な業績。
リハーサルにて。
創作にて。
レパートリーの選択にて。
繰り返し試みて。
群集の心を揺さぶる、
感動の感触で各詩節を探し出す。
そして宿命的の瞬間。
最後の瞬間まで:
この様に生じなければなら無い様に文面に書かれていた、、、
その様に成るように、、、
宿命論的諦観?
出来事、多年にわたる彼の脇で。
あの日も一緒に居ないわけは無い?、、、
いっ、時が過ぎ、意識を回復し、ただ一つの質問が起こる:
カルリートスは如何した?、、、“真実の答えは無く”。
私は死んだのも当然、、、
死に神に取り付かれた我が身に力も願望も無く、、、
断言できるは騙されて逃げ出した、、、
彼の元に帰り、彼と私は共に歌い付き添うのを信じていた、、、
(午後の窓は紫色に染まり始めつつ)
その後で真実を知る、、、命は新しく私の両腕の中にあり、、、
如何しよう?、、、生きる、、、更に深い嘆きと共に、、、孤独の男に過酷な苦悩。
彼に道案内された我が全人生。
多くの事を理解到達できた日々の仕事にて、、、
彼の性格の特微、彼の心理学;限界なき情け深き表情、、、
何故かつてカルリートスは根本的な善良人、、、
根本的な善良人?
その通り、、、情け深きは彼自身の一部分、、、
その情け深さが彼の洗練された親交を生む;
全ての上に親交を優先した。
彼は寛容な性格;親切で、親交で、
何故かつてその様に気持ち良く乱費し、財産も乱費し、、、
所有財産も、所持品も重要せず、、、
彼が惹きつけるのではなく、
彼が休み無く仕事するのでは無く、
突然にキリストの様に昇天した、、、
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