2012年6月24日日曜日

『ガルデルは生きていた!』プロローグ



ガルデルはあの呪われた飛行機事故から生き延びていた?...
これは誰も信じえない事実!!!
アルゼンチンではこの貴重な情報を得られるのは不可能だろう。小生の居る所はコロンビアなのだ。メデジンの飛行機事故は77年前の今日624日現地時間午後3時頃(日本時間25日の午前5)に起きた。“あの時に焼死”したとされて「世に別れを告げた事になっていたガルデル」。ところで彼の遺体は財産管理人デ・フィーノの手により偽装された遺言書を介してサン・ペドロ墓地から発掘された。そして,メデジンからカリ市を経由して太平洋側に位置するブエナベントゥーラ港へ運ばれた後,そこから海路パナマ運河を経由後ニューヨークに到着した。後日にかの地の教会で通夜が壮大に開かれたが。その時参列したガルデルの友人や映画に共演した俳優達は遺体を礼拝した時に,ガルデルの遺体の歯形に疑問を持った人物がいた。その人は音楽家ドン・マジョ氏で他にも数人が確認したらしい。このガルデルでは無いらしい遺体は19362月にチャカリータ墓地に着き,盛大に行なわれた葬儀の後に理葬されたのだが,前提のデ・フィーノは翌年(1937年)に再びメデジンに出向きサン・ペドロ墓地からもう一つの遺体(誰の遺体?)をガルデルが理葬されていたとされる墓地(a)から運び出した摩訶不思議な行動をしている(アントニオ・エナオと名乗る新聞記者が目撃していた) ガルデルの遺体は何処に?...こうした謎に包まれたチャカリータ墓地のソルサルの遺体は本物では無い疑問が髣髴してくる。この同じ頃にバルビエリとリベロール,レ・ペラの遺体も墓霊から取り出され,それらはそれぞれの遺族によりブエノスに移された。この時に秘書アザフの遺体は発見されなかった不思議。初めに運び出されて遺体はアザフのものと墓守が混同したのでは無いのか,二度目に発掘した遺体は誰の物なのか。謎は明かされないまま長い時が過ぎて,80年代の頃にサダイクがガルデルとベルタ夫人のDNA分析検査(b)を試みたが,如何な判定結果が出たのかジャーナリストには公表されていない。余りにも時が過ぎ今となっては土壌化して検査は困難だ。そして,この謎は絶対に世には明かされる事は無いだろう。アルゼンチンではガルデルは“フランス人”という固定観念で認められているから,これを覆す訳には行かないのである。しかし「ガルデルはメデジンの郊外に80歳頃まで生きていた」との新聞記事を見掛けた事もあったが余り信憑性がないと判断していたのだが...!。
しかし,ガルデルは確かに生きていたのでる...
 注記//(a):サン・ペドロに有ったガルデルの墓地。現在,墓標は残っていない。1995年に博物館として落成の記念碑があるのみである。b):ガルデルとベルタ夫人とは血の繋がりが無かった事は証明されているのでDNA分析は不可能だろう。


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