小生が書いてきたこの物語はガイドとしてボゴタで1985年に出版されたハイメ・リコ・サラサール著「ガルロス・ガルデルの人生と歌唱集」によるのだが、この内容はガルデル伝記作者で有名なフランシスコ・ガルヒア・ヒメネス著「ガルデルの人生」のほとんどの内容がコピー物である事に気ずいた。原本のヒメネス著の内容も事実を曲げた捏造物語である事に今頃気がついた。小生は他の資料を読んで行く課程でガルデル出生、遺言書は彼達の記事を基にせずウルグアイ生まれ説と遺言書は偽造で有ると解明した記事を書いた。ヒメネス著はガルデルがメデジンで事故死を遂げた後で二重唱のパートナー及び旧友であり同郷人ホセ・ラサーノの回想として書かれた伝記物であるが、この著書の意図はガルデルの財産管理人アルマンド・デフィーノとホセ・ラサーノ及びタンゴ作詩家ガルヒア・ヒメネス達が共謀の元にガルデルの財産とレコード版権を横取りする為にベルタ女史の一人息子に仕立て上げてしまったのである。
2012年5月14日月曜日
ガルデルのルーツは?
左の写真はバルセローナ近郊のサバデリ地方の新聞記事である。ガルデルのルーツを話題にしたコラムである。アルゼンチンではガルデルの生れはフランス,トゥールーズとされている。処が彼の芸能才能にはフランス文化の遺伝的影響が全く無い。一方のウルグアイは彼の少年期から郷土民謡を歌いパンパに放浪の挙句にパジャドール達と親交を結び詩や歌にたしなむ環境に育んでいる。またタクアレンボーのカウディージョ(地方政治のボス)であった彼の父親とされるカルロス・エスカジョーラ大佐はギター演奏と民謡を歌い,挙句の果てに本格的な劇場まで作りオペラを楽しんだ。だからガルデルは彼のそうした趣味や才能を受け継いでいる。当然,ウルグアイが“彼の出生地”はわが国だと強力に主張しているのは一理有ると思う。ではソルサル・クリォージョのルーツを探るとしよう。先ず彼の誕生地ウルグアイも牧場が広がり放牧された大群の牛とガウチョとフォルクロール音楽の世界がある。そして首都モンテビデオはブエノスアイレスにも負けずにタンゴも盛んである。そして隣国アルゼンチンと同様にヨーロッパ移民を多く受け入れた国である。ところがガルデルもその移民の血を引くガウチョの世界から誕生したといきなり言われると不釣合いな違和感に襲われるだろう。彼の出生地はウルグアイ北部タクアレンボーの農園であるが。先ずは祖先のルーツを追っていくとスペインのカタルーニャ地方バルセローナ出身の祖父フアン・エスカジーラに行き着く。その祖父フアンは1838年23歳の時,ウルグアイにやって来る。彼は大都市バルセローナ海岸地方西部20kmのサバデジェニンセス(サバデリ地方人)の石灰手工芸家一門エスカジョーラ家系に属していた。彼の職業はバルセローナで訓練された船大工であった。(マサッゲー街道のベントゥーラ店においてエスカジョーラ陶工達の物だった巨大なセラミック窯が最近発見されている。)偉大なタンゴ歌手カルロス・ガルデルは『スペイン,サバデリ出身のある一人のエスカジョーラ家系の孫』であった事になる。ずっと後年になるが...その血の繋がった祖国,家系由来の土地で彼は数年に亘る滞在を完璧に享受した上にそのバルセローナで凱旋を選ぶ。これらの理由によりカルリートスがいかにこの地への本能的に愛着を示していたのは理解できると言うものだ。それは百万倍も確信的な事実である。これがガルデルのルーツ先に到着した最終駅である。
注記:ガルデルの父とされるカルロス・エスカジョーラについては『ガルデルの出生の秘密』編を参照ください。
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