2012年4月7日土曜日

ガルデルのCDシリーズ:CD-3/11曲目


⑪:ミ・マードレ(我が母)/別題:ア・ミ・マドレ(コン・ロス・アミーゴス/我が母へと友人達)/カンシオン/作者:ペドロ・パラシォス“アルマフェルテ”(強靱な根性)-カルロス・ガルデル/歌:カルロス・ガルデル/1918828日録音/レコード番号#18013B/この曲はアンドレス・セペダの同名曲(CD111曲目)とは別の曲になる。また,エクトル・ロレンソ・ルシィー刊行,オルランド・デル・グレコ著作“カルロス・ガルデルの歌曲集とその作者達”によるとペドロ・ボニファシォ・パラシオスは作者の一人だと言うのはガルデルの見解だと記されているが,史実は摩訶不思議極まりなく,これは間違いだと言う。このレコードが発売された当時は創作作品を版権登録できる作曲,作詞家を保護する協会的組織は存在せず,記載されたデータは時として間違いをも活字になり後世に語り継がれた。ここでトードタンゴ・コムにリカルド・ガルシア・プラジャ氏か寄稿した“ア・ミ・マドレの真実の作者”から謎を解くとしよう。『あの当時ポピュラー雑誌の“エル・アルマ・ケ・カンタ(魂が歌う)”に“ミ・マドーレ”の歌詞が最新流行のテーマとして,また創作者名がカルロス・ガルデルとホセ・ラサーノ及び作詞者としてバラシオス“アルマフェルテ”の名が編纂記載された。しかし,人は正直であろうとするのは必然的で,この詞は“アルマフェルテ”に帰属するものではなく,詩作は彼には無関係であると主張する人物がいた。それは詩人エドアルド・モレーノで,彼は真実をフアン・ホセ・デ・ソイサ・レィイリー記者と会話した時に確信する。記者はラ・プラタのパラシオスの家でインタビューした時に彼は“かの創作”は自分の作品では無いと正直に否定したと評言したと言う。一方,タンゴ研究家リカルド・オストゥニ氏の著作“カルロス・ガルデルとアルマフェルテ達はコンピでは無かった”の中でパラシオスの詩的な特徴の本質的学説を行い。そして,ロブレス著名のある“ウルティモ・アべス(*)・デ・ウン・バルド(流れ者最後のバルド)”なる詩に脚光を当て,この詞句はカンシオン“ア・ミ・マドレ”と全く同一の詞である事実を発見した。“アルマフェルテ”はロブレスのペンネームを名乗った事は決して無く,いつも隋一名目上のあだ名を使っていたという。しかし,この時点ではロブレスたる人物のデータは残念な事に明らかに不足である。だが,前提のオストゥニ氏がナショナル図書館で入手した189611月発刊の雑誌“ビリック・バラック”の提供コピーが手元にあるが,それに記載された詩句に我々は好奇心の虫に刺されたようだ。最初に結論づけたのは創作時に関する事項で,この詞は1896年に発表されていた事実とア・ミ・マドレと同曲と思われる詞がガルデルにより歌われた時期より十分過去(20年以上前)になり,この人ロブレスはペンネームではなく紛れも無い生身の人間である可能性が出て来た訳だ。今日現在(2010年)ベネゼーラ文学のページをインターネットで捜索したところ,更に未知のベールが剥がされた。我々が知りえたのは作者の姓名セバスチャン・アルフレッド・ロブレス,ベネゼーラ生まれ,記者,作家,詩人で1885年に初版した“ラ・フラテルニダー・リテラリア(文芸の同胞)”新聞のディレクター及び共同創立者。後日即に我々が別に発見したデータによると(この証拠は事実と認めるのに充分だ),スペイン国立図書館にて同じ詩と著名を“ラ・エスパニャ・モデルノ(モダンスペイン)”誌の1893年発刊号に見い出したのである。それは撒きれもなく“ビリック・バラック”誌よりは3年前の事。結論としてエドアルド・モレーノの信念とリカルド・オストゥニの推測と我々の好奇心がめでたく,この章の最終に着きかけたが未だ不完全である。“ア・ミ・マドレ”の真の作者名と国籍を見つけ出したが,セバスティアン・アルフレッド・ロブレスの人生と経歴上の詳しい理解への対決がまだ残っている。』

注記:これらのデータはトードタンゴ・コムを参考にした文章である。しかし,小生の頭の隅には些細な疑問が湧き出てくるのを抑える事ができない。かの作品がカルデルと“アルマフェルテ”の共同創作では無かったのならば,如何なる人物とコンビを組んだのか。カルデルはロブレス作と全く同じ詩句を如何なる方法で発見してレパトリーに取り入れたのだろうか?。これはもう一つの大きな謎である。それともガルデルは1896年発刊の雑誌“ビリック・バラック”を読んでいてロブレスの原作を知っていた可能性も想像できるが,それは情報収集の困難な時代の当時においてガルデルが日ごろから自分が歌う作品の発掘に非常に長けていた証拠にもなる。

(*)原文にはayes(こんな言葉はない)とあるがaves(鳥,流れ者)の間違いと思われる。(**)Bardo(バルド):トロバドール

Con los amigos que el oro me produjo /友達とともに俺が齎した富
las horas con afan pasaba yo /時と共に俺は切望を克服する
y de mi bolsa al poderoso influjo /俺の財産は強力に影響する
todos gozaban de esplendente lujo /贅沢豪奢を皆味わい
pero mi madre , no ! /だが我が母は,違う!

Pobre madre !... Yo de ella me olvidaba /可哀想な母!...彼女を俺は忘れていた
cuando en brazos del vicio me dormi /悪習の威力に怠る時
un inmenso cortejo me rodeaba /酷い媚びへつらいに俺は取巻かれていた
de mis afectos a nadie le faltaba /わが情愛は誰にも不足くなく
pero a mi madre …si… /だが我が母には...断じて..
Hoy maribundo , el lagrimas deshecho ! /俗世間あり,くるしみ荒れて
exclamo con dolor , todo acabo , /痛みと嘆き,すべては終わる
al ver que gime mi angustiado pecho /わが心情苦しみ苦悶悟り
todo se alejan de mi pobre pecho /わが哀れな心
Pero mi madre , no ! /だが我が母は,ちがう!
Y cerca ya del ultimo suspiro /それにもはや最後の嘆息に迫り
todo se alejan por lo que hay en mi /皆は俺に存在するものから離れ
la vista en torno de mi lecho giro /わが転落巡りを一瞥
en mi triste derredor a nadie miro /わが敗北の悲しみに何人も目もくれず
Pero a mi madre … si … /だが我が母は...いや違う...

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