2012年5月6日日曜日

ガルデルとフアン・“トローラ”エスカジョーラ
















ガルデル,“メレヌード(メレーナと同じ意味,即ち長ろ髪)”とはガルデルが青年時代に呼ばれていた仇名であるが...彼がウルグアイからアバストに帰りトラベルソ一族の経営するフォンダ(酒場)オ‘ロンデマンに出入りし,そこで歌いはじめる。年代はタジー二商会で初録音した5年ほどの前になるが。トラベルソの末弟“シェリート”が殺人を侵す。まもなく彼が釈放されるとガルデルの手助けでウルグアイのタンボレースのアマンダ・エスカジーラの農園へ亡命する。1915年末キャバレーミロンガ“パレー・ド・グラス”の帰り道でガルデルは背後から銃弾を打ち込まれた事件は有名だが。彼は傷の回復の為に翌年早々パイサンドゥーとタクアレンボー境にケグイ川のエスタンシア・ビエハ“タンボーレス”地帯のコロニーに位置するエチェガライ農園に引き込む。その年の1916年にフアン・“トローラ”・エスカジョーラが発行する新聞“ペリオディコ・ガゥチェスコ(ガウチョ文化新聞)”にタクアレンボー郷土の有名人“片腕”アレホとフアン・エスカジョーラ当人宛にある“ペンネーム”による敬意の韻文詩が載せられた。


この詞は...
ギターを呼び寄せ,
マテ茶を手元に...
さえずる小鳥等とともに...

Marca de la estancia
vieja /古いエスタンシアの烙印
cayo parando la oleja /聞き耳を起てて気づいた
el taita no Manco Alejo ! /マンコ・アレホ様!
apriete esos cinco viejo /五人の老いぼれ押し付けて
que el gustazo que me ha
dao /俺にくれた気紛れ
no es para ser explicao /説明なんて野暮な
sino en un abrazo juerte /そうでなく強い抱きつき
ya que me ofrece la suerte /俺に幸運の約束を
el tenerlo a nuestro lao /我々の脇に居ておくれ

Lo vide no Juan Torora /フアン・トローラ旦那様あれを見ろよ
y he cumplido con su
encargo /貴兄の頼まれごとは果たした
mientras tomaba
un ”amargo” /“苦いもの”を飲んでいる間に
y hacia vibrar la ”sonora” /“鳴り物”が響き渡る方へ
le manda esa ave cantra /そのさえずり鳥を向こうに放つ

un abrazo tan estrecho /凄く真じかに肩寄せて
que la hara fruncir el
pecho /胸もと澄ましととのえ
p adir recto al Corazon /心にまっすぐ合い間める
y yo le envio un apreton /俺が届ける抱きしめを
que lo dejara
maltrecho … “/痛みを捨て去る...

その“ペンネーム”はエル・ガウチョ・メレヌード(長髪のガウチョ)”との著名サインが見とめられた。これは紛れも無いカルロス・ガルデルのペンネームであった。この詩に出てくる人物フアン“トローラ”エスカジョーラ・メンデスはアルゼンチンでは余り話題にされない。というより,彼はガルデルの従兄に当る為でガルデルフランス人説を主張する人々にとっては不都合なガルデルがウルグアイ生まれの証拠に結びつくからだ。
フアン・“トローラ”・エスカジョーラ・メンデス:彼はガウチョ詩人“エル・フォゴン”誌発刊協力者の他に自力で文芸新聞を発行していた。カンセラ・デル・ティエンポ(倦怠なる時)なる本に“アンデ・メ・ジェベ(歩けよ俺のジェペ)/ラ・ボルンター・デ・ミ・カバジョ・モーロ(俺のモーロ馬の意志)”の道程の韻文詩も発表している。この本はミーナ,パイサンドゥー,リベーラ,コンセプション・デ・ウルグアイ,モンテビデオ,ドゥラスノの各都市に滞在した時に書いた50余りの詩作が収録されている。ドゥラスノ滞在時には詩作のほかに先祖代々由来のブランカ派の政治活動にも首をのめり込ませている。ガルデルは1912年初録音した“ソス・ミ・ティラドール・プラテアオ”のレコード盤をこの従兄“トローラ”に進呈したらしい。カンセラ・デル・ティエンポに記載されている詩はガルデルが歌った“ソス・ミ・ティラドール・プラテアオ”であると一部の研究家や随筆家等が断定しているが,それはオロスコ作詞と同名“レトゥルコ”で詩の内容は違うと前項で説明してある。


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